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第三章 答えあわせ 3-1
ミノリとのデートが実現したのは、九月に入ってのことだった。
待ち合わせの時間は十一時のはずだったが、駅の構外のベンチにミノリは十五分も前から座って待っていた。
なんとなく声をかけるのをためらい、離れた場所からついミノリを眺めてしまう。
ミノリはしばしばスマホを見た。特別操作する様子は見られない。ただ画面を眺めては、時々冴えない様子で息を吐く。
そんなミノリを弄ぶように、からりとした風が吹き抜けた。
気落ちしていた顔がわずかに綻んで、風に遊ばれながら目を細める。髪の隙間から覗く見慣れたピアスがミノリの横顔を彩り、ますます目が離せない。
撮りたい。
飢えたようなその欲求は、きっと恋にも似ている。盲目的なまでに視野が狭まる想いに、とても。
しかしカメラを持たない人さし指は、なにもない空間を掻くばかりだ。
デートなんだからカメラは持ってこないでね、とミノリからは事前に釘を刺されていた。
気を取り直して合流すると、久しぶりの再会をミノリはひどく喜んだ。
「だってまさかここまでスケジュールが合わないとは思わなくて」
実際、こうして直接顔を合わせるまでにそれなりの期間が空いている。今日を迎えるまでの数週間は、仕事が立て込んでいるから、とメッセージをやり取りするだけの日々だった。
俺と会わない間、客の誰かと会っていた可能性もあるだろうが、そればかりは考えても仕方のないことだ。おかげさまで仕事帰りに『トレモロ』に足を運ぶ回数が増え、つい飲み過ぎてしまう日があるけれど。
「行きたい場所、どこかある?」
俺と歩幅を合わせながら、ミノリが言う。
まさかミノリからそんなふうに訊かれるとは思っていなくて、まばたきを繰り返す。
「どうしたの、ハル。なんか驚いてる?」
「いや、まあ。おまえって、レンタルしてるときは客の意向を優先するだろ?」
「うん。お客さんだしね」
「でもレンタルじゃなくなると、自分の主張が強くなるから。だから今日もミノリの行きたい場所に連れていかれるもんだとばかり思ってた」
「意外だったんだ?」
ほほ笑みを浮かべると、ミノリは言葉を続けた。
「反省したんだよ。これでも」
「ミノリが?」
「あ。そこ笑うところじゃない」
拗ねたように目を細めたミノリに、ごめんと謝罪を告げる。
「昔大事に飼ってた金魚もさ、構いたくて餌をたくさんあげちゃって、結局俺が死なせちゃったんだ。あのころは子どもだからでまだ許された。でも今もまた、ハルに同じようなことしてないかなって思ったら、急に怖くなった」
だから、反省。
最後は自分に言い聞かせるように、ミノリは言った。
心根のまっすぐな男であることはわかってる。だからこそ、ぼろぼろな俺にはミノリの言葉は痛いほど染み渡る。
深まる気持ちに歯止めが利かなくなりそうだ。それを甘んじて許そうとする自分に、ダメだ、と強く言い聞かせる。
これ以上の関係は、俺の身に余る。
まだ少し早いけど、ランチにでもするか。
そう言いかけて、道なりにあった立て看板に強く興味を惹かれて立ち止まった。俺のわずかに先を歩いていたミノリが、驚いたように俺を呼ぶ。
「ハル?」
「ごめん。ちょっと気になって」
立て看板には一枚のポスターが貼られている。
どうやら写真の個展案内らしい。示す場所は、看板の真後ろにそびえる倉庫を改築したような縦に細長い雑居ビルだった。
「個展って、誰の?」
こちらにゆっくりと歩み寄ってきたミノリもまた、俺と同様にポスターをしげしげと眺めている。
「わからない。でもそれがいいんだろ」
時間のあった学生時代は、目についたギャラリーや個展を片っ端から見て回った記憶があった。
もしかしたらあの『UTSUGI.M』が、またこの街のどこかでひっそりと個展を開いているかもしれない、とそんな妄想と期待を抱いて足繫く通った。
いつしかそんな日々からもすっかり足が遠のいていたが、今になって再び気にかける余裕が出てきたということだろうか。
ミノリの了承を取り、俺たちはビルの一階に設けられた、こじんまりとしたギャラリースペースを訪ねた。
ギャラリーの真っ白な壁に飾られたいくつものフォトパネルは、植物をテーマに据えたものたちで構成されていた。
先客は俺たち以外に、三人ほど。
ぐるりと順路通りに見て回り、とうとう差しかかった最後の展示物は、雨粒で濡れた紫陽花の葉で雨宿りをする蝶の写真だった。
わずか離れた葉の影にはもう一匹の蝶。
多少の雨なら、蝶の鱗粉が弾く。でも強く濡れて飛べないというなら、飛べるその日まで二匹は翅を休めることしかできない。
この二匹の蝶の写真の前で、俺は随分と長く足を止めていた。
ミノリがいつしか俺と肩を並べていたことも、しばらく気づけなかったほどだった。
「あの、主催者の方は」
受付にいるギャラリーのスタッフらしき人に訊ねると「今日の在廊は午後からです」と教えてくれた。
「よろしければ、蝶の写真が一番好きです、とお伝えください」
芳名カードに自分の名前を書き終えてから、言付けを頼む。スタッフは自分ごとのように笑って、必ず伝えます、とわざわざ俺に頭を下げ、最後に主催者の名刺をくれた。
ギャラリーを後にする。
ミノリの隣を歩きながら名刺を眺めると、そこには主催者の名前や生年月日、SNSのアカウントが記載されていた。
「すごいな、この人。俺より年下だ」
先ほどの作品たちを頭の片隅で振り返りながら、吐息まじりに呟く。
「自分の撮りたいものを撮るってこともそうだけど、個展まで開くのは相当の勇気がなくちゃ無理だろうし」
「そんなに羨ましいなら、ハルも開けばいいのに」
思わずミノリを見た。その顔はいつものように薄い笑みを湛えている。
冗談だろ、と笑って返してみたがミノリは微塵も動じない。
「本気で言ったのに。でも個展かあ」
昔を偲ぶようなミノリの物言いに、つい気にかけてしまう。
「もしかして、開いたことあるのか?」
「うん、ちょっとね。おばあちゃんが喜んでくれたのがうれしかったなあって。でも今開いても、多分おばあちゃんは喜べないと思うからもう個展はやらないかな」
喜べないって、どういうことだよ。
問いを重ねようとした瞬間「|実《みのる》さん」と呼ぶ大きな声が聞こえた。
俺の知らない名前に、いち早く振り向いたのはミノリだ。
「まさかこんなところで実さんに会うなんて、びっくりですよ!」
こちらへ駆け寄ってくる男に、俺は見覚えがあった。さっきのギャラリーにいた、先客のうちの一人だ。
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