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第二章 余白の使い方 5

 一階の喧騒から隔離された、水無瀬製作所の二階事務所内には、おだやかというより間延びした空気が漂っている。  今がちょうど閑散期だからか、いつもは淀みのない荻野さんのタイピング音も、今日は少しばかりスローペースだ。 「ねえ、宮永さんは使い捨てカメラって知ってる?」  ルーティーンと化した十五時すぎのコーヒーを窓辺で飲んでいると、荻野さんが話しかけてきた。 「知ってますよ。積極的に使ったことはないですけど。今朝の報道番組で特集されてましたよね?」  荻野さんと俺は、朝に観る報道番組がいつもおなじだった。ほかのどのチャンネルよりも画面端の時間表示が見やすいという理由だけで見ている俺とは違い、荻野さんはメインキャスターの女性がなによりもお気に入りなのだという。 「懐かしいわよねえ」  荻野さんはひとりごとのように呟いた。  使い捨てカメラといえば昭和後期から平成初期に流行った、レンズ一体型のアナログカメラだ。この時期の主流だった本格的なフィルムカメラは高価だったこともあり、若い世代を中心に人気があったと聞いている。  デジタルカメラが覇権を握ってからは大幅に生産量が落ちたはずだが、最近のレトロ回帰の傾向もあって未だに根強く市場に残っている商品だ。 「今また流行ってるんですよね。この画質の荒さが逆にいいって」 「そうなのよ。それでこの間、娘夫婦と出かけたときにね、娘が持ってきてたのよね。懐かしくて驚いたわ。一眼レフとはまた違った撮り方ができるから、かえって新鮮なんですって」 「もう現像はしたんですか?」 「次会ったときに見せてくれるみたい。現像ができあがるまでのちょっとした待ち時間も、どんなふうに出来上がるかなってなんとなく想像してね、当時は楽しかったのよねえ」  昔を思い返すようにほほ笑むと、荻野さんは今日のおやつであるひとくちサイズのチョコをつまんだ。  写真を撮る行為は、いつも即時性の確認作業がついて回った。  液晶を確認する。不要と判断すればすぐに削除する。それの繰り返し。  デジカメの便利さに慣れてしまうと、現像が出来上がるまでの待ち時間は、無意味なものに思えてくる。  そこに楽しみを見出す荻野さんの感覚は、きっと少し前の現代人なら少なからず共有していたはずで、だけど今の俺にとっては遥か異国の出来事のようにも思えた。   *  俺の部屋にミノリが来たあの日以来、ミノリとは会っていない。  理由もなくレンタルするのはどうにも気が引けるのに、ミノリがいないと再び俺の生活は職場と家を往復するだけのひどく侘しいものになっていた。  撮る感覚をなんとなく思い出し始めたところだった。このままだとせっかく兆しの見失ってしまいそうで、現状を打破するために最近はビジネスバッグに一眼レフを忍ばせるようになっている。  仕事が終われば、被写体になるものを探し回る日々だった。  暮れなずむ街並み、帰り道にある公園、降りる駅を越えて河川敷まで撮影に出向いたこともある。なのに撮り終えた写真は、いつもなにか物足りない。  光量の問題なのか、構図の悪さなのか。それとも、誰もが称賛するほどのシャッターチャンスに巡り会えてないだけなのか。その全てに当てはまる気もするし、本当は全て違うような気もする。  結局どれも満足いかなくて、データをパソコンに取り込んだ後はろくに見返すこともない。完全に迷走中だ。  その日は定時ぴったりで退社した。その足で、昨日なくなった洗濯洗剤を買うために、派手なネオンと手書きポップが騒々しい量販店へと立ち寄る。  執拗なまでに繰り返される馴染みのBGMが、店にやってきた客を片っ端から出迎える。  かごを片手に持ち、物であふれかえった狭い通路を歩いてると、ふと一眼レフから三脚まで雑然と並んだカメラコーナーの一角で足が止まった。  最新モデルを買いそろえるのは予算的に厳しいが、レンズを買い足すのはありかもしれない。  とにかく今を変えられるなら、なんでもいいとコーナーを練り歩く。  あらかたの商品に目を通し終えたころ『使い捨てカメラ』と大きな赤文字で書かれた特設コーナーに目が止まった。今日荻野さんとの話題にあがったばかりで、なおさら意識がその一点に縛られる。  流行の波に乗ろうとする店側の気迫は、壁面ラックに隙間なく並んだ使い捨てカメラの量から窺い知れるようだった。  売れるからには何事にも理由がある。使い捨てカメラでしか撮れないものが、待ち時間を乗り越えた先にきっとあるんだろう。  ――気楽なほうがいい。  いつだったかミノリに言って聞かせた言葉を脳裏で反芻しながら、俺はかごを握りしめている。

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