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第四章 潮騒とシャッター音 3-2

 広い、と思う。  俺もミノリも、日常的に使うベッドはシングルサイズだ。  二人で一つのベッドを使うときは、磁石のように抱き合わないと落っこちそうになる。しかし今日は互いに寝返りを打ってもぶつかることすらないだろう。  夜野さんとは、どうだっただろうか。  恋人らしく体を重ねることはあっても、朝まで抱きしめあって眠った記憶はあまりない。  大切にされていた時期も、愛を囁かれた記憶も確かにあった。ただ夜野さんが愛していたのは俺ではなく、夜野さんに似た俺で、それを幸せと呼ぶには身を切るような苦痛を伴う。 「照明、落とすね」  ミノリの合図で光が弱まり、都会の夜空ほどの奥行きのない天井が広がった。  防音の効いた部屋は、不気味なほど静かだ。部屋の片隅に置かれた冷蔵庫の駆動音だけがやけに耳につく。  これほど静かな利用客も珍しいだろうなと皮肉めいた考えがよぎり、同時に何事も起こらない現状が俺をやるせない気持ちになった。  たまらなくなって、ミノリから背を向けた。  着慣れないガウンの裾が布団の中で大きくはだけ、氷を含んだような冷気が足を包む。  人肌が恋しい。俺以外の確かな息づかいをすぐ近くに感じるのに、手が伸ばせない。伸ばされないことが、さみしい。  ミノリは本当に大切に、俺を想ってくれているんだろう。だからミノリは、自分を大切にできない俺に強く憤る。  ダメな自分に価値はない、と自分を大切にする方法もいつしか忘れてしまった俺が、ミノリにうまく応えてやれる自信なんてなかった。  今だって、ない。  でも。  自分を大切にするということは、誰かのお気に入りを目指すことじゃない。誰かのやさしさに甘えて生きていくことでもない。  自分の気持ちをほんの少しでもいい、誰かの心に預けられる、そんな強さが今すぐほしくてたまらない。 「……抱いてくれ」  願いを絞り出す。顔は熱いのに、末端はひどく冷めている。  しかしいくら待っても、ミノリから反応は返ってこなかった。  布団の中で身を丸めながら無音を耐え忍ぶ。  足をわずかに動かして生じた衣擦れが、緊張の糸をいたずらに揺らす。  そんなふうにして、自分の部屋のソファーベッドの上で丸まって、いくつもの季節を見送ったのを思い出した。  ミノリと出会ってしまった今、もうあのころには戻れないと心臓が激しく喚いている。 「なあ、いいから抱けよ!」  一人で駄々をこねる虚しさと空間の静けさにとうとう耐えかね、体を勢いよく起こした。  振り返り、ミノリを見る。  まるで火花が飛び散るように、暗がりの中、ミノリと目が合った。ミノリもまた俺と同じく体を起こし、なんとも言えない顔でこちらを見つめている。 「ここまで来てなんにもしないのか。ラブホだぞ、ここ。そういう気持ちになるだろ、普通」  やはりミノリは答えなかった。ただきつく、唇が白くなるほど引き結んでいる。  臆病者。  意気地なし。  思いつく限りの汚い言葉で罵る。そんなことが言いたいわけじゃないのに、どうすればミノリを攻略できるのかわからない。  クリアできないゲームを前にして癇癪を起こすような真似はみっともない、とほんの少し前までの自分ならそうやって冷静に処理できたことが最早できなくなって泣きそうだ。 「俺って、そんなに魅力ない?」 「……違う」  長いときを経て、ようやく声を聞いたような途方のなさが胸に迫り来る。じわ、と滲む視界を腕で乱暴に拭う。  再び「違う」と聞こえたそれは、さっきよりも芯が強い。 「昨日も言っただろ。ハルを大切にしたいから抱かない」 「なあ。それって、本当に大切にしてるって言うのか」  またミノリは答えない。  癇癪を起こしたように、枕をミノリに向かって投げつける。  しかしミノリはされるがままになって、体で枕を受け止めるだけだった。俺が気の済むまで無難にやり過ごそうとしているのかもしれない。 「必要以上に怖がってんのは、ずっとおまえのほうなんじゃないのか! おまえが大切にしたいっていう俺の気持ちはどうなるんだよ!」

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