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朝活再開

 週明けの八時二十五分。東はいつも通りパッとしないスーツ姿で北口に現れた。記憶の中のイメージと一致して安心する。そうだよな、東ってこういうやつだったよな。 「おはようございます」 「はよ。お前また五分前集合に戻ってんじゃねーか、先週のはなんだったんだよ」 「先週はシンプルに一睡もしていなかっただけでして、流石に継続できそうにありません。多少眠った上での出勤は現状この時間が限界です」  そうか、と返事をして歩き出した。 「そんで土日は眠れたのか?」 「土曜日は眠れましたが、夢を見ないほどの熟睡ではなくて。確か、朝霧さんを抱いていた夢を見たと思います。そういえば先日言い忘れましたが、朝霧さんって感じやすい方ですか? 今まで寝てきた人の中でも声が結構──」 「夢の詳細まで要らねえから。眠れたかどうかの事実だけ聞いてんだよ俺は」  そういえば、って朝から聞いてくる内容じゃねえだろ。思い出させんなよ。 「ああ、失礼しました。土曜日は申し上げた通りで、日曜日はまた眠れなくなりました。大体三時間くらい浅い眠りと覚醒を繰り返していた感じです」  たぶん土曜日は朝まで俺が一緒だったから多少眠れたんだろう。俺の存在を肌で感じられた日は眠れるのか? ……意味分かんねえけど、こいつなら有り得るからな。 「薬は飲んでるのか? 病院で処方してもらってるか聞き忘れてた」 「学部生時代に処方してもらいましたが、副作用が酷かったのと途中から効かなくなってしまってやめました。精神面の影響が大きいので、カウンセリングの方が良かったです」  話しているうちにコンビニへと到着した。入店チャイムが二人を出迎える。 「お前がコーヒー飲めないって言ったのも、眠れなくなるからだろ。カフェオレじゃなくても別にいいぞ」 「いや、カフェオレが良いです。朝霧さんから毎朝頂くカフェオレが、俺の中で大事なものになっていて。これがあるから毎日気合いで起きて頑張ろうって思えるんです」  東って案外天然タラシなのかもしれない。無自覚でこういうセリフを言ってくるから、こっちがむずむずしてくる。 「……そうかい。でも、ずっとじゃねえからな。お前がちゃんと朝起きるためにやってるってこと、忘れんなよ」 「もちろんです」  二人で缶を持ってコンビニを出た。口にしたコーヒーが甘く感じる。最近味覚がおかしいのかもしれない。 「前に言った通り、お前が眠るためにできそうなことをいくつか考えてきた。メモ送りたいから、悪いけどプライベートのスマホ出して」 「業務用端末ではなく、ですか?」 「考えてもみろ、そもそも上司と一緒じゃなきゃ寝れない部下って一般常識を外れてんだよ。その前提で作ったメモ、誰かに見られたら一巻の終わりだ。業務用端末って全部IT部がログ取ってるから、いつバレてもおかしくないぞ」  理由を理解した東は素直にスマホをポケットから取り出した。リストを送っていると東が口を開いた。 「……電話番号教えていただけませんか? リストに“朝霧さんと夜寝る前に電話する”って付け加えていただきたくて。試してみたいんです、声だけでも安心できるものなのか」 「寝落ち通話とかいうやつ? 俺、そういうの苦手なんだけど。毎日はさすがに勘弁してくれ」 「いや、そこまで拘束はしません。本当に眠れなくて辛い時の保険として持っておきたいんです」 「それならいいけど」 メモと合わせて電話番号もそのまま送った。 「東って安心したら眠れるんだろ? 調べたけど、やっぱ五感に訴えかけるのが良いと思う。だから、これ使って試してくれ」  小さいスプレーボトルを東に手渡した。 「これ、何でしょうか。良い香りがします」 「俺が会社に付けてきてる香水。これ寝る前に使えば落ち着くんじゃねーかなと思ってさ。好きな香りの系統たぶんお前と一緒だし、手軽だから最初にやってみるにはちょうど良いだろ」 東が目を丸くした。 「今日やってみて明日報告してくれ。しばらくは五分前に駅着いても不問にするから」 「承知しました。……自分の使ってる香水渡すって、なかなか朝霧さんも大胆ですね。俺、結構驚きました」 「なんか勘違いしてねえか、お前が眠れるように色々考えてやってるだけだぞ」 「俺の香水も要りますか? 朝霧さんも寝る前にぜひ使っていただければ」 「要らねーよ!」  コーヒーを飲み干して近場のゴミ箱に捨てた。金曜日に鼻を抜けていった強いウードの香りを思い出して、身体の芯が甘く震える。香水は記憶と強烈に結びつくところが好きでもあり、嫌いでもあった。  オフィスの自席に座って業務の準備をしていると、課長から声をかけられた。 「朝霧、朝礼の前に東と会議室来れるか」 「えっ……と、承知しました、すぐ行きます」  一気に嫌な汗が額に滲んだ。わざわざ会議室に呼ばれるようなこと、最近あっただろうか?  しかも、東と二人で。なんとか平静を装って返事をしたつもりだが、動揺が顔に出ていないか不安で仕方がない。まさか、金曜日のことがバレたとか?  あの日俺はスーツ姿のままだったけど、東は私服だったから分からないはず。でも、裏道とはいえ堂々と路上でキスしていたのは事実だ。誰かが見ていたとしてもおかしくない。上長としては風紀の乱れが気になるだろうから、それで俺たちを呼んだのか?  何も知らない東が呑気な顔で席に戻ってきた。 「東! ちょっとコーヒー飲むついでに給湯室行かないか」 「え、もうさっき飲みましたけど──」 「いいから!」  無理矢理席を立たせて給湯室に連れてきた。状況が飲み込めない東は困惑した顔で俺を見つめている。 「要件だけ言うわ、さっき課長に会議室呼ばれた。お前と一緒に来いって」 「え、それが何か──」 「さすがに無いとは思うけど、金曜のことがバレた可能性もゼロじゃない。何か聞かれても余計なこと言うなよ」  目に見えて東が動揺した。 「朝礼始める前に来いって言ってたから、この後パソコン持ってすぐ行くぞ」 「朝霧さん、どうしたらいいでしょうか」 「別にいつも通りの顔で座っとけばいいよ。どうせほとんど喋るの俺だし」  二人で不安を抱えたまま会議室で課長を待った。心臓が痛いくらいうるさい。何を聞かれるのだろうか。 「待たせて悪いな」 課長が入ってきた。手ぶらだ。 「ちょっと聞きたいことがあってお前ら二人を呼んだんだ」  膝の上で拳を握る。いきなり本題から入るのだろうか、心の準備ができていない。平常心、平常心──……。 「東が入社してもう三か月目だよな? どうだ、会社には慣れたか」 「…………え?」 これだけ? 「新卒は三か月目に上長と教育担当含めて面談するのが恒例でな。別にスケジュール組んでわざわざやる必要もないかと思って直接呼び出した」  不安になって損した。先週末のハプニングに気を取られて、既に六月に入っていたことすら意識が向かなかった。東と過ごしてまだ二か月しか経ってなかったのかよ。 「朝霧って結構適当なやつだろ。まあなんだかんだ面倒見はいいから、東ぐらいきちんとした新卒と相性いいかもしれないな」  課長はそう言って笑った。東の何を見て“きちんと”って言ってんだか。すっかり事情を飲み込んだ東も笑っている。 「とんでもないです。朝霧さんのおかげで前より眠れるようにもなりましたし、すごく助けられています」  この馬鹿! 正直に自分の近況報告するやつがどこにいるんだよ! 「やっぱり学生の頃とは環境もガラッと変わりますから、東も緊張して寝付けない日もあったみたいですね。最近は議事録も取るのが上手くなりましたし、独り立ちもすぐできると思います」  早口で課長に説明して、なんとか不自然にならないよう取り繕った。テーブルの下でバレないように東の足を蹴る。 「そうかそうか、まあなんかあったら相談してくれよ。朝霧以外にもコンサル部にはメンバーがいるからな」 「はい、ありがとうございます」  東はにこりと笑って頭を下げた。見てくれだけは抜群に良いから、笑うだけで課長もご満悦だ。 「今日は二人に任せたい案件の話がある。朝霧、前に会議室のリノベ担当したN社覚えてるか?」 「あのバックオフィス業務のサポート事業やってる会社ですよね。覚えてますよ」  練習として東に議事録を取らせた打ち合わせだったから、妙に記憶に残っている。使用頻度の少ない会議室の代わりにフリーデスクを設置した、あの案件か。 「あれからさらにリモート化が進んだらしくて、WEB会議できるスペースをもっと作りたいって連絡が来たんだよ。執務フロアだけの限定的な案件だから、サブ担当に東をつけて一緒にやってくれないか」 「承知しました。向こうの担当者って前と同じですか?」 「ああ、前と同じ榎本(えのもと)さんだ。アポ取って初回のヒアリングから頼む」  教育担当をやりながら別案件を走らせるなんて。東の顔をちらりと見ると、心なしか目が少し嬉しそうに見える。 「じゃあ二人で協力して頑張れよ。今度東も入れてリノベ課で飲みでも行くか」 「ぜひよろしくお願いします、コンサル部の皆さんともお話させていただきたいです」 「唯一の新卒だから皆喜ぶと思うぞ。じゃあ俺はこれで」  ひらひらと手を振って課長が会議室から出ていった。パソコンを閉じて自分も後に続こうとすると、東から「朝霧さん」と声を掛けられる。 「何だよ」 「初めての案件が朝霧さんと一緒で嬉しいです。俺が議事録取った会社ですよね? 頑張ります、よろしくお願いします」  自分にとっては面倒な案件の一つという認識でも、こいつは初めての仕事なのだ。そんなに期待するほど良いもんじゃないぞと言いかけた言葉を飲み込む。 「……まあ、よろしく。じゃあ早速榎本さんと打ち合わせ日程組むから、パソコン開いたままにしといて」  面倒ごとが増えてしまった。暇な時はとことん暇なのに、忙しくなると雪だるま式に仕事が増えていってしまう。東に見えないように肩を竦めた。  翌朝、改札出口でスマホを見ながらぼうっと立っていると、満面の笑みで俺の方に背の高い男が歩いてきた。東だ。 「朝霧さん、おはようございます。昨日、頂いた香水付けました」 「おお、随分今日はテンション高いな。どうだった」 「眠れました。いつもより深く眠れる時間が長くなって、だいぶ体も楽です」  どうやら効果があったようだ。あまりにも嬉しかったのか、東が距離をどんどん詰めてくる。 「おい、お前喜ぶのは良いけど近寄ってくんなよ。職場でも距離感気を付けてくれ、一回寝たら大体のやつが無意識のうちに距離近くなるもんなんだから」 「あ、すみません……でも、本当にすごいです、何をやってもだめだったのに。香水、自分でも買うので品名教えていただけますか?」 「お前まで職場に付けてこないよな? それが約束できるなら教えてやる」 「約束します。……でも、休みの日は使ってもいいですか? 風に吹かれて香ったりするとすごく落ち着くから」  香水被り、あんまり好きじゃねえんだけどな。しかし、東の場合は睡眠に関わってくるから厄介だ。プライベート用の香水を後で買いに行こう。オフの日くらいは東のことを考えたくない。 「分かったよ。後で商品のリンク送るから、勝手にしろよな。しばらく続けてみて、これで問題なければいいけど」 「もちろん起きられるように努力はしますが、そうなったら朝霧さんと朝に会えなくなる。朝活終わっても、担当案件が終わっても……俺と一緒にいてください」  こいつ本気で言ってんのか? 捉えようによってはまるで告白されているみたいだ。いつもと同じ表情だから、おそらく恋愛感情とかではないんだろうが。頬が熱くなっている自分を、もう一人の自分が冷静に眺めている。東はこういうことを何も考えずに言えるタイプだ。振り回されるだけ損だから落ち着け。 「……まあお前次第だけどな。別に転職とかしない限り東と同じ職場だろ、そんな重く考えるなよ」  数年後も東と一緒? ……俺は考えたくもない。黙ってコンビニに向かって歩き始めた。 *** 「朝霧さん、お久しぶりです。以前ご提案いただいたフリーデスクがかなり好評でして。それで今回もお声がけさせていただきました」  榎本さんは俺より少し年上の男性担当者だ。前回担当案件から継続して指名してもらえるのは素直に嬉しい。東は今回議事録担当にして、打ち合わせの雰囲気を掴ませることにした。 「光栄です。今回はWEB会議スペース増設と伺いましたが」 「そうなんです。在宅やシェアオフィス勤務社員の増加で社内のWEB会議がボトルネックになっておりまして」 「今御社は二階から四階までが執務フロアですよね? 引越しを伴う場合はその分スケジュールも長めに取りますが、部署の配置希望はございますか」 「それが特に無いんです。上には引越し許可取ったので、効率重視の案を複数いただきたいです」 「かしこまりました。では、部署別社員数を教えていただけますか? 叩き台を作ってきますので、次回打ち合わせで詰めましょう」 「助かります、よろしくお願いします」  その後スケジュールの確認をして東と一緒にN社を出た。一週間後、提案資料を元に打ち合わせ予定を取り付けたから一気に忙しくなる。 「東、今日中に議事録送ってくれ。俺はまずオフィス家具担当と相談するから」 「承知しました」  今までは自分の仕事だけ考えていれば良かった。しかし、教育担当になれば東のことも考えた上でスケジューリングが必要になる。仁科はこれを涼しい顔でこなしていたのかと思うと、改めて尊敬の念が湧いてくる。東が独り立ちしたら、しばらく教育担当は断ろう。 「東、俺が送った資料読んだか?」  昼休憩から戻ってきた東に声を掛ける。朝活をやるようになってから、東の昼寝時間も短くなったようだった。 「拝読しました。いくつか伺いたいことがあるので、このまま話をしてもよろしいでしょうか」 「ああ、いいよ」 「誤字脱字の確認をして、気になった箇所に全て赤字で書いておきました」 「え、お前誤字脱字チェックやってくれたの?」  俺はとにかく文章を書くのが嫌いで、特に誤字脱字のチェックほど嫌な仕事はなかった。文字を見ているだけで眠くなるのに、確認なんてやりたくなるわけがない。それでいつもペアを組んだ担当に小言を言われることが多かった。でも、東は自発的にチェックをしてくれて、さらには赤入れまで済ませている。 「マジで助かる。東って文章書いたりチェックしたりすんの、嫌じゃないのか?」 「今まで法律の勉強ばかりでしたから、文章に抵抗はありません。チェックについても基本的な文法知識はあるので、この文量であればすぐに終わります」  すっかり忘れていたが、東は数か月前まで勉強漬けの毎日を過ごしていたのだ。確かにこの程度の文章を確認することくらい造作もないのだろう。 「あと、WEB会議ブースについても一点よろしいでしょうか? クローズ型のものは消防法が絡んできますから、導入に手間がかかると書き添えた方がいいかもしれません。もし特例申請が必要な場合は俺が書類を作成します。提案時に必要であれば先方にその旨お伝えください」 「……初めて東のこと見直したかも」  それは良かったです、と東が微笑んだ。今までこいつのことは『世話をするべき新人』としか認識していなかったが、もしかしたら凸凹を補い合えるパートナーになるかもしれない。二人で肩を並べて仕事している姿を想像して、少し良いなとか思ってしまった。  ……この間まで一刻も早く離れたかったのに、ちょっと良いところが見えたらすぐこうだ。俺は馬鹿なんじゃないか。一度一緒に寝たくらいで絆されるわけにはいかない。 「法律の話は正直あんま分かんねえから、話が出たら頼む。サンキューな」 「ええ、お任せください。お役に立てればこれ以上の喜びはありませんから」  東の顔を正面から見られない。自然体でいようとすればするほど、“自然”という言葉から離れていく気がした。わけわかんねえよ、もう。

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