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18 表裏(1)
玲仲咲の名前は、五亨庵でも有名になっていた。
慈圓も緑権も、玲凛の人となりに興味を持った。玲家の息女であり、犀星の従兄妹、玲陽の妹、涼景が重用するほどの戦士、蓮章が一歩引く存在感、となれば、関心が高まるのも必定である。
玲凛とはどんな人物なのか。
犀星に問えば、俺からは言うことは無い、と黙った。
玲陽に尋ねれば、可愛い人です、の一言で終わった。
考えたくもない、と怯える東雨をどうにかなだめすかして聞き出した情報は、玲凛の過激な面が浮かび上がるものだった。
一人で三人前の飯を毎回たいらげる話。薪割りをしようとして、土台の切り株まで一撃で割った話。洗濯をすると言いながら、水に着物を沈めただけで飽きた話。料理を作るからと、厨房ではなく庭で火を起こし始めた話。剣術の稽古は、真夜中に月明かりの下で真剣で行う話。暁隊で既にその地位を確立し、荒くれ者の隊士が玲凛には頭を下げる話。
彼女の話題となれば枚挙に暇がなかった。
慈圓は、玲凛と暁隊との相性の良さに納得した。緑権は生存本能とも言える直感で、恐ろしい相手なのだと恐怖を抱いた。
そして今日、玲凛と二人の官吏は初めて顔を合わせた。
「ほう。確かに、お二人に似ていらっしゃる」
第一声を発し、慈圓は犀星たちと見比べた。
「しかし、それよりも」
慈圓は微笑を浮かべて、
「昔、侶香に自慢された、伯華様のお母上を思い出しますな」
突然振られた話題に、犀星は若干困惑した。
「意志の強い毅然とした目元など、そっくりだ」
慈圓は顎を撫でた。
緑権は、初めはびくびくしていたものの、本性を隠しておとなしく振る舞う玲凛に、完全に油断していた。
「こんなに可愛い方だとは思いませんでした」
実際に本人を目の前にして、緑権には、話に聞いていた人間と同一人物とは思えなかった。
「可憐で清楚で輝くようにお美しい。宮中のどの姫君よりも!」
緑権の賛辞に、犀星も東雨も目を背け、玲陽だけがにっこりと笑った。
「だから、可愛い、と言ったじゃないですか」
玲凛はしおらしく、はにかんで見せる。
「まぁ、陽兄様ったら、恥ずかしい」
恥ずかしい?
犀星と東雨はそれぞれに、ぎょっとした。とてもではないが、玲凛の言葉とは思われない。完全に、緑権はからかわれていた。そうとは露とも知らない緑権は、笑顔で進み出た。
「仲咲どの、緑謀児と申します。わからないことがありましたら、なんなりとお尋ねください」
緑権はいつになく積極的だった。
「謀児様は、頼りになりますのね」
玲凛の仮面にころりと騙され、緑権はうきうきと笑顔である。
東雨はため息をついた。玲凛が、腹の中で爆笑していることは明らかだった。
謀児様、一瞬で見下されたな。
誰が五亨庵に加わっても、最下位が、この怖がりでお人好しな男であることだけは変わらないようである。
慈圓と緑権に一通りの挨拶を済ませ、玲凛は犀星や玲陽の仕事を覗いてまわった。
東雨は、できる限り玲凛の機嫌を損ねないよう、几案や壁で姿を隠しながら、こそこそと普段の仕事をこなしていた。
昼下がり、穏やかな時間が流れていた。
そろそろ茶でも入れようと、東雨は備品庫から顔を出した。玲凛は長榻に座り、書庫から持ち出した竹簡を熱心に読みふけっていた。
東雨は足音を立てずに厨房へ向かった。
その時、出し抜けに内扉が勢い良く開いた。
ドキリと東雨の胸が鳴った。
「星、いるか」
案の定、涼景がいつもの調子で入ってくる。反射的に慈圓は顔をしかめたが、すでに諦めて何も言わない。
「帰れ!」
東雨はすかさず、声を張り上げた。
目が合うなり、涼景は余裕の笑みを浮かべた。その顔に、東雨は思わずたじろいだ。昨夜のやりとりが思い出され、あの時、涼景に感じた認めたくない感情が胸に蘇る。
負けてなるものか、と、東雨は自分の気持ちに立ち向かった。
「どうせまた、面倒を持ってきたんだろ」
「そう邪険にするな」
涼景はにんまりとして、
「歌仙親王殿下の近侍どのに、明日出直せと命じられたゆえ、改めて五亨庵に参上した次第だ」
わざとらしく涼景は東雨に会釈した。
「その話は昨日、終わっただろ」
喉が締まって、東雨の声はわずかにかすれた。
涼景は顔色ひとつ変えず、
「もうひとつ、用件が増えたので」
絶対、わざとだ。
思いきり不機嫌な顔をして、東雨は涼景の前をずかずかと通り過ぎ、厨房へ突進した。それを見送る涼景の目は優しかった。
「涼景様?」
玲凛が首を上げた。
「凛、来ていたのか」
涼景は玲凛の姿を見つけると、少し驚いた顔をした。勝手知ったる五亨庵、さっさと玲凛の向かいに座る。
「暁とは、うまくやってくれているようだな」
「あの人たち、とてもわかりやすいし、面白いです」
「気に入ったなら何よりだ。おまえさえよければ、今後も色々頼みたい」
「お給料、出ます?」
「はずもう」
涼景はニヤリとした。
犀星が自分の席から降りてきて、そっと涼景の横に着く。
「今日はどうした?」
「少しばかり、大ごとが持ち上がってな」
涼景はちらりと玲陽を見上げた。招く眼差しに、玲陽も玲凛の横に座った。
「少しの大ごとって、小さいのか大きいのかわからないわね」
玲凛は首を傾げた。
「難しくはないが、結果次第では国が動く」
涼景は珍しく、自分から慈圓に顔を向けた。
「師匠にも話を聞いていただきたく……」
「言われなくても聞こえている」
慈圓は自分の仕事から顔を上げずに答えた。緑権も木簡で顔を隠しているが、耳はしっかり覗いていた。相変わらず、五亨庵の中で話は筒抜けだった。
涼景は深々と座って、腕を組んだ。
「夕泉親王の話だ」
犀星は真顔で涼景を見た。
「星、|奏鳴宮《そうめいきゅう》のことは知っているか?」
「冬の間に直すと聞いた」
「ああ。俺たちが空き家を潰して歩いているとき、逆に建てていた」
涼景は苦笑した。
「最近、ようやく完成してな。あの親王にしては珍しく、色々とこだわりを見せたとか」
犀星は、しばらく会っていない、兄の姿を思い出した。
夕泉親王は、我欲の強い宝順や、無謀な行動力で知られる犀星とは違い、奥ゆかしく目立たない。それが、昨年の秋、突然に自分の邸宅の改装を命じた。雪のある紅蘭では、冬場の建設は何かと難しい。無理を承知で押し通したことに、一部ではささやかな驚きが広がっていた。
「普段は控えめな夕泉様だから、それくらいのわがままも特に目立つんでしょうね」
東雨が急須と湯呑みを盆に乗せて、犀星たちのもとへ届けた。
「いつも無茶ばかり言っている若様では、文句を言われるでしょうけれど」
「慣れている」
「慣れないでください」
ひとりずつに湯呑みを出し終えると、当然のように、東雨は犀星の隣に座った。
涼景は、ちらりと湯呑みの中を見比べた。
なぜか、自分の分だけ、溢れんばかりに波々と注がれている。
本気の嫌がらせか、それとも甘えゆえの戯れか。
涼景はなぜか、嫌な気がしなかった。
玲凛は、亜塵渓谷での泥沼の捕物劇を思い出した。
「夕泉、って、この前、涼景様がわざわざ護衛して連れ帰った人ですよね?」
涼景はうなずいた。
「そうだ。正式には夕親王。今まで天輝殿に滞在していたが、ようやく、奏鳴宮に落ち着いてな」
「その人が、何の用?」
玲凛の言い方には、皇家に対する配慮は微塵もない。
「夕泉様が……」
涼景は気乗りしない顔で、ちらりと犀星を見た。
「おまえに会いたいから、奏鳴宮へ連れてこい、と」
誰も動かず、何も言わない沈黙が降りた。
反応すべき犀星が、涼景を見返したまま、頷きもしない。
玲陽が、そっと眉をよせた。犀星がこのような態度に出る時、答えは、否、である。
長年の付き合いで、涼景も東雨もそれを察した。
「気が進まないなら、理由をつけて断ろうか?」
「いや」
犀星は首を振った。
「行かねばならない」
「なぜだ?」
「約束だからだ。十年前の」
「なんだ、それは?」
犀星は伏せ目がちに、湯呑みを手に取った。思わず玲陽も同調し、二人揃って茶を飲んだ。一拍早く、犀星が口を離し、
「陽を、会わせる約束なんだ」
突然、名を呼ばれて、玲陽はむせた。
「え? 私?」
「ああ」
犀星は静かな調子で、
「俺が都に来てすぐ、兄上とお会いした時、話の流れで、いつか俺の想い人に会わせると約束した」
一同が、一斉に犀星を凝視した。
「……若様、一体、何をどうしたら、そういう話の流れになるんですか?」
東雨の声はかすかに震えていた。
「経緯は聞くな」
犀星は、声を低めた。涼景がため息をついた。
「どおりで、一緒に陽を連れてこい、と言われたわけだ」
「あ……あの……」
玲陽は湯呑みを両手で包みながら、
「今の話によると、私は、兄様の……」
真っ赤になって震えている玲陽に変わって、玲凛が、
「想い人、ってこと?」
犀星は頷いた。
「そうなる」
「そうなる、って……」
東雨が困った顔をする。
「それって、世の中で言う所の……?」
「そう」
「そう、って……」
あっさりした犀星とは対照的に、東雨の困惑は深まった。
「お芝居の筋書きとかだと、こういう時、決まって邪魔されたり反対されたりするんですよね。夕泉様はおとなしい方ですけど、若様に対する執着は強いですし」
「芝居の話と一緒にするな」
涼景は呆れた。
「だが、星に執着しているのは間違いないな。西苑でも、星はどうしているか、と真っ先に尋ねられた」
「兄上は、情の深い方だ」
犀星の目が、夕泉を懐かしんで優しくなる。
「参りましょう」
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