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第六章 Spring fill in the blank 2-1
「笹川に手伝ってもらうから大丈夫だよ」
週の半ば、ベーコンエッグを作りながらミノリは言った。
ミノリの家から職場に向かうつもりで、昨夜は泊まった。
「でも二人だけだと設営大変なんじゃないのか」
「だってハル、金曜は普通に仕事でしょ?」
「それはそうだけど……」
ミノリの個展はとうとう今週土曜日に初日を迎える。その前日にあたる金曜日には作品の搬入を予定していた。
『スタジオlumina』の仕事が多忙なのは大抵週末だった。その曜日を含んだ三日分の休みをもらうため、近ごろミノリは仕事の多くを前倒しにしている。連日の残業疲れもあってか、様子を見に訪ねるとパソコンを前に寝落ちしていることもしばしばだ。
しかしミノリは、弱音も愚痴も吐かない。時間がなくて俺を構えないことへの後悔の念はいくらでも口にするけれど。
「ハルにはたくさん手伝ってもらったから感謝してるよ」
いつものローテーブルにコップやフォークを並べていると、ミノリが俺のすぐ傍に立っていた。
「もう十分すぎるぐらい。それに前々から笹川も手伝いたそうにしてたし、ちょっとは顔立ててやらないとって思ってたから」
「……うん。そうだな。わかった」
「そのかわり土曜の初日は絶対来て。約束」
ミノリがそっと皿をテーブルに置く。
軽く焦げ目のついたベーコン、型崩れのない目玉焼きに、ほんのりときつね色のトースト。
俺が泊まるとミノリが作ってくれるようになった朝食も、最初のころに比べてかなり上手になっている。タイマーの設定を間違えて黒焦げになったトーストを、なんとも言えない顔をしながら二人でかじった日がもはや懐かしい。
「お、ちゃんと目玉焼きが半熟だ」
スーパーボールのような楕円型の黄身にフォークの先を当てると、中からとろりと黄色の液体があふれた。
向かい側に座るミノリの分も半熟だったらしく、やった、と喜んでいる。無邪気なやつ。
「成功した」
「勝率八割ぐらいある?」
「ハルがいないときを合わせると五割に下がるかも」
「俺がいないと手抜きになるのか?」
「逆。ハルがいるから頑張れるんだよ」
俺を見るミノリの目は温度を上げて、いつもは奥まった場所で縮こまっている心臓をいたずらにどきりとさせる。
「そろそろ合鍵についてもいい返事欲しいなあ」
「忘れてなかったのか」
「あんまり言うとしつこいって怒られそうだから、様子はうかがってたよ。それで、どう?」
神妙な顔つきになるミノリに、どうって、と聞き返す。
「実際個展の準備が佳境に入って、俺の家にハルが頻繁に来るようになったでしょ。来てもらってばっかりで申し訳ない気持ちもあるけど、でも鍵があれば好きなタイミングで部屋に入れるし、それに個展が二度とないとは言い切れないし……」
「おまえがそれでいいなら受け取る」
「え、うそ、いいの?」
あれだけ突っぱねてたのに、とでも問いただしそうな勢いで、ミノリは驚きに顔を染めた。
「というか、むしろ俺はもっと先のことをねだられるかと思った」
「先?」
「わかんないなら、いい」
「ごめん、わかるって」
ミノリがうろたえ、その手に持っていたフォークが皿とぶつかって派手に鳴った。崩れた表情のあどけなさに、ミノリの本気度を感じ取る。
「とぼけただけ、ハルに言わせてみたかっただけだから……わかるよ、ちゃんと。ね、俺といっしょに住んでくれるの?」
「……個展が終わったら、考えてやる」
口の中に目玉焼きとベーコンをまとめて放り込む。にやけたミノリに見つめられながらの食事は、ひたすら食べにくくて仕方なかった。
「忘れ物ない?」
身支度を終え、ビジネスシューズに足を通す俺の背後から、気遣わしげな声がかかる。
出勤は俺の方がいつも早い。だから泊まるとこうして玄関までミノリが見送ってくれる。
「どうしたの」
黙って見つめ続ける俺に、ミノリが首を傾げた。傾けた分だけ髪が流れ、ほんのりと疲労を乗せた目元を前髪が覆う。
――本当は有給の申請を済ませていたんだ。
今更打ち明けてしまうと、ミノリを困らせてしまうだろうか。もう十分とミノリが言うのなら、これ以上俺の出る幕はないのかもしれない。
あとは恋人らしく、応援のメッセージでも送りながら、当日を慎ましく待ち望めばいい。
「なんでもない。もう行く」
「待って」
後ろ髪を引かれながらリュックを背負い直す。そしてドアノブに手をかけた瞬間、ミノリに頭を抱き寄せられた。
唇に軽くキスをされる。
まさかの出来事に目も閉じられなかった俺とは違い、ミノリがにやりと口角をあげた。
「してほしそうに見えたけど、違った?」
たとえこの瞬間は違っても、俺の気持ちはミノリの言葉に引っ張られて、いつの間にかイコールになっていく。
合鍵のこともだ。むしろこんなにも早く、許せるようになるとは思わなかった。
「……違わない。もっと、したい」
自らミノリにキスをする。深くなる前に離して、でも離れられなくて、笑えるほどにまた互いに追い求める。
じゃあ、今度は個展で。どちらともなく告げた台詞を最後にして、俺が職場に着いたのは就業開始のわずか二分前だった。
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