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第二章 余白の使い方 6-1

 久しぶりに会ったミノリに笑顔はなかった。 「もう会ってくれないのかと思った」  昼過ぎに待ち合わせ場所として指定したカフェの店内は、涼を求める人々でひしめき合っている。梅雨の気配に覆いかぶさる勢いをみせた、少し早めの夏の到来だった。  古民家を改装したというこの店では、ちょうどかき氷フェアが行われているらしい。軽く見回しても店内のほとんどの客が雪山みたいなそれを注文していた。 「ちょっと期間が空いただけだろ」  今生の別れでもないのに大げさだ、とため息をつけば、不服そうに窓の外を見ていたミノリが俺よりずっと長いため息をつく。 「ハルはわかってない」  やがて漏れ聞こえた声は今にも消え入りそうだ。 「レンタルされないなら、それは俺にとっての今生の別れなんだよ」  やっと笑ったかと思えば、それは情熱を放棄したようなやるせなさに満ちていた。  カフェにいる客たちが束になっても敵わないほどの出会いと別れを、ミノリは繰り返している。そしてレンタルが終わるたびに、死にも似た別離がミノリには訪れる。  想像はできても、ミノリの人生はミノリのもので、本当はどれほどの傷を抱えているのか俺にはわからない。  もしかしたらミノリの言動全てが、客を喜ばせるための演技だという可能性も捨て切れない。  それでもミノリが俺に会いたいと思ってくれた事実を真っ向から否定するには、あまりに情を寄せすぎてしまった。  ――余白残しておこうかな。ハルとの関係は大事にしたいし。  そうして俺の頬に残したキスのせいで、会わない間にどれほど意識を奪われたことか。 「ごめん。なかなか会えなくて」  言ってから、ストローを持つ手に力がこもっていることに気がつく。  ミノリは言葉を噛み締めるように、しばらく無音を奏でた。それなら口元を手で押さえると、うん、と照れくさそうにうなずく。 「会ってくれたから、それでいいよ」  こんなはずじゃなかったのに。しばらくの間、ミノリと目を合わせるのが怖くてたまらなかった。  ミノリが注文したのは、生のいちごとソース、そして練乳がふんだんにトッピングされたかき氷だった。  ミノリは俺にも食べてほしそうだったが、見てるだけでいい、と誘いを断ってお決まりのアイスコーヒーを頼む。 「それで、この後は何するの?」  頼んだものがテーブルに並ぶころ、ミノリが訊ねてきた。 「撮影でもしようかと思ってる」 「けどカメラ持ってきてないよね?」  アイスコーヒーをストローでくるりと混ぜてから、俺は視線を上げる。 「うん。今日はこれを使う」  先日買った未開封の使い捨てカメラを、テーブルの上に置いた。 「うわ、まだあるんだね、これ」  ミノリの好奇心が、余熱となって俺の体にまで伝わってくる。使い捨てカメラを手に取ると、ミノリは裏面の説明書きを読み込んだ。 「たまには趣向を変えて、アナログ仕様にチャレンジするのも有りだろ」 「連写できない分、狙ったポイントを的確に捉える必要があるんだよな、フィルムカメラって。いいなあ、おもしろそう」 「そう言うと思ったから、二つ買った。そっちはミノリの分」 「俺、モデル役じゃなくていいの?」 「ミノリがどんなふうに撮ってるのかまた見たい」  好きに撮れよ。そう告げた途端、ミノリの顔には明らかな動揺が見えた。 「だっておまえ、初心者なんかじゃないだろ」  自分が経験者だからこそわかるのかもしれない。  ブレを押さえるための脇を締めた立ち姿だったり、ときにはカメラを抱えたまま地面を這うことも厭わない泥くさい姿勢だったり。  そして俺がいくら足掻いても手の届かない、構図と刹那の切り取りの非凡さ。  だからこそ、ミノリの写真は俺を唸らせる。 「それ以上のことは聞かないの、ハルは」  ミノリの前にあるかき氷の山が、音もなく崩れていく。 「言いたくない人間の口をこじ開ける趣味はない」 「それじゃあ俺に興味は持ってくれてる?」  まっすぐに注がれるミノリの視線に意識が絡めとられていく。演技かどうかも考える余裕なく、俺の口は勝手に言葉を紡いでいる。 「あるよ、興味」  よかった、とミノリが安堵したように笑い、俺には心臓の収まりの悪さだけが残った。  写真の才能を垣間見せながらも、なぜ『レンタル彼氏』をやってるのか。ミノリの抱える事情が気にならないといったら嘘になる。  他人に全く興味がないわけじゃない。でも昔から輪に溶け込むには人一倍時間がかかった。  それに引き換え、ミノリとはまだ出会ってほんの数か月だ。会った回数は片手にも満たない。  特にここ数年は意図的に身を引いて生活を送ってきたこともあってか、ミノリ自身に興味を見せ始めた自分を思うと、足の底が冷えるような心地になる。  もっと、慎重にならないと。  そう自分に言い聞かせながら、アイスコーヒーを口に含んだ。  しばらくすると、ミノリは待ちきれなさそうに俺のグラスの中身をじっと見るようになった。ミノリが食べていたかき氷はもうすでに器から姿を消している。  限られたレンタル時間は、いつからかこんなにも俺たちを急かすようになっていた。  アイスコーヒーが底をつくと、ミノリと自然に目が合った。 「行こうよ、ハル」

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