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第一章 レンタル彼氏 1-2
多様化する代行サービス業界に「恋人代行」存在するのだと教えてくれたのは、幼なじみである|安宅 ほのかの発言がきっかけだ。
「え、よくない? 二時間から利用できて、後腐れなし。指名もできるけど、ホストクラブじゃないから料金もリーズナブル」
ほら、とスマホを顔の間近までほのかが押しつけてくる。突然の至近距離にピントがうまく合わず、画面の中がやたらと淡くきらきらしていることだけわかったのを覚えている。
その画面から受ける煌びやかな雰囲気に似つかわしくなく『トレモロ』の店内では愛を唄うスロウジャムが流れていた。
「まあ待ちなさい、ほのか。俺が依頼したのは春輝であっておまえじゃないのよ。モデルを選ぶ権利も、当然春輝にあるわけ」
割って入ってくれたのは、カウンター向こうにいるもう一人の幼なじみで俺の同級生、そしてほのかの兄でもある智成 、通称ともちゃんだった。
カフェバー『トレモロ』の経営者であるともちゃんと、俺たちのひとつ年下のほのかとは、かれこれ小学校からの付き合いだ。もう二十年以上一緒にいる。
ほのかはスマホを俺から遠ざけると、拗ねた様子でため息をついた。
「学生の読者モデルならまだしも、アラサーにもなってモデルするようなメンズは大体どこかの事務所に所属してるもんだよ。しかもハルちゃんは後ろ盾もないから、さすがに事務所モデルは引っ張ってこられないじゃん」
「……そうだよな、一番はそこがネックなんだよな」
俺がただのサラリーマンだからいけないんだよ。
ともちゃんに作ってもらったカシスオレンジを一気に空っぽにする。
おかわり。俺が告げるよりも早く、ともちゃんは俺の手からグラスを取り上げ、次のドリンクを作り始めていた。
「やっぱりもう一回、俺のツテ当たろうか?」
ともちゃんのやさしさからくる提案に「ダメ」と即答したのはほのかだった。
「ハルちゃんが自分の目で見て選ぶほうがいい。別に相手がレンタル彼氏だろうがなんだろうが、ハルちゃんが選んだ人なら私は文句は言わない」
ほのかがテーブルにグラスを戻すと、ウィスキーに沈んだ氷が涼しげに揺れた。ちなみに酒が入ると勝気さにちょっとした火がつくのはいつものことだ。相手が兄だとなおさら。
ともちゃんが、ふん、と鼻を鳴らす。同時に俺の前に新たなカクテルがやってきた。
「俺だって春輝を信用してないわけじゃないんだぞ」
「わかってるよ。でもともちゃんのツテっていまいち俺好みじゃないというか」
わざと茶化せば、ともちゃんとほのかが小さく笑う。冗談が冗談として通じる心地よさを味わいながら、ほのかのほうへと向き直った。
「さっき言ってた『レンタル彼氏』ってやつ、サイトのURL教えてくれる?」
「もちろん」
ネイルの行き届いた爪を器用に動かし、俺のスマホへすぐさまほのかがアドレスを送付してくる。
その間にも店内の客が何組か入れ替わり、一度は底ついたほのかのグラスにはともちゃんの手によってまた新しいウィスキーが注がれていた。
改めてホームページを開き、スクロールする。しかし数分前に焼きつけた記憶と寸分違わず、男たちの顔写真と名前が並んだ紹介ページは、やっぱり首筋がそわりとするほど等しく美肌に仕上げていた。
今どき宣伝を目的とした写真や動画が無加工で出回るなんてゼロに等しい時代だ。俺だってもしここのキャストなら、誰に言われるまでもなく自分の顔写真に手を加えていただろう。
しかし、この写真たちをどこまで鵜呑みにしていいのか。
実際会ったら顔面詐欺でした、ではクレームに発展してもおかしくないだろうし、ここはやっぱり写真を信じてみるべきなのか。
「……あーあ。もうこうなったらヤケクソでいく?」
「バカだなあ、春輝。そこは自分の心に正直に。撮影のためのレンタル代は俺が出すから!」
ともちゃんに怪訝な視線を送れば、たどたどしいウインクを返された。
「自分好みの顔でいいんだよ、そこは」
まったく、恋愛脳め。ともちゃんは昔から恋バナや恋愛ドラマにどっぷりだったのを思い出す。
頭を悩ませながらも画面の上をしばらく泳がせていた指が、数分後にはどうにも一枚の写真の上から動かなくなっていた。
「あ、もしかしていい感じの人、見つけた?」
俺のスマホを覗き込んでくるほのかに、ゆるく首を横に振って応える。
「なんかこいつだけ違うな、って」
「えーっと『ミノリ』? 確かに顔はかなり整ってる」
「いや、理由は顔じゃない」
だけどほのかに説明できるような言葉へと直せなかった。
なんというかミノリだけは毛色が違うように思えたのだ。容姿というより、ポートレートの扱い方が。
加工で美肌に寄せるのではなく、人間が一番自然に美しく見える撮り方を知っている。
軒並みスタジオ撮影の写真が並ぶ中でミノリの写真は屋外、しかもこの目元の柔らかさは間違いなく逆光の中で撮ったものだ。順光で撮ると、どうしたって太陽のまぶしさで目つきが鋭くなる。
さらには背景をわざとぼかす手法で奥行きを生かしながらも、ピントそのものはミノリにしっかりとフォーカスされていた。
ピントの微妙な甘さもブレもない精密さ。
まさしく、カメラというものを知っている人間が撮る写真だ。
でもなぜそれがミノリにだけ適応されているのか。他のレンタル彼氏たちは、夜の街で見かけるようないかにもな写真であふれているのに。
いくら考えたところで写真の男が答えを教えてくれるはずもなく、ただどうにも思考がその一点に縛られる。
「決めた。ひとまず俺、今度こいつに会ってくる」
そう告げると、ともちゃんとほのかは前のめりになって俺との距離をぐっと縮めてくる。ふとした瞬間の動作が似ているのは兄妹だからなんだろうな、としみじみ思った。
「もう? ハルちゃん、即決?」
「じゃあ早速撮影に入るのか?」
ペンダントライトの鈍色の光の下、二人がどうにも俺への感情を持て余しているように見えた。
「試しに一度、俺一人だけで会う。モデルのプロでもないほのかに、撮影者の俺すら知らない人間を押しつけて強行するのはなんか違うだろ。撮影の目的が目的だけに」
「あーもう、春輝、おまえ本当にいいやつだよ」
俺、泣いちゃう。
そう言いながらも、店のスタッフからアルコールの注文が飛んできて、ともちゃんはすぐに表情を仕事モードに切り替えた。
ほのかに至ってはそんな兄に肩をすくめながらも、視線は俺に注いでいる。
「無理しないでよ? どうせお兄ちゃんのことだからいつもの幼なじみ価格なんでしょ?」
「いいんだよ、それで。これ以上もらうつもりもない」
二人がいなければ、俺はいつ野垂れ死んでいてもおかしくなかったんだ。
不意に、華やかなホームページの中で佇むミノリの視線が怖くなり、そのときの俺は静かにスマホを伏せることしかできなかった。
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