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8 万里へだてるとも(1)
玲凛が厚顔無恥とも言われるほどの鋼の精神力を持っていることは、本人も含め、誰もが認めるところである。
どうしてそうなってしまったのかと問われれば、それは実のところ彼女だけの責任ではない。そこには、彼女が生まれ育った玲家の風習が大きく影響している。
玲家の嫡流として、しかも、女性として、玲凛は常に周囲に対し、毅然として権威を示さなければならなかった。
だというのに、幼い玲凛にはそんな威厳どころか、まともに家人の顔を見る勇気すらなかった。
実の兄妹の間に生まれた子だという劣等感、周囲からの差別的な目線。両親からさえ距離を置かれ、孤立する寂しさ。そして、望まれた女子でありながら、力を受け継がなかったことへの自己肯定感の低さ。それは次第に彼女を卑屈にさせていった。
玲凛の口から語られることはないが、その幼少期は、周囲が思うより悲惨だった。その痕跡として残されているのが、玲凛に対する玲陽の過保護ぶりである。当時の玲凛は、玲陽にとって、守らねばならない儚い存在だった。
そんな玲凛が唯一手に入れたのが、犀遠との出会いと、武の道だった。
はじめはさして興味があったわけではない。だが、刀を握り、真似事をするうちに、犀遠や犀家の家人たちはみな、よくできると褒めてくれた。少女には、それが嬉しかった。
玲凛は褒められて伸びる性格だった。そしてその成長は天井を見ない。まさにどこまでも登りゆくしなやかな龍のように。
犀遠は太刀だけにとどまらず、さまざまな武器の扱いを彼女に教えた。また、自らが将軍として戦に臨んだ経験から、軍の扱いや戦術についても丁寧に教授した。
それは、犀星や玲陽にさえ、行わなかったものだった。玲凛の適性を見抜いてのことだったのだろう。
玲凛は犀遠によく懐き、学び、日々、実力を高めていった。
だが、玲凛にとって、それは悲劇の発端でもあった。女が戦いの道では生きられない社会。どれほど腕を磨き、強者を倒し、武功をあげても、誰も認めてはくれない。
一人で山賊を退治をしたこともある。畑を荒らした害獣を捕らえたこともある。熊に襲われた領民を救ったことも一度ではない。
だが、一言目には感謝されても、二言目には、女なのだから、そんなことをしてはいけないと、咎められた。まるでそれがすべての正論であるかのように、周囲は彼女に言い聞かせた。
そのたびに、彼女の中に、自分自身に対する分裂した感情が生まれていった。
自分は自分でありたいと思い、自分であるはずなのに、自分ではない。自分らしくあること、それが認められない。
しかもそれは、彼女の実力不足ではない。天の時が、人の世が、それを許さない。
だが、玲凛は負けなかった。彼女は天にも逆らう決意で腕を磨き続けた。
やがて、十四で涼景と出会った。詳しく聞けば、都で名の知れた戦士であるという。当然、手合わせを願いでた。
当時の彼女に、勢いに乗った暁将軍を倒すことなどできるはずもなかった。自分から勝負を挑み、あっさりと負けた。その一戦が彼女の人生に大きな転機をもたらした。
何がこれほど違うのか。
圧倒的な力の差。それが、性別による肉体の差ではないと彼女は察した。
涼景の一撃は重かった。太刀筋にも迷いがない。視線の配り方、体の置き方、周囲への注意の払い方、空間の認識、相手の体力、技量、距離、心情、次の動きを察する勘の良さ。何もかも、涼景が勝っていた。
そして、何より、涼景の心の中には、決して負けられない理由があった。これは玲凛にはないものだった。
大抵のことは鍛錬すれば習得できるかもしれないが、心にあるその一点だけは、稽古では学べない何かだった。
それが知りたくて、玲凛は何度も涼景と手合わせをした。彼が歌仙に来るたびに、燕家まで押しかけ、打ち稽古を求めた。
くたくたになるまで負かされた後は、静かに都の話を聞いた。
犀星はどうしているか。
今、都や国はどんな状態なのか。
涼景の話は、明確で、そして残酷だった。しかし、その端的で飾らぬ言い方を、玲凛は気に入った。周りは、女だから、と常に周りくどく含み隠したように言う。だが、涼景はそれをしない。生々しい事は生々しいままに語った。それが現実だと、まるでその鋭さを知らしめるかのように、ありのままに真実だけを話した。
そんな涼景の話が、玲凛の心に火をつけた。そこまで自分を受け入れない社会ならば、それと戦ってみるのも面白い。どこまでぶち破って行けるのか、この全身全霊で試してみたい。
もともと、玲家では望まれない存在である。彼女に託されていたのは子供を産むことだけだった。その相手さえ、父である玲博か、囚われていた玲陽を選べと迫られた。すでに、玲凛に玲家への未練はなかった。
世界を見てみたい。
玲凛の心に目的がしっかりと宿った。それは、涼景が持つ『負けることを許さない強さ』とつながっていくように思われた。
彼女は新たな希望の種を得た。その種を心にひっそりと埋め、日々鍛錬の汗と涙と歌仙に降る暖かな雨で大切に育てた。種はやがて小さな芽を出し、一つの花を咲かせた。
玲陽を守りたい。
ただ一人、初めから自分を受け入れ、大切にしてくれた兄。その人が苦しんでいるときに、何もできない悔しさ。それこそが玲凛が負けない戦士になる理由だった。
遠く故郷から離れ、見慣れない街を歩きながら、彼女はそんな昔に思いを馳せた。
新しい土地は、彼女の世界を広げた。
彼女が真っ先に掲げたのは、打倒涼景である。もともと、玲凛が都行きを望んだのは、涼景の強さを追ったからだ。
それは武術で勝つという意味ではない。真っ向勝負で敵う相手ではないことぐらい、彼女にもわかっている。見据えたのは、涼景の強さそのものへの憧れだった。
だが、期待を抱いて旅してきたものの、当の本人は都を留守にしていた。
悔しがる玲凛に、蓮章はひとつの提案を持ちかけた。玲凛に、暁隊の訓練の指揮を頼みたい、という話だった。暇を持て余すことが嫌いな玲凛は、喜んでそれを受けた。
早足で、|暁演武《ぎょうえんぶ》へ向かう。都の外壁近くに建設された、暁隊専用の訓練施設である。
門の先に、さらに内門がある。仰々しく分厚い木の板で作られている門だが、閉じられる事は稀だ。面倒を省く暁隊らしく、常に明け放たれ、自由に出入りすることができる。
しかし、確かな目的もなく入り込むと、大変な目に合う。ここは都の中にあって、都にあらず。決して、心正しい民が訪れる場所ではない。
暁演武の中は、門から右手に広い訓練場、左手に大きな宿舎が用意されている。遠方出身の隊士も多く、または何らかの事情で街中に家を借りることができない者もいるためだ。しかし、ほとんどは外部から通うのが面倒で、ここに住み込んでいる。
宿舎の横には、旺盛な食欲を支えるための広い厨房と、汗と埃で毎日真っ黒になる隊士らのための、巨大な共同浴場が用意されていた。食事や風呂の支度は全て自分達で交代で行う。また場内で使用するものの洗濯や道具の管理も、彼らが分担制で行っている。市場の警備も兼ねて、情報と食材を市場から仕入れてくるのも、隊士の仕事のうちだった。
なんだか楽しそう。
ここの暮らしについて説明を受け、玲凛は素直にそう思った。
彼女が午後の訓練場に姿を現した時、すでにあらかたの隊士が集められていた。
他の隊であれば、きちんと整列して待っている、という状況なのだろうが、そこは暁隊である。それぞれにたむろし、武器を支えに姿勢を崩して談笑している。地べたに座って賭け事に一喜一憂したり、喧嘩腰で言い合いをする者、ひたすら走って基礎訓練を行う真面目な者も見うけられた。
こいつら、普段からこんななんだ?
まさに、遊び場を占拠する子どもの一団を彷彿とさせる眺めだった。
宿場町で初めて暁隊を見たとき、彼らのほうこそ、盗賊集団かと思った。それほど、玲凛の思う『兵』ではなかった。玲家の私兵のほうが、まだそれらしく見える。
だが、蓮章のもと、確かに彼らは、一つの統率力を持っていた。それは鍛えられた兵士のものではなく、心が打ち解けた仲間特有のものだった。まるで、犀星や涼景を見るように、その間には、確かな信頼と甘えと、戦とは無縁の硬いつながりがあった。
面白い人たちだ。
玲凛はすぐに気に入った。
鎧姿やだらしなく着崩した風体の群像の中から、一人だけ場違いな男が、こちらに歩いてきた。緩やかな薄紫の絹の衣に、ふわりと揺れる裳をまとい、腰帯は緩く広がって、首には透けるような長布が垂れている。暁隊の副隊長・遜蓮章のお出ましである。
気だるそうな顔が、今日は一段と白かった。
蓮章の姿を追って、ひとりの隊士が、興味を持って駆け寄ってきた。
「梨花、次の女か?」
「気に入ったなら、おまえに譲る」
蓮章はにこりともせずに言い返した。
隊士は玲凛を値踏みするように見た。
隊士の視線は玲凛の胸の辺りをうろうろし、やがて顔に向く。
「少しばかり小ぶりだが、まぁ、顔がよければ……」
言いかけて、にやついていた顔が急速に萎んだ。
玲凛の額に、見覚えのある赤い炎の刺青があった。
「梨花、こ、こいつ……」
「陽の妹」
ごく短い蓮章の紹介は、それだけで隊士を震え上がらせた。
「おい、冗談じゃねぇ」
隊士の怯えっぷりに、玲凛は小首を傾げた。
「妙な真似したら、悌君に殺されるじゃないか!」
「そうだろうな」
さらっと言ってのける蓮章に、隊士は苦く笑って、
「あんた確か、歌仙様に手ぇだして、殴られたとか言ってなかったか?」
「別に、手出ししたわけじゃない。訳があって、髪を結ってただけだ」
「どうせ、自分で解いたんだろ? ついでに帯の下の具合はどうだったか聞きたいねぇ」
「それ以上言うと、ここで犯すぞ」
蓮章の睨みが飛ぶ。
隊士は何とも言えない顔で横を向いた。
「ふーん」
玲凛は、わざと隊士の顔を覗き込んだ。
「あんた、蓮章様になら抱かれてもいいや、とか思ったでしょ」
「は、はぁ?」
大声を上げて、隊士は飛び退いた。耳まで紅潮している。
「あら、図星?」
「凛、それくらいにしてやれ」
蓮章は、玲凛のそばに寄ると、
「準備はいいか?」
「もちろん」
玲凛は、左手で、大太刀の鞘を確かめた。
腰にはもう一振り寿魔刀を下げていたが、こちらは戦いには使えない。大太刀は、玲芳が値段を惜しまず、彼女の好みに合わせて打たせたものだ。刀身に見合う重量があり、常人であれば構えるだけで手が震えた。動作は遅くなるが、体重が乗ると威力は増す。さらに遠心力を使って広範囲まで攻撃を広げることができる。
玲凛は多様な武器を使いこなすが、そこには彼女なりの選択基準がある。自分が使いこなせるか、自分の短所を補い長所を伸ばせるか。
つまり、実戦で相手を倒せるか、である。
二人は広い訓練場の隊士たちを振り返った。彼らは声を聞きつけて、こちらに注目していた。
蓮章は深く息を吐いた。
絶対に荒れる。
すでに頭痛がした。
「皆、聞いてくれ」
蓮章の声はさして大きくは無いが、注意が一斉に向くのがわかった。それぞれが好き勝手をしているようで、肝心なところはまとまる。それが暁隊の面白さだった。
「涼が留守の間、代わりに訓練を仕切る、玲仲咲だ」
蓮章の一言に、隊士たちは呆然となり、そして笑い転げた。
集団の中から、甲高い声が叫ぶ。
「なんだよ、副長のイロじゃないんですかい?」
「てっきり、寂しくて別の相手引っ張ってきたのかと思いましたぜ」
蓮章は額を抑えた。
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