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18 表裏(2)

 玲陽が、頬を赤らめたまま、唇を横に引き結んで、はっきりと言った。  嫉妬したな。  みなが、同じことを思って玲陽に向いた。どの目にも、少なからず呆れた色があった。 「そういうことなら……」  涼景は乾いた声で、 「都合のいい日時に予定を組もう」  意味ありげに東雨を見て、悪戯な笑みを浮かべた。 「これは、白衣様にお伺いすべきか?」  一瞬、きょとん、とした東雨は、すぐに頬を赤らめた。 「お、俺に聞かれたって……」  犀星が、おまえに任せた、という顔で東雨を見た。全員の注目を浴びて、東雨はわずかに涼景を睨んだ。それから、深く息を吸って、姿勢を正した。 「歌仙親王殿下におかれましては、紅花祭への御臨席をはじめ、玄武池建設に伴う合議ならびに現地ご視察の予定がございまして、今月内は御日程の調整が難しゅうございます。来月三日以降でございましたら、夕親王殿下の御予定を優先のうえ、日程を賜りたく存じます」  一息にまくし立てた。  しん、と、五亨庵が静まる。緑権が小さく拍手を送り、玲凛が、ニッと笑った。 「あんた、やればできるじゃない」 「ばかにするな。どれだけ宮中暮らしが長いと思ってるんだ」 「|耳濡目染《じじゅもくせん》、習わずとも覚える、か」  慈圓が笑った。 「では、その頃に予定を立てよう」  涼景は頷き、満足そうに立ち上がった。  東雨はそっと、涼景の前に残された湯呑みを見た。中はすっかり空になっていた。自然と嬉しさが込み上げ、緩みそうになった頬に力を込めた。 「涼景様」  玲凛が目だけで追った。 「この前、捕まった人、どうなりました?」  なんのことだ、と涼景は首を傾げた。 「ほら、亜塵渓谷で、涼景様に良いようにあしらわれてた……おじさんに捕まった人」 「……備拓様が捕らえた夏史のことか?」 「そう、それ」  涼景は息を吐いた。 「ちょうど、午後から法廷だ。胡断を率いて夕泉様の隊を襲った以上、逃れる術はないと思うが。気になるのか?」 「ちょっと……」  玲凛は、口元に手を当てて、 「あの人、嫌な気配だった。霊的な……傀儡に関わっているかもしれない」 「……凛、おまえ、傍聴するか?」 「ちょっと待ってください」  玲陽が慌てて間に入った。 「涼景様。これ以上、凛どのを危ないことに巻き込むのはやめてください。渓谷の件だけで十分です」 「すまないと思うが、あれは不可抗力だ。俺だって、あんなところには凛たちがいるとは思わなかった」 「私だって、あそこに軍隊が来るなんて知らなかったもの。あれは事故です」 「どちらでも同じです。これ以上危ないことは……」 「陽兄様」  玲凛は諭すように、玲陽に膝を向けた。 「大丈夫です。ただ、法廷を見てくるだけですから」 「それなら、私も行きます」  どこか必死な声色で、玲陽は訴えた。玲凛は無情に、 「陽兄様はだめです。ただでさえ、あの陰陽官に目をつけられているんですから、目立つことはしないでください」 「ですが……」  玲陽は唇を噛んだ。玲凛は安心させるように微笑んだが、目は笑っていなかった。 「私を止めるなら、金輪際、陽兄様とは口をききません」  玲凛は可愛らしく首をかしげて見せた。あまりにもわざとらしいその素振りに、犀星と涼景は顔を見合わせた。あからさまな嘘の仕草にほだされるのは、玲陽と緑権くらいなものである。 「わかりました……」  玲陽は仕方なく頷き、ちらっと、涼景を見た。その琥珀の瞳には、不安しかなかった。涼景は引きつって笑った。 「心配するな。物陰に隠しておく」 「……くれぐれも、お願いいたします」  玲陽は深々と頭を下げた。  夏史は夕泉に対する叛逆の罪で、|刑部《ぎょうぶ》の監視下にあった。その身柄は刑部の地下牢に拘束され、そこから、軍事法廷の場である軍律堂まで護送された。  軍律堂は、北区の中程に設けられた石造りの古い法廷である。苔むした白壁と黒木の梁、大きくはないが、古く堅牢な造りで周囲から浮いた存在感があった。屋根は青銅色の瓦造り、周囲を取り巻く木塀は高く二重になっており、生垣には鋭い荊が植えられていた。  長である|廷尉《ていい》を中心として、常駐の|尚書令《しょうしょれい》や|御史中丞《ぎょしちゅうじょう》が勤め、軍事に関わる裁判ごとを一括して取り仕切っていた。  玲凛は涼景とともに、扁額が掲げられた門をくぐった。  |簀戸《すど》が並ぶ回廊を進んでいく。日差しを遮る影が黒檀の床に揺れ、歩くとわずかに軋みを立てた。回廊に沿っていくつもの部屋があり、地下牢へ続く階段も見えた。  涼景はまっすぐに進み、正面に開かれていた大扉に向かった。扉の奥の大法廷には、すでに多くの人の気配があった。  玲凛は黙って、涼景に続いた。  室内には、外の風が入らず、涼しさと湿気が共存した重い空気が立ち込めていた。天井は高く、太い梁が格子状に走り、埃と古木の匂いが混じっていた。  窓は高い位置にあり、差し込む光は弱かった。窓越しに見える初夏の空は明るいが、堂内は昼でも薄暗く、油灯が並んでいた。軍律の要文が書かれた布が左右に掲げられ、息が詰まる圧力が力強い文字から滲み出ていた。  玲凛は物珍しそうに室内を見回した。  すでに裁定の場の用意が整っているらしく、数名がそれぞれの席で竹簡を見直したり、隣の者と小声で話をしていた。  入り口の正面に審理台があり、ひげをたくわえた険しい顔つきの廷尉が、黒塗りの几案を前にして座っていた。記録係の御史中丞がその横手に控えていた。審理の公平性を保つ|都尉《とい》と尚書令の二名が、少し離れた脇で全体を見守っていた。  左右に証言者席があり、低めの交椅が一列ずつ並んでいた。そこには、夏史との戦闘に関わった備拓と旦次の姿があった。また、軍の代表として、湖馬も召喚されていた。  中央に被告席があり、夏史の後ろ姿があった。縄がかけられた手首が、腰の後ろで締め上げられていた。額や襟元には、じっとりと汗が滲んでいた。足枷が擦れて傷ついた肌が、短い着物の裾からちらりと覗けた。 「涼景様、私はどこに?」  玲凛は小声で涼景を見上げた。 「あの席へ」  涼景は、傍聴席の隅を目で示した。衝立が置かれ、人目を避けて話を聞くことができるよう、配慮されていた。  玲凛は静かにそこに腰掛けた。傍聴席には、軍の関係者や、興味本位の官吏など、五十名を超える者たちがひしめいていた。すでに空席はなく、壁に沿って立ち見まで出る始末であった。  涼景は中程の壁際に立った。斜めから夏史の横顔が見える位置である。  今日の涼景は傍聴人の一人であり、発言権はない。  此度の証人として、涼景より適任は他にいない。しかし、涼景が証人として立つことに、蓮章は強く反対し、備拓に掛け合って取り下げた。追い詰められた夏史が、その怒りを涼景に向けることを、蓮章は案じていた。玲凛が案内された衝立の席も、本来は涼景のために蓮章が用意させたものだった。  涼景は、備拓に目を向けた。備拓も涼景に気づき、小さく頷いた。  廷尉が場内を見回し、静かに開廷を告げた。鳥の声がかすかに聞こえた。人々の間に平坦な緊張感が広がっていく。  夏史は、拘束による疲労の色濃い顔で、じっと前を見つめていた。  御史中丞が、罪状を読み上げた。  胡断と通じ、盗賊行為を扇動したこと。そして、夕親王の命を狙ったこと。  たとえいかなる理由があろうとも、結果として親王に害をなしたことに変わりはない。その時点で、夏史は極刑を逃れられなかった。すでに結果の見えた、見せしめのための法廷だった。 「夏史」  廷尉は席から、呼びかけた。 「いま読み上げられた罪状に、相違ないか」  夏史は沈黙し、証人席の備拓を見た。ふっと鼻で笑うと、それきり、また、黙り込んだ。  廷尉は首を振り、湖馬に証言を求めた。 「そなたは、護衛隊の中で、内通者を捉えたそうだな」  大勢の視線を浴びて立ち上がり、湖馬は顔をこわばらせて頷いた。 「私が拘束いたしました兵は、夕親王殿下を討てとの命を、夏史より直接受けたとのこと。すべては、周到に仕組まれた計画であったと供述しております」  湖馬の話を聞きながら、夏史は表情一つ変えなかった。土気色の顔で、じっと、粘るように前方を睨みつけているだけである。  続いて、旦次が呼ばれた。 「そなたら、現場に遭遇したと聞くが、相違ないか?」  廷尉に問われ、このような格式ばった場所に慣れていない旦次は肩をすくめた。 「俺たちは、ただ、あそこに狩りに行っただけです。人気のないところだと思ってたが、突然騒がしくなって……」  ちらりと、旦次は傍聴席の涼景を見た。 「偶然、仙水……様にお会いして、指示に従いました」 「そなたの目に、夏史はどのように見えた?」 「ど、どのように……?」  旦次は考えながら、 「とにかく、焦ってたっていうか、仙水様にやみくもに突っかかって……胡断の連中も、そいつの指示で動いてたので、通じていたと思います」  廷尉は続いて、備拓を促した。備拓は静かに立ちあがった。 「夏史は左近衛副長の任にあり、燕将軍が夕親王殿下を警護していた事実を知っていた。その上で、将軍に刃を向けたとなれば、すなわち、殿下への敵意であると見なされてやむなきこと。正規軍内に密偵を潜伏させていたことから、計画的犯行であることも明白。捕縛した胡断数名からも、裏付ける証言が上がっている」  備拓の話しぶりは、終始、落ち着いていた。 「その行いは到底容すべからず、近衛の信頼、陛下の臣下たる名誉を損なうに値する。だが……」  備拓はじっと、夏史を見つめた。

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