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20 比翼の鳥(2)

 乱雑な太刀筋に翻弄されながら、犀星は素早く攻撃を交わし、隙をついて強く打って出た。一人の体勢を崩し、その隙に二人をさばく。剣術に体術を交え、牽制して距離を離す。  剣戟の響きが、路地に溢れる。靴が土を滑り、乾いた音を立てた。土煙が膝下に立ち込め、風が旋風を巻いて視界を曇らせた。  一撃を、犀星は体勢を低めて全身で受け止めた。体が押され、後ろにずり下がった。そのまま押し返すには、一撃は重過ぎた。横からもう一人が腹を狙った。地面に転がり、寸でのところで避けたが、体が壁に阻まれ逃げ場を失う。  三人目の刃が、鋭く突き出された。着物が裂け、脇腹に鋭い痛みが走った。体勢を立て直すより早く、次の一撃が降ってきた。隊士が振り下ろした刀が犀星の眉間を狙う。犀星の全身が総立ち、四肢が凍りついた。  隊士の刀が額を割るより早く、白い影が間に踊り込んだ。  ひときわ大きな金属音が響き、玲陽が自らの大太刀で極どい一撃を受け切った。  その隙に、犀星は飛び跳ねるように立ち上がった。  見れば、駆けつけた隊士二人も既に傀儡に体を支配され、こちらに刃を向けていた。 「五人か」  犀星はちらりと玲陽を見た。  額に汗が浮き、頬に垂れている。息が酷く乱れ、呼吸の音がした。まだ、傀儡を浄化しきれていない。  それでも玲陽のまなざしは強かった。 「全員、喰らいます」  その言葉に犀星は耳を疑った。 「だめだ、おまえがもたない!」 「助けるにはそれしか……」  その苦しみを想像して、犀星が険しく顔を歪めた。玲陽は素早く目配せした。 「大丈夫、私には、あなたがいます」  犀星の顔に、多くの感情が駆け抜けて、最後は静かな覚悟が宿る。鋭く蒼い目が、隊士たちを見回した。 「わかった、突破して、彼らの退路を断つ。町に出られると厄介だ」 「はい」  乾いた風が土埃を巻き上げた。  狭い道を塞ぐように、五人の影が立ちはだかっていた。左右は高い木塀に囲まれている。  刃が初夏の光を受けてまばゆく光る。傀儡憑きたちの瞳は虚ろで、明らかに人の意思はない。  やるしかない。  犀星が一歩、前へ出た。蒼い髪が風に舞い、視線は冷ややかに敵の動きを探った。その横で、玲陽が静かに黒衣の裾を払った。金の瞳に光が宿る。 「陽、表を」 「承知」  短い言葉。それだけで呼吸が合う。  二人の間に、風が通る。  五人の隊士が同時に動いた。  金属の軋む音が路地の空気をつんざいた。玲陽が一歩踏み込み、敵の斬撃を肩越しに受け流した。素早く隊士の腕を掴み、捻るように地へ押し伏せる。  その動きの間に近づいた二人目の剣を、犀星がひらりとかわした。そのまま数歩壁を走って飛び上がり、柄の底を鎖骨の下に打ち込んだ。無音のまま、敵が崩れ落ちた。  呼吸がひとつ、ふたつ。  互いの息づかいだけが、耳の奥に響く。 「|右二《うじ》」  玲陽の声が、犀星に届く。犀星は頷かず、ただ足音で応えた。ふたりの動きが重なり、刃と刃の間を、舞うようにすり抜け、互いに背を預けた。 「|交《こう》」  間を空けずに犀星が指示する。足運びが鏡写しに入れ替わる。玲陽が左へ跳び、犀星が右へ流れる。すれ違う瞬間、風圧が生まれ、衣の裾が擦れ合った。  二人の動きはまるで一つの生き物だった。敵の剣が空を斬り、勢い余って体勢を崩した。その隙に玲陽が肘でみぞおちを突き、犀星が肩を打って体勢を崩した。  残る隊士たちが、突進してきた。  犀星が低く呟く。 「|跳礎《ちょうそ》」  玲陽が前へ走り出す。犀星はその背に足をかけ、跳躍した。玲陽はその反動を利用して、身をひねり敵の腕を払った。  空中で犀星が手を差し伸べていた。玲陽はその手を掴んだ。二人の掌が触れた瞬間、風が弾け、敵の頭上を飛び越えた。  揃って着地し、振り返る。  一度は倒れた隊士たちが、よろめきながら立ち上がっていた。犀星は玲陽を守って一歩出た。  騒ぎに気付いた人々が悲鳴をあげ、それを聞きつけた三番隊が集まってくる。 「彼らを抑えろ! 傷つけるな!」  犀星の声に、三番隊が傀儡付きに飛びかかった。予想外の力に苦戦しつつも、数の有利を生かして数人がかりで捩じ伏せた。  玲陽は一番近い隊士に駆け寄った。犀星は帯を解いて袍を脱ぐと、玲陽の顔をそっと隠した。犀星の着物の下で、玲陽は隊士から傀儡を喰らった。白い喉が震え、腹の中に膨れ上がる圧力を感じて、低く呻く。  傀儡が離れた隊士は一気に力が抜け、気を失った。  犀星は玲陽を胸に抱き、浄化が済むまで共に耐えた。  玲陽の消耗は激しく、息も絶え絶えに悶える力すら削られていく。それでも、一人が落ち着くと、すぐに次を飲み込んだ。その度に、場の混乱は次第に鎮まっていった。犀星の配慮に守られて、玲陽は最も見られたくない姿を知られることなく、密やかに、そして壮絶に、悪意を飲み込み続けた。  遠巻きに様子を見ていた人々をかき分けて、蓮章が姿を見せた。その時、玲陽は最後の一人を傀儡から解放し、犀星の襟にしがみついて震えていた。 「何が……」  と、言いかけて、蓮章は黙った。  ただじっと、犀星を見下ろす。  玲陽を抱きしめ、犀星は静かに泣いていた。  意識をなくした玲陽を抱き、犀星は寝室の板戸を静かに閉めた。 「せめて、止血くらいしろ」  蓮章は扉の合わせ目に声をかけた。中から返事が返ってくることはなかった。犀星は自分の傷さえ放置して、玲陽だけを見ていた。  回廊に追い出された蓮章は、不満顔で戸の前に立ち、中庭へ目を向けた。  ここからは、犀星の寝室に向かう道が一望できた。  誰も通すな、と言われた以上、それは絶対である。日頃の素行がどうであれ、ひとたびそれが命令となれば、蓮章は迷いなく忠義に従った。  中庭と渡り廊下へ目を向け、黙り込む。  暁隊の警備中の不手際は、三番隊を始め、左派にとって格好の笑いの種だ。だがそれよりも、玲陽の疲弊と、鬼気迫る犀星の様子の方が何倍も気になった。医者は呼ばなくていい、と犀星は言った。玲陽に関わることである。犀星が甘い判断をするとも思われず、蓮章は余計な勧めはしなかった。だが同時に、万が一に備えて、安寿の元に知らせを送っていた。  歌仙親王と玲陽が、何らかの争いに巻き込まれ、危機を脱するために戦いを余儀なくされた。そしてあろうことか、二人を襲ったのは警備に当たっていた暁隊士であり、当時、彼らは自我を喪失していた。  犀星と玲陽は危機を脱したが、犀星には刃による負傷があり、玲陽は原因不明の昏睡状態である。  意識を取り戻した隊士は、傷はないものの直前の記憶が欠落し、酷く混乱していた。守るべき犀星に刃を向けたことは、涼景からの信頼を糧に生きる隊士にとって、あまりに大きな落胆だった。涼景は親王宅を蓮章に預け、暁番屋に向かった。傷ついた彼らの心を支えられるのは、涼景を置いて他にいなかった。  周囲に集まっていた人々も混乱して、状況を説明できる者はいなかった。  そんな不透明な現状において、蓮章がやらねばならないことは、明白だった。  戸を開けないこと。  それだけだ。  犀星は腹に傷を負っていた。幸い致命傷ではないが、戦闘の最中、庇いもせずに動いたため、着物には広く出血が沁みていた。  玲陽に外傷は見られなかった。ただ、強い毒に侵されたように、体を痙攣させ、呻き、意識が薄れていた。蓮章が駆けつけた時は、犀星にしがみつく力が残されていたものの、すぐにそれも尽き果て、呼吸すら途切れるのがそばで見ていてもはっきりとわかった。  玲陽のことは俺に任せて、誰も近づけるな。  それだけをきつく命じて、犀星は寝室に引きこもったのだった。  静かに立つ蓮章の耳が、ぴくりと震えた。  板の戸は分厚く、音を遮断する。それでも時折、息遣いと木が軋む音が聞こえた。殺しきれない乱れた呼吸と呻きが、幾度となく伝わってきた。  そんなはずはないだろう、と思いながら、その声の中に混じる色気を感じて、蓮章は首を振った。  俺はどうかしている。今は陽の命を助けることが第一のはず。まさか……  左右異色の瞳が昼の明かりの中で揺れた。  太陽が頭上を過ぎ傾き始めても、何も手を打てず、しかしこの場を動くこともできなかった。  傷ついた玲陽は、犀星に預けることが最善だとわかっていても、ぼんやり立っているだけというのは、蓮章の性分に合わなかった。無意識に庭の中を視線が彷徨った。蝉の声がまた、聞こえ始めた。  門の方で騒がしい声が上がった。蓮章は顔を向けた。  姿を見る前から、誰が来たかの想像は容易だった。声が若く、足音が慌ただしい。  すぐに、回廊を走って玲凛と東雨が姿を見せた。蓮章は板戸にもたれていた体を起こすと、二人の進路に立った。 「蓮章様!」  東雨が疲れた顔で息を切らして、蓮章を見上げた。服は濡れて、川にでも落ちたようである。 「東雨、どうした、その格好」 「いろいろあったので」  東雨は呼吸を整えた。玲凛がたまらない、という顔で首を伸ばした。 「陽兄様が倒れたって、街の人が……兄様たちは、寝室ですか?」  蓮章はちら、と板戸を見て、 「ああ、開けるな、と親王の命令だ」  玲凛が睨む。疲れているのか、その視線には遠慮も労わりもない。露骨な不満が突き刺さる。 「蓮章様、また、役立たずだったんですか?」  玲凛の一言は鋭い。 「すまない。ここへ来た時には、もう、全部終わっていた」 「陽兄様……」  玲凛が東雨を押しのけ、早足に板戸に手を伸ばした。 「待て、凛!」  蓮章が、慌てて立ち塞がった。 「開けるなと言ってるだろ。二人とも、無事だ」  おそらく。  蓮章は全てを言わず、期待にすがった。 「今、親王が介抱をしている。心配ない、任せておけばいい」 「陽兄様、怪我したんですか?」 「いや、疲れただけだろう。怪我をしたのは親王の方だ」 「若様がお怪我を?」  飛び込んできた東雨を、蓮章は押し返した。 「深手じゃない。止血をすれば問題ない」 「どうしてこんなことになってるのよ?」 「それは俺が聞きたい」  蓮章はすり抜けようとする玲凛の袖を鷲掴んだ。 「若様! ご無事ですか!」  反対の手で、東雨の帯を引いた。 「静かにしろ、休ませてやれ」  回廊に、三人の大声、もみ合う衣擦れと足音がせわしなく響いた。  それでも板戸の奥は、重たい静寂だけで満たされていた。  蓮章は全力で二人を下がらせると、とりあえず回廊の隅に座らせ、自分は板戸の前に戻った。どっと疲れが出た。

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