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眠れない夜
榎本さんにリノベパターンをいくつか書いた資料を見せると、いたく喜んでくれた。
「やっぱり朝霧さんのところに頼むと、画像付きのフロア図面出してくれるから助かるんです。視覚的に分かると上にも話を通しやすいので」
うちの会社は文具メーカーとして飯を食ってきたから、提案書へ入れ込むイメージ画像にめちゃくちゃこだわっている。イメージが掴めない商品を、誰も買いたいとは思わないだろう。
「四階は人事部のフロアなので、クローズ型のWEB会議ブースを設置したいなと思っていまして。この導入に手間が掛かる、というのは工事のことですかね?」
俺が説明しようとするより先に東が口を開いた。
「おっしゃる通りです。クローズ型のブースは、他のタイプと違って『居室』の扱いを受けますので、消防法が関わってきます。そのため、工期が長い上に火災報知器の設置や定期点検による適切な維持管理も必須になり、それがどこまで許容できるかを御社に伺いたかったんです」
こいつ、本当に東か? 自分のやってきた法律関係だからということもあるだろうが、澱みなくクライアントとやり取りができている。
「え、そうなんですか? それは知りませんでした……他のタイプだともう少し簡単になりますかね」
「上部がフルオープンになったタイプであれば、火災が起きた際にも外の音が聞こえますから、消防法に抵触する心配がありません。値段もクローズ型よりぐっと下がります」
榎本さんは顎に手を当てて資料を読んでいる。おそらく機密事項を扱う打ち合わせをどこで行うか考えているんだろう。
「採用や給与に関する打ち合わせってどれくらいありますか? 多くないなら会議室対応を継続するのが安全です。音漏れしませんし、ブースは軽微な日常のWEB会議に回せば効率的ですよ」
「ああ、確かに言うほど機密事項を扱う打ち合わせって無いかもしれません。それではなるべく設置が簡単なものを全フロアに置いてください」
結果、三フロアに上部フルオープン型のブースを設置することが決まった。四階の空きデスクを共用のWEB会議専用エリアに転用し、利用ルールも整えた。大規模な移動なしに要望も拾えて、なかなかいい提案ができたんじゃないか。
打ち合わせが終わった後、数瞬だけ東の横顔を眺める。社内で隣り合わせに座っている時とも、ベッドの上にいる時とも違った表情をしていた。東がもう俺の手を借りなくてもいいことは、誰の目にも明らかだった。
「朝霧さん、打ち合わせありがとうございました。俺、機密事項を扱う会議のことまで考えられなくて。あそこでサポートいただかなければ話もまとまらなかったかもしれません。もっと勉強します」
N社を出て帰る途中、東が話しかけてきた。本当に朝が弱くて世間常識が無かっただけで、根はかなり勤勉なやつだということも分かってきた。起きれるようになりさえすれば、東はメキメキと頭角を現していくだろう。ようやくお役御免だ。思ったより早くこいつから解放されそうで、かなり嬉しい──はずだった。
しかし、俺の胸の中はなぜかものすごく苦しい。三月に上長面談をした時の景色が蘇る。教育担当なんて嫌だったはずだろ、特に東の相手してた時はため息ばっかり吐いてて、それで──。
「あれ、朝霧さんどうしたんですか。俺が勝手に口出ししたこと、まずかったでしょうか」
顔を上げて声の方を向くと、俺を凝視していた東と目が合う。
「あ、ああ……悪い、考え事してた。まずいなんてことねえよ、むしろお前が説明してくれて助かったわ。勉強は東の方が得意なんだし、早く仕事覚えて俺の上司になってくれ」
「嫌です、俺の上司は朝霧さんが良い。二人で一緒に出世しましょうよ」
簡単に言ってくれる。そこまで苛烈な出世競争の無いうちの会社でも、さすがにそう易々と上がれるわけはない。ただ、東が当然のように将来俺と一緒にいることを選択していて、胸の動悸が強くなっていく。
……ヤバいかも、これ以上何も考えたくない。千々に乱れた思考を振り払うように早足で歩いた。
***
朝も日中も東と過ごす日々がどれくらい続いただろうか。N社用のWEB会議ブース手配も完了して、あとは施工を待つだけという状態になった。東は放っておいても勝手にリノベの勉強をしているから、本当に俺より先に昇進しそうな気がしてくる。
この間のN社を出た時の変な動悸の原因は結局分からずじまいで、健康診断も特に問題はなかった。一体何だったのだろうか。
案件も順調だし、東も朝の集合時間八分前には駅に到着できるようにはなったし。朝活用のリストもほとんど試し終わっていたから、もう何も心配することはない。定時で上がれた日くらいは自分で料理でもしよう。家に向かう途中で方向を変えて、スーパーへと歩き出した。
「やべー……、寝てた……」
家に帰ってきて料理して、酒を飲みながら食べたところまでは記憶があった。気づくとリビングで眠っていたらしい。飲んでいたビールはすっかり泡が抜けていた。
あと数分で日付を超えてしまう。シャワーを浴びて寝ようと腰を上げた瞬間、テーブル上のスマホが勢いよく振動し始めた。誰だよ、こんな夜中に。どうせ酔った仁科だろうと画面も見ずに電話に出た。
「おい、こんな夜中に何の──」
「……朝霧さん」
「え、東?」
耳からスマホを離して画面を確認すると、電話をかけてきたのは東だった。なぜこんな夜中にわざわざプライベートのスマホにかけてくるのだろうか?
「どうした? なんかあったのか」
「久しぶりに全然眠れなくて……お願いです、少しで良いので話をしてもらえませんか」
そういえば、東が眠れない時の保険として通話をしたいと言っていたな。「いいよ」と返事をしてソファーに腰掛けた。
「……昨晩、また学部生時代の嫌な夢を見たんです。それからずっと目が冴えて仕方なくて」
「そうか、それはしんどかったな。こういう時って別の話題振った方がいいのか? それとも黙ってた方がいいのか」
「何か少し、話していただけませんか。なんでもいいんです、最近ハマってることでも読んだ本でも、今日の夕飯でも」
じゃあ俺が今日食った飯の話するわ、そう言って一人でぽつぽつと話し始めた。時折東が質問したり相槌を打ったりして、まるで恋人同士の電話みたいだ。少なくとも会社の部下とプライベートでわざわざ話す内容ではない。
「朝霧さんの声、やっぱり安心できます。俺、さっきまで呼吸も浅くなってたんですが、今はだいぶ落ち着いてきました。おかげさまで眠れそうです」
「ああ、それはなによりだな。じゃあそろそろ切るか」
「待って」
耳からスマホを離そうとした瞬間に東が引き留める。
「今日は本当にありがとうございます。そして夜遅くに電話してしまってすみません。また、電話してもいいですか。朝霧さんの声、好きだから」
“朝霧さんの声、好きだから”
頭の中で最後の一言がリフレインする。東は天然タラシだから簡単に好きとか言うんであって、特に意味なんかないはず。何度も言い聞かせてきた。それでも、好きになってほしいのは声だけではなくなってしまった。認めたくなくてずっと気付かない振りをしていた。俺、東のことが──好きなんだ。
震える声でおやすみと伝えて電話を切った。東はきっと安心してすぐに眠りにつくだろう。しかし、さっきまで居眠りしていたことを差し引いても、俺はとても眠れそうにない。今までコーヒーの味がおかしくなったりとか、変な動悸がしたりとか、全部このせいだったのか。
ようやく納得はできたが、だからといってどうすればいい? 朝活の最中に告白する? 家に呼び出す? ホテルに連れ出して、俺をまた抱いてくれと頼む? 前の彼氏はゲイバーで出会ったから、わざわざ告白がどうとか考えなくても自然と付き合っていた。でも、職場の後輩は? あいつに“その気”が無ければセクハラで俺が飛ばされる。既に一回寝ているし、先に手を出したのは東だからセクハラもクソも無いような気もするが、胸の中で苦い不安と困惑、甘い期待がぐるぐるしている。
とりあえずベッドに入って眠くなるのを待とうと思っても、しばらく瞼は開いたままだ。すっかり暗闇にも目が慣れて、部屋がよく見渡せる。東も眠れない時、こんな風に過ごしたことがあったんだろうか。カーテンから漏れ出す月の光が濃くなっていくのをぼんやりと眺めながら、ホテルでの景色を思い出していた。あの時窓から差し込んでいたのは陽の光だった。東の温もりが側にあった。
ちくしょう、教育担当なんて引き受けるんじゃなかった。独りで過ごす夜は、余りにも長い。
WEB会議ブース施工担当との打ち合わせを終えて、いつもの駅までの道を東と歩いていた。夏になって日が長くなったから、終業後でも空はまだ明るい。
昨晩全然眠れなかったことに加えて、妙に自分が東を意識してしまうこともあり、特に雑談もせず黙って歩いた。東が俺の方を向いて話しかけてくる。
「朝霧さんのおかげで、以前と比べて遥かに睡眠の質が良くなりました。感謝してもしきれません」
「確かに前より顔色マシになったよな。十分前に駅着く回数も増えたし」
「俺、最近は朝霧さんの顔見るだけで安心します。また今度一緒に寝てほしいです」
「……東ってそういうこと、誰にでも平気で言えんのか? 相当たち悪いからやめた方がいいぞ。勘違いするやつ出てきて面倒になるから」
言ってからハッとしたが、もう遅かった。これでは東に嫉妬しているみたいではないか。裏返せば、“そういうこと”は俺にだけ言えと言ってるようなものだ。
「え、さすがに朝霧さんにしか言いませんよ」
しかし東は気づいているのかいないのか、いつものトーンで平然と言ってのけた。思わず肩を竦める。
「……まあいいよ、別に何も考えてないんだろ」
前を向いてまた歩き出そうとしたところで、東が俺の腕を強く引いた。勢いで寝た日の映像が一瞬で蘇り、思わず身を引いてしまう。
「朝霧さん。俺は器用じゃないので、喋ることって全部言葉通りの意味ですよ。好きだと言ったら本当に好きなんです。他の人には言ってません」
「だから、それが困るんだって。お前のこと本気にしそうになるだろ、簡単に好きとか言うんじゃねえよ」
「どうして本気にしたらダメなんでしょうか」
東の顔が徐々に近づいてくる。心臓が痛いくらいに強く脈打っていて、顔も熱い気がする。昨晩自分の想いを自覚したから、余計東の顔が見れなかった。往来で腕を掴まれたまま話し込んでいると、通行人からの好奇の視線が痛い。
「おい、東。分かったから手離せって。話は聞いてやるから、一旦駅まで歩いていくぞ」
「あ……すみません」
再び二人並んで歩き出す。少し距離を空けて。
「……最初は、社会人としてやっていけるのかがとにかく不安で、どうやったら眠れるか、朝出社できるかばかり考えていました」
東は目線を少し落として、いつものトーンで話し始めた。
「でも、朝霧さんが教育担当になって、仕事以外の部分を気にかけてくださったのが嬉しかったんです……ものすごく。別に業務上の指導だけでも良かったのに、朝霧さんは俺の弱いところを認めて一緒に向き合ってくださった」
歩く速度をわずかに緩めた。このまま駅に着いてしまうのが、なんだか途方もなく寂しく感じる。
「それに……ただの新卒という記号ではなくて、俺個人を見てお褒めの言葉や指摘をくださるじゃないですか。毎朝会えるだけでも嬉しかったのに、今はもっと触れたいとか、声が聞きたいとか……そんなことばかり考えてしまいます」
拙いなりに必死に想いを伝えようと、考えながら話をしていることが痛いほど分かった。俺より頭が良くて、言葉もたくさん知っているはずなのに。
「俺、付き合ったことがないから、こういう時なんて言ったらいいのか分からないんですけど……好きです。朝霧さんのことが……誰よりも。これからずっと、一緒にいてくれませんか。夜寝る時も、朝起きて太陽の光を浴びる時も……隣にいるのは、朝霧さんがいいんです」
改札前で歩みを止めて、東が真っ直ぐに俺を見つめてくる。目の前に立っているのは頼りない新卒なんかじゃなくて、愛を知ったただ一人の男だった。向けられた視線を受け止めて、自分も東の目を見つめ返した。
「今日で俺はお前の教育担当から卒業だ。東は起きれるようになったし、朝活ももう終わりだな」
「え、それって──」
「明日からはもう教育担当がどうとかじゃなくて、好きだからお前と一緒にいる。俺も隣にいてほしいのは、亮丞だけだ。これからもよろしく」
亮丞の顔がみるみるうちに明るくなっていく。抱き締められそうなところをすんでのところで躱した。
「おい、お前ここがどこだか考えてから行動しろよ。時々周り見てねえのが悪い癖だ」
「すみません、でも嬉しかったから。朝霧さん……じゃなくて詢也さんはこの後ご自宅に帰りますか? 帰りませんよね」
「野暮なこと聞くんじゃねえよ。電車乗って移動するぞ」
「了解です。詢也さんの行きたいところがあれば指定してください」
「お前の先輩に“了解です”は使うなっつったろ。気を抜きすぎなんだって」
すみませんと謝る亮丞の顔は緩みっぱなしだった。まあ、今日だけは許してやってもいいか。
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