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3 若芽の災(4)

 それでも、ぎりぎりか……  胡断にも負傷者が出ている上、馬も万全ではない。  もう一度、撤退勧告して、それでだめなら…… 「どうせ聞かれるでしょうから、先に言いますけれど」  蓮章の不意をついて、玲陽の声が大きく響いた。全員が、ぎょっとして振り返る。 「私は五亨庵の玲光理。歌仙親王殿下の承親悌です」  馬上から、玲陽は堂々と名乗りを上げた。 「馬鹿、どうして……」  旦次が焦る。玲陽の身分は、胡断にとって利用価値がある。ただでさえ、その見た目から狙われてもおかしくないというのに、これでは自ら捕まえてくれと言っているも同じだ。  案の定、指揮官の目の色が変わる。  三年前、戦いの終結には、犀星も深く関わっていた。憎むべき相手が、目の前に一人増えた。 「何なんだ、おまえたちは……」  指揮官が拳を握った。 「次から次へと、どうしてそんな重鎮が、こんな街道に出てくるんだ!」 「……皇帝陛下のご命令で」  玲陽は、ぽつり、とつぶやいた。嘘はついていない。 「とにかく」  気を取り直して、玲陽は顔を上げた。 「見過ごすことはできません。歌仙親王の御領地と知っての狼藉ですか?」  蓮章が小さく息を飲んで、玲陽を見上げた。 「親王の領地?」  そんな話は聞いたことがない。 「これから、そうするんです」  玲陽はさらりと言ってのけた。 「ですから、蓮章様。歌仙様の名の下、ここは、しっかり、成敗を」 「……おまえ、計ったな」  ここで胡断を討てば、領地申請における犀星の足がかりになる。逆に見逃せば、その名声を下げてしまう。  これでは、引くに引けないではないか。  蓮章は思わず、玲陽を睨む。涼しげな横顔に悪びれた様子もなく、玲陽は大太刀を握り直した。 「さすが、親王が選んだだけのことはある。おまえを甘く見すぎていた」  蓮章は腹を括った。 「承親悌の言葉は、親王の言葉……暁隊に命ずる。現状の胡断を掃討しろ!」  旦次以下、表情が一気に険しくなり、音を立てて刀を構えた。  胡断の指揮官も戦斧を構えた。馬上からも操れる、大型の一振りである。 「これは祖国への忠誠の一戦、みな、心して当たれ!」  合わせずして、胡断から咆哮が上がる。それを合図に、その場の全員が動いた。  先鋒に、旦次が突進する。  涼景直伝の太刀捌きが、胡断の戦意をくじき、音を立てて空を切った。旦次の剣術のみではない。体当たりや蹴り技を混ぜ込み、二人を同時に相手しても遅れをとらない。  他の隊士たちも、剣術は補佐で、ほとんどが素手での殴り合いに持ち込む。暴漢と変わらないが、この戦法は元正規軍の胡断の意表をつき、正面から剣で挑むよりも勝機があった。  玲陽は、馬を逃すと蓮章の前に位置取った。大太刀を自在に操り、白刃を見事にさばいて弾きかえす。腕力ではさほどもないが、武器の重みとしなやかな身体能力が群を抜いている。知識のある者ならば、その動きが犀遠の編み出した一沙流剣術であることは一目瞭然だった。前方の敵だけではなく、後ろにも目があるように敏捷に動く。型よりも実践を重んじ、さらに大太刀によって最も効果を発揮する戦術である。  玲陽の守りが崩れない、と確信し、蓮章は近くの建物の壁を背にして、矢を射った。近くの敵は玲陽に任せ、広く戦場を見て味方の援護に回る。射尽くして空になった矢筒を放り投げる。 「矢をよこせ!」  突然、軒の上から数十の矢が詰められた筒が落ちてきた。その不自然に気づく者はいない。  戦いの緊張と剣戟の音、そこに重なる叫び声と悲鳴に紛れて、一人の男が屋根の上に潜んでいた。 「詰め込むな、と言ってるだろ……」  文句を言って、蓮章は無理に三本を引き抜いた。隙間が空いて、片手で矢を抜く余裕ができる。 「いいから、さっさと切りぬけろ」  屋根の上から声がした。正体の知れない男は身軽に屋根を伝って、姿を消した。  あらかたの敵は負傷し、蓮章の毒矢に当たった者は体がしびれて動けずにいた。暁隊士も負傷し、腕や足に血がにじんでいる。玲陽は蓮章を守りきったものの、体力的に限界が近く、立っているだけで視点が定まらない。荒く全身で息をする。  前線では旦次が指揮官と向かい合っていた。そのそばに、残った二名の胡断が添い、蓮章の矢から指揮官を守る。  玲陽は深い呼吸を二、三度して、旦次へ近づいた。自分から打ち込む余力はないが、せめて、その背中をかばう。蓮章も、角度を見ながら距離を縮めた。  頼りの旦次は、何人もと刀を交え、満身創痍である。  追い詰められているとはいえ、無傷の指揮官は簡単に倒せる相手ではなかった。 「さすがは、『涼景』だな」  指揮官は憎々しげに旦次たちを一瞥した。 「だが、たとえ敗れても、道連れにしてやる」  大型の戦斧が振りかざされた。その大きさからは想像できない速さで振り下ろされる。旦次の肩をかすめ、盛り上がった泥に深く刺さる。 「まずい……」  旦次は息を呑んだ。  これまで、何度も荒事の中を生き残ってきた。しかし、今回は訳が違う。指揮官は、都で暴れるただのならず者ではない。かつては戦場で名を馳せた武官である。その実力は決して侮れるものではなかった。  一撃一撃が重い。まともに受ければ、刀が砕けて散る威力である。指揮官の繰り出す大技と、旦次が迎え撃つ刀が乾いた音を立ててあたりに響く。  間違えれば、一撃で決着がつく。  旦次は思い切って、こちらから打って出た。指揮官の戦斧が信じられない速さで方向を変え、刀の中ほどをへし折った。  旦次は折れた刀を捨てると、地面を転がって槍を拾い上げた。指揮官の戦斧同様、馬上で扱う大物である。だが、今は使いこなすだけの体力が危うかった。  間断なく打ち下ろされる指揮官の斧を、槍の柄を滑らせてかわす。  一瞬の油断もならない緊張感に、春の日差しが凍りつき、風が止まる。  蓮章は弓に矢をつがえていたが、二人の動きが激しく、どちらを狙うこともできない。玲陽は大太刀を構えつつ指揮官の後ろに回ったが、歴戦の猛者には隙がない。下手に踏み込むと、牽制する二人の胡断の間合いに入ってしまう。  旦次は勇猛果敢ではあるが、体力の配分がうまくない。全力をぶつけ、それが尽きれば劣勢に転じてしまう。徐々に追い詰められ、息が荒くなる。それを、指揮官は見逃さない。  繰り出された指揮官の一撃を、両手で構えた槍の柄で受けとめる。腰を低く落とし、その力に全身で耐える。戦斧を流し切ろうと柄を傾けたとき、ぬかるむ地面に旦次の足が滑る。体が傾き、体勢が崩れた。 「うっ!」  戦斧の端が旦次の脇腹を裂き、鮮血が舞う。 「旦次!」  蓮章の矢が飛び、指揮官は止めをさせずにとびのいた。  膝をつく旦次に、これ以上の戦闘は不可能だ。  玲陽はある限りの体力と集中力で、二人の胡断に太刀を向けた。 「蓮章様!」 「任せろ!」  玲陽が一方に斬りかかる。打ちあう金属音が、高く低く休みなく響き渡る。同時に、もう一方の胡断の胴に、蓮章のしびれ矢が命中した。動きが鈍る。玲陽は毒を受けた胡断に、追撃を叩き込んだ。よろめいて、泥に座り込む。薬が回り、そこまでだった。  最後の一人と斬り結び、気合を込めた太刀筋と気迫で、追いつめ、戦意を奪う。  気配のない動きで、指揮官が玲陽の背後に近づいていた。振り返りざまに斧が、ぶん、と眼前を走る。玲陽はよろめいて泥水に投げ出された。蓮章が駆け寄ろうとしたが、散々に踏み荒らされた地面が泥濘化し、すぐには動けない。  動けない玲陽に、指揮官が迫る。振り上げられた戦斧が空を切る。 「陽!」  蓮章が絶叫した、その時だった。  座り込んでいた蓮章の頭上を、巨大な黒い影が飛び越えた。それは一瞬の出来事だったが、蓮章にはゆっくりと流れる黒い雲のように見えた。  馬だ。  次の瞬間、耳を覆いたくなる金属の破壊音が轟き、指揮官の戦斧が雨のように粉々に砕け散った。衝撃で、指揮官が泥の中に転がる。  馬上から打ち下ろされた、戟の一撃だった。  馬の主は身軽に飛び降りると、ぬかるむ足場を物ともせず、指揮官に駆け寄った。  迷いなく、起き上がりかけていた指揮官の後頭部に回し蹴りを叩き込む。突然の不意打ちに、指揮官は再び泥に埋もれた。一気に形勢が悪くなった指揮官の喉に、馬の主は大太刀の切っ先を突きつけた。  全ては、一瞬の出来事だった。  指揮官は、頭部への衝撃で平衡感覚が狂い、同時に体も動かなくなっていた。ふらつきながら仰け反り、突如として現れた敵を見た。目を疑う。 「は? 女?」  瞬く間に斧を破壊し、自分を蹴って昏倒させ、身動きを封じて刀を突きつけているのは、なんと、少女だった。 「誰だか知らないけど」  少女は血走った目で、指揮官を見下ろした。 「陽兄様は私が守る」 「き、きさま……」  最後の気力で、指揮官は泥に仰向けに倒れたまま、玲凛を睨み付けた。 「薫風!」  少女が呼び寄せると、巨大な馬が嘶いて駆け寄ってきた。心得ています、と言わんばかりに前脚を指揮官の頭部に勢いよく踏み下ろした。激しく泥が跳ね上がる。 「あ……」  奇妙な音がして、指揮官の口から泡が噴き出した。白目をむいて気を失う。馬の蹄は、指揮官の耳を掠め、顔のすぐ横の泥に、どっぷりと食い込んでいた。  しばらく、誰も声が出ない。場違いなほど繊細な小鳥のさえずりが聞こえてきた。  国の脅威であった胡断。  それを、機を得たとはいえ、仕留めたのは、まだ幼い面影の少女。  それは驚きよりも、一種の恐怖を生んだ。  旦次が痛みと驚きに呻いた。傷は深いが、致命傷は避けられていた。  そんな中、最初に動いたのは玲陽だった。黙って立ち上がると、呆然として少女を見た。 「凛……殿?」  少女は顔を上げた。険しかった表情が、満面の笑みにとって変わる。 「陽兄様!」  少女・玲凛は兄に駆け寄り、抱きついた。着物が泥だらけになることも厭わない。 「……兄様、だと?」  蓮章は愕然として、少女を見た。  玲陽は安堵してよろめきながら、玲凛を抱き止めた。乱れた髪を撫でつけて顔を覗く。兄と妹の喜ばしい再会は、凄惨な光景の中で繰り広げられた。  このあまりにも俗離れした場面に、旦次は傷を抱えてうずくまり、蓮章は泥の中に沈んだままぼんやりとするだけだ。  これが、涼が言っていた歌仙の女傑……  蓮章はため息をついた。その視界に突然、玲凛の鋭い視線が落ちてくる。 「ここの責任者、あんたでしょ?」  蓮章は、気圧されて、思わず頷いた。玲凛の目が厳しくなる。 「この、役立たず」  珍しく、蓮章は軽口さえ出てこなかった。

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