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第五章 さようならへの招待状 4-2

「あ、雪」  ビニール袋を鳴らし、ミノリが空を見上げる。コンビニを出発し、マンションからほど近い、住宅街の真ん中にぽつんと存在する公園まで戻ってきたときには、綿をちぎったような雪が降り始めていた。  俺もまた、足を止める。  やけに真剣なまなざしで、声をかけるのもためらうほど長く、ミノリは空を見上げていた。  ミノリの白い頬に雪が落ちる。熱が雪を溶かしていく。いくつもの雪を受け止め、水の粒に変わり、やがて一筋の水流になって頬を下った。  コーヒーカップを握る指先に力がこもる。  じりじりとコーヒーの熱に指が焼かれていく。それだけじゃない。ミノリを見ていると、体のどこかがいつも焼かれている。 「……撮りたい」  抗えずに、口走っていた。緊張を解くようにミノリが笑みをこぼし、こちらを見る。 「俺も。ハルと同じこと思ってた」  弧を描いたミノリの口の隙間から、白く濁った吐息があふれていく。 「取りに帰ろうか、俺たちのカメラ」 「今から?」 「ハルの家、すぐそこだよ」  ね。行こう。  俺に問いかけておきながら、ミノリの体はすでに家の方角へと向いている。  はっきりダメだと言えば引き下がるだろうこともわかっていて、でも俺はミノリを引き止めなかった。 「ごめん。ケーキ、家に置いてくるの忘れてた」  改めて公園に戻ると、そこでようやく握りしめていたビニール袋の存在に気づく。覗いていたファインダーから顔を離すとすぐにミノリは、いいよ、と俺を許す。 「せっかくだからここで食べよう。真冬の外でケーキ食べるのもいい思い出になるよ。これでろうそくがあれば、ちょっとは暖かいかもだけど」 「あんな小さなろうそくなんか役に立たないだろ」 「マッチ売りの少女はマッチで暖を取るのに?」 「やめろ、わざわざ悲しい気持ちになりにいくな」 「それもそうか。限界が来たら、二人で抱きしめ合えばいいし」  さも当然のように言われ、かえって俺のほうが恥ずかしい気分にさせられた。  公園にひとつだけある、二人がけのベンチに並んで座った。  ベンチを照らす一本の街灯が、フラッシュライトのように俺たちを炙り出す。冷めてきたコーヒーを啜る俺の横で、ケーキの入った容器のふたをミノリが外している。 「すげえおいしそう」  ミノリが言うと、大量生産のひとつでさえ世界で一番のケーキに見えてくるから不思議だ。 「あれ、でもフォークが一本しかない」 「おまえから先に食べろよ」  そのかわり、俺は撮影してるから。  コーヒーをベンチの真下に置き、赴くままに一枚分のシャッターを切る。レンズ越しにミノリと目線が絡んだかと思えば、気負うことなく笑みを描き、フォークでいちごを貫いた。  小ぶりの果実が、ミノリの口へ向かう。 「そのまま止まって」 「食べちゃダメ?」 「ちょっとだけだから」  好物を寸止めされてミノリは露骨に拗ねた。  不満のサインを無視して幾度かシャッターボタンを押し込めば、レンズの向こう側でミノリが動く。  マイペースな被写体は、いちご、それから続けて白い三角形の先端を無言で食べ進め、幸せそうに頬をふくらませる。 「ほら、ハルも食べて」  自分のケーキを食べ終えると、今度は俺の分のいちごをフォークに刺し、ミノリが「はい」と差し出した。 「せっかくのいちごだろ。おまえにやる」  ミノリの手首を押し返し、フォークごとミノリの口元へ誘導すれば、再びご機嫌斜めになった。 「せっかくだからこそ、ハルも食べてほしい。お祝いのケーキなんだし」 「コンビニでも言ってたけどさ、お祝いってなんだよ。お互い誕生日でもないし、まだクリスマスでもないのに」  するとミノリは姿勢を正した。いつも以上にまっすぐに伸びた背筋。普段と違う空気に気圧され、雪で湿った地面を靴底で鳴らす。 「俺ね、個展、開くかもしれない」  ミノリの顔を真正面から捉えた。はらはらと降る雪が赤い果実の上に落ちてくる。  個展。その二文字を声でなぞっていた。向かい合わせるミノリの瞳はファインダーをのぞくときと同様に真剣で、どこかぼんやりしていた言葉が急速に真実味を帯びてきた。 「……個展の日、いつ?」 「まだ具体的には決めてないけど、早くて来年の四月なら抑えられそうだって聞いてる」  残り五か月もない。同じ大学を卒業したよしみで、何度か旧友たちの個展準備を手伝ったが、主催となればそれとは比べ物にならないほど忙しくなるのは目に見えている。 「韓国で撮影してたとき、アパレルのちょっと偉い人も来てて。その人『UTSUGI.M』のことを知ってたんだ。家族がギャラリーを経営してるらしくって、若手には安く貸すようにしてるからどうだって誘われた」 「迷わなかったのか」 「迷ったよ。ギャラリーを開けるほどの知名度なんて俺にはもう残ってない。でも、迷ってたらハルの顔が浮かんだ」 「……俺の?」 「俺と二人で前に個展見に行ったでしょ」 「うん」 「あの日、俺の知らない写真家がハルの視線を独り占めしてた。悔しかった。だから、奪い返したくなった」  言葉を選ぶようにしてゆっくりと話すその顔は、どこか吹っ切れているようにも見える。  『UTSUGI.M』が再び写真の世界に戻ってくる。  俺にとってもこれ以上喜ばしい話はないはずだ。ミノリの高揚が伝播したのか、心臓がやけに高鳴っている。  なのにミノリにかけてやる祝いの言葉は、どうしても思考の底へと沈むばかりだった。  深くて、暗い。そこはミノリという光も届かず、寄る辺のない気持ちばかりが浮かんだ。 「ハル?」  咄嗟にミノリの手首をつかんでいた。

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