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第三章 答えあわせ 6-1
寝不足は判断を鈍らせる。
ふと頭をよぎったフレーズを消し去るように、コンビニで買ってきたエナジードリンクをぐっと飲んだ。
サムネイルを開く。パソコンの画面いっぱいに映し出された写真の粗探しをしては、デリートする。
それを繰り返すうちに、カーテンの隙間から忍び寄る青白い朝がフローリングの細かな傷を照らし出した。
あと三十分だけ。スマホで時間を確認し、見切りをつけては再び画面を睨みつける。
これは武者修行だから。
できる限り軽い調子でそう言うと、ある日の仕事帰りに寄った『トレモロ』でともちゃんはわざわざグラスを磨くのをやめて「痛めつけるのもいい加減にしろ」とたしなめた。
仕事帰りに一眼レフを抱えて、写真を撮る。休みの日は、すべてをカメラに捧げる。それのどこがダメなんだよ。なにかに没頭しすぎた人間にはよくある現象だ。
ムキになって反論すればともちゃんはひどく呆れた顔になり「トイレで鏡でも見てこい」の一点張りになった。
その日以来『トレモロ』では酒を出してくれなくなったし、かえって鏡は日常的に見づらくなった。
自分の顔に何気なく触れてみた瞬間、スマホのアラームが鳴り響く。
タイムリミットだ。仕事に向かう準備をしなくちゃいけない。
ああ、時間が足りない。
それになにを撮っても満足できない。
足りない現実が、焦燥を生む。
駄作を前に、思わず舌打ちをこぼれる。いっそのこと目も通さず全部をデリートしたくなったが、寸前のところで思い直し、パソコンの電源を落とした。
ミノリと口論になってからというもの、空いた時間を埋めるように俺は写真を撮っている。
もう一度撮りたいのなら、やはり撮り続けるしかない。
ともちゃんは決していい顔しないが、撮りたいものを思うように撮れない痛みは俺にしかわからない。
負けたくないんだ、とにかくあいつに。
『UTSUGI.M』をあっさり捨てるようなやつになんか。
だったら幼なじみのアドバイスを鵜呑みにして、足を止める時間がもったいない。
身を粉にして撮り続けた先では、最高傑作が撮れるようになる日が来るかもしれないんだ。そう考えると、やっぱり毎日地道に撮るしか方法はないように思った。
夜だけじゃなく、朝の撮影時間も確保するべきだろう。サラリーマンの俺は、カメラに触れられる時間がどんな写真家よりも圧倒的に短くなる。
早速、明日から始めてみるか。
「あ……」
思わず、声が漏れた。
気を持ち直すために手を伸ばしたエナジードリンクは空だ。
どうってことないはずなのに、ぽきりと心が折れたようにパソコンデスクにうつぶせる。
一度スイッチが切れると、動き出せない。
武者修行を始めてからというもの、満足いくものはまだ一枚もなかった。
*
寝食をおろそかにした生活を続けたまま、時間ばかりを無駄に費やして十月になった。
ミノリから届いた未読のままのメッセージが着々と積み上がっていく。でも絶対見ないと決めている。
十月の最初の週末、俺はカメラを持って水族館へ行った。
特別撮りたいテーマもなかったが、一番長く足を止めてしまったのはクラゲの展示だった。
俺は自然と多くのシャッターを切った。まるでミノリを映すときのように躍起になって、枚数だけが無闇に重なっていく。
それでもクラゲたちいつまでもふわふわと形を変え、最後まで俺に正しい姿を見せることはなかった。
一度でもあいつのことを考え始めると、止まらなくなる。
だから嫌だった。
結局ミノリのことを考え続けながら、電車に揺られる羽目になった。
最寄り駅で降りたころにはどうにも気分が悪くなっていて、寝不足のうえに朝食を抜くのはよくなかったな、とちょっとだけ反省した。
昨日から、ミノリからの新しいメッセージは届いていない。
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