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16 情の庵(2)

 玲凛は男の姿を心にしまい、小径の先を見た。白梅が盛りを過ぎ、青々とした若葉を揺らしている。  東雨が先に立ち、道を進んだ。すでに近衛詰所に来ていた近衛が、一行を見つけて立ち上がった。 「俺、ここで待ってます」  東雨は詰所で立ち止まった。 「馬の世話をしておきますから、皆さん、中へどうぞ」  玲凛が愛馬の首を撫でた。 「薫風、丁寧に扱ってよね」 「わかってるよ。どの馬も俺にとっては同じ。馬に罪はない」 「どういう意味よ」 「特に薫風は苦労しているからな」  東雨の心がわかるのか、玲凛の馬は東雨に甘えるように鼻をすり寄せた。 「本当、主人に似ない可愛い子」 「うるさい」  言い返したが、玲凛の言葉はどこか優しかった。  犀星はちらりと東雨の様子を見た。東雨の全てを慈しむ笑顔は、今までと変わらない。時折こみ上げてくる彼への愛しさは、玲陽に対するものとはまた、違うものである。 「人が来るといけないから、そこで見ていてくれ」  犀星の言葉は、怖くて中に入れない東雨に、優しい言い訳を与えるようだった。東雨はわずかに安心したようにうなずいた。  玲凛が中を探る間、人を遠ざけておきたい。その場を東雨に任せ、三人は内扉を開けた。  かつて、犀星が運命に引き寄せられるようにこの場所を訪れ、そして、地面に埋められていた五つの石を見つけた。奇石を礎として築いた、特殊な庵、それが五亨庵である。  話では聞いていたが、その美しい姿を玲凛は初めて直接目にした。  中へと一歩足を踏み入れて、玲凛は、庵の中をゆっくりと見回した。  その内装の色彩、質素ながら手入れが行き届き、外の景色と一体となった美しく稀有な眺めは、誰の心にも強い印象を残す。  多くの者たちはその奇抜な形に目がいくが、玲凛は違っていた。  犀星にも玲陽にもわからないものが、彼女のキラキラと光る黒い目には見えているらしい。それは物というよりも、光を感じるのに近い。  自然とその目は、五つの石をたどった。  中には、几案の影に隠れていたり、すぐにはそれとわからないような位置にあるものもあったが、初めて来る五亨庵で、彼女の目は確かに石の場所を正確に見抜いていた。  それはすなわち、五亨庵の核だけを見る眼差しだった。 「始めます」  玲凛が静かに言った。 「兄様たちはここで待っていて下さい。私のすることを、見て覚えて」  玲凛は初めての場所にもかかわらず、正確に水の石に近づいた。それは犀星の席のそばにある。半分ほど石英が混じった、半透明の乳白色の石である。玲凛はそっと石に触れ、そして目を閉じた。口の中で何かを小さくつぶやく。それから目を開けると、体の向きをまっすぐに変える。その動きに迷いは無い。  歩き出した先には、緑がかった斑紋の浮かぶ石がある。同じようにその緑の石に手を乗せる。そしてつぶやく。次に向かったのは赤みを帯びた石だ。同様にして、黒い石、金色の筋が走る石をゆっくりと巡ってゆく。最後に、再び水の石に戻って触れる。  そこから今度は五亨庵の中央に歩み出た。ちょうど、長榻が置かれたあたりだ。そこで目を閉じ、少し顔を上向ける。  突如、ふわりと床から風が巻き起こったのが、誰の目にもわかった。犀星が小さくぎゅっと手を握る。少し怯えたようなその仕草に、玲陽は袖を引いて引き寄せた。指が絡む。  何が起きているのか、二人にはさっぱりわからない。  少しして、風がおさまり、彼女の着物と髪が静かに舞い降りた。  玲凛は目を開けた。それから二人の方を振り返って、腕を後ろに組み、急ににこっと普通の調子で笑顔になった。 「うまくいきそうです」  ふっと犀星たちの肩から力が抜ける。道が開け、一筋の希望が見えた。 「もう入ってもいいですよ」  玲凛に促され、二人は中央に降りた。  玲陽がわずかに眉を寄せて見回しながら、 「凛どの、今のは何ですか?」 「五亨庵の力を強くできないかと思って試してみた、儀式みたいなものです」 「順番に廻ることが?」 「はい。五つの力を、|産《さん》の順に辿りました」 「産の順?」 「力を強めていく順番のことです」  そう言って玲凛は再び、石英の石の元へ立つ。 「兄様たちも覚えてください。五つの力は、それぞれがそれぞれを生み出す約束を持っています。例えば水ならば……」  水の石に触れ、何かをつぶやいたが、言葉ははっきりとしなかった。 「水は草木を育てます。つまり、水は木を生み出すってこと」  犀星たちは、一つ、頷いた。 「関係性を考えていけばいいんだな?」 「はい。順番に説明しますね」  玲凛は言いながら、今度は、緑の斑の石のへ歩み、同じように触れて呟く。 「木は燃えて、炎を生み出します」  目指すのは赤い石だ。 「燃えた後には灰が残るでしょう? つまり、土ができる」  そう言って、黒い石の前へ進む。 「土を掘り起こせば、そこから金属を含む石が取れます。石の中から、金が生まれるんです」  金色の筋が白い中に走った石の前で、玲凛が立ち止まった。  玲陽は頷きながら、最後を閉めくるるように、 「金属は冷えると、その表面に水滴がつきますね。これが、金が水を生む、ということですか」  玲凛がうなずく。 「なるほど、順に生み出す法則か」  犀星は順番に石を見た。順番に辿ると、その通り道は五芒星を描く。彼がここに五亨庵を立てたときには、そのようなことを気にしたつもりはない。最初から石は今のように配置されていた。  玲凛は兄たちの理解に安心したようだった。 「私がやって見せたのは、この五つの石を一つの言葉でつなぐことです」 「一つの言葉でつなぐ?」  犀星は、彼女が何かをつぶやいていたことを思い出した。 「はい、何でもいいんですよ。例えば、魚」  びくっと犀星と玲陽が震える。 「全部の石に『魚魚魚魚魚』って言いながら回るんです。そうすると、この場所では魚がよく育つようになります」  玲凛は真顔で、 「言葉は決まっていません。ただ、力が強くなるように、願いを込める必要があります。育て、とか、満ちよ、とか。自分の気持ちに沿う言葉なら、人それぞれ違って構いません。そうやって力を大きくするんです」  犀星はふと黙り込んだ。その表情には何かに気づいた気配があった。  玲凛が注意深そうに覗き込む。 「何か思い出したんですか?」 「ああ」  犀星は見渡しながら、 「月に一度ほど紀宗が来ると言っただろう。その時、紀宗は石から石へ巡って何かを言っていた。言葉までは聞き取れなかったのだが」  玲凛は少し考え、 「そいつが、どういう順番で石を巡ったか、わかりますか」  犀星は記憶をたどった。特に気にしていたわけではないが、それでも月ごとに繰り返されれば、自然とその歩みは覚えている。 「確か、扉を入って、右回りに一周していただけだと……」 「こちらですね」  玲凛が備品庫の前の石を示す。 「つまり、紀宗様は木の石から始めたってことですね」  玲陽は眉間にしわを寄せ、真剣にひとつひとつを見つめている。 「最初はどこからでもいいのですか?」 「自分が一番親しみを感じるものから始めるとうまくいきやすいです。私は水の多い場所で育ったから、水から始めました。多分兄様たちもそれが一番やりやすいと思います」 「なるほど。紀宗様も、自分に合うのが木だって知ってるのかもしれませんね」 「だが……」  犀星が低く唸る。 「木は燃えて炎を生み出す。つまり、木の次は火に行かねばならないのだろう? だが、あいつは右回りに順に巡っていた。木の次は、俺の寝室の方……つまり、土の石。外側をぐるりと一周だ」  犀星の目は、緑石から黒石へとまっすぐに移動した。玲凛の眉が歪む。嫌なことに気づいてしまったという顔だ。 「外側を廻る……その順番だと……」  玲凛は少し声をひそめて、 「木から土、水、火、金、そして木にもどる、ということですね」 「そうだ」  犀星は記憶を確かめ、頷いた。  玲凛は深く息を吐いた。 「これは、間違いというわけじゃないんです。巡り方には二種類あるので。力を強くする順番と、反対に、力を弱くする順番」 「力を弱める?」 「|滅《めつ》の順、と呼ばれています。紀宗ってのがやってたのは、それですね」  玲凛は先程と同じように順番に石を示したが、その場を動かず、言葉だけで説明した。 「種子は土を破って芽吹いてくる。木は土を滅する」 「つまり、紀宗は木の力で、土を壊していた、と?」 「そうなります」  玲凛は頷き、続けた。 「土は水を吸うでしょう? だから、土は水を滅する。水は火を消します。だから、水は火を滅する。火は金属を溶かしてしまうから、火は金を滅する。金属で作られた斧は木を切り倒すから、金は木を滅する。これで、一回り」  三人は少し沈黙し、順に石の位置を確認した。 「つまりこの石は……」  玲陽が心細そうに言う。 「力を生み出すこともできれば、力を失わせることもできるってことですね」 「はい。もし紀宗が滅の順で回っていたのだとしたら、いつも五亨庵の力を弱めていたということになります」 「なぜそんなことをする必要がある」  犀星は眉を寄せた。 「あいつは五亨庵の力が失われることを恐れていた。産の順で巡って力を強くすることはあっても、わざわざ弱める必要はないだろう」 「そこなんですよね」  ふと玲凛が顔を歪めた。 「よくわからないです。でも、ちゃんと仕組みを知っていることは間違いないと思う」  玲陽が難しい顔をして、 「紀宗様がここへ来るようになったのは、五亨庵ができてすぐですか」 「最初からだ」 「最初からその道順でしたか」  あえて問われると、犀星にも確信がなかった。 「はじめのうちはよくわからない。ただ、うろうろと歩き回っていた印象はある」 「うろうろ? それなら、産の順だった可能性が高い。それだと、あちこち横切ってうろうろすることになるから」  玲凛が物思いに沈みながら、 「……それなのに、ここしばらくは滅に変わっていた……」 「兄様、前回、紀宗様がいらっしゃったときは、どうでしたか? 私は目を閉じていたので、見ていないのですが」 「前回?」

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