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第五章 ショコラを作る手、甘味店《ショコラトリエ・アルセリア》、開店!3

***  昼下がりのショコラトリエ・アルセリアは、甘い香りで満ちていた。ガナッシュを混ぜながら、僕は鼻歌を漏らしてしまう。 「真琴、今日はご機嫌だな?」  カウンター越しに立つリオンが、ほんの少しだけ苦笑している。鎧の代わりのエプロン姿なのに、騎士の威厳はそのまま。けれど、僕の前でだけ少しやわらかくなることに最近気づいた。  この“気が抜けた騎士”みたいな顔が……ちょっとだけ好きだったりする。 「えへへ、実はね――今日、新しい仕入れの商人さんが来るんだ。カカオ豆の代わりになる、珍しい実を分けてもらえることになってて」 「……商人?」 「うん! すごく親切でね、僕が材料に困ってるって愚痴ったら、特別に分けてくれるって。しかも笑顔が――」  その瞬間、リオンの表情がぴたりと止まった。 「……親切、ね」 「そう! なんていうか爽やかで――」 「爽やか?」  その場の空気がひゅうっと冷える。 (――え、なんで? 誰か冷房入れた?) 「リオン? どうしたの?」 「その商人というのは、男か?」 「え? あ、うん」 「歳は?」 「僕より少し上くらい……かなぁ?」 「そうか」  低い声で言うと、リオンは棚の方へ歩き――ガンッ、と樽を動かした。その衝撃で、店が一瞬だけ揺れる。 「ちょっ、リオン! なに怒ってるの?」 「私は怒っていない」  いや絶対怒ってる。普段は羽みたいに扱う樽が、今は斬ったみたいに動いたのがその証拠だ。 「真琴、ただの商人だろう?」 「ただの商人だよ!」 「“親切で”“爽やかで”“笑顔がよかった”商人だよな?」 「わーーっ! 繰り返さないで‼」  リオンが振り返った。眉が少し下がっていて、視線が床に落ちている。 (……えっ、これ。怒ってるというより――嫉妬なのかな?)  リオンの心中が分かり、胸がきゅっと鳴った。 「真琴」 「なに?」 「その商人とは、どれくらい親しいんだ?」 「えっと……仕事で三回くらい会っただけだよ?」 「三回も……」 「ねぇ、そんな気にすること?」  リオンは数秒だけ瞬きをし、探るように息をする。そして僕から顔を背けて、ぼそりと言った。 「……嫌だ」  いつもより低い声に心臓が跳ねた。 「嫌?」 「君が……他の男に笑いかけるのが」  ――はい?  声は小さいのに、全部が胸に刺さる。 「別に笑うなと言っているわけじゃない。ただ……」 「ただ?」 「私の知らない顔を……見せるのは好きじゃない」  リオンは、さらに顔をそむける。耳の先がほんのり赤い。 (ああ、これ。完全に嫉妬だ――) 「リオン……」 「悪いとは、思ってる」 「ううん。なんかちょっと……リオンがかわいい」 「かわっ!」  リオンの顔が一瞬で真っ赤になった。 「ま、真琴、今のは――」 「だって、本当にそう思ったんだよ?」 「くっ……!」  困ったように僕を見つめるリオン。いつもは最強の騎士で頼りになって、誰より穏やかなのに――今は、拗ねた大きい犬みたい。 「ねぇ、リオン」 「なんだ」 「僕が他の人の話をしたら、そんなに嫌なの?」 「……嫌だ」  即答だった。 「真琴の“好意”は……私だけのものであってほしい」  直球すぎる告白に、胸が熱くて息が止まる。 「変だろうか?」 「変じゃないよ……すごく嬉しい」  そう言った瞬間、リオンの目がわずかに揺れた。それから、ゆっくりと近づいてきて、手袋を外し――僕の頬に触れた。 「それなら……少しくらい安心させてくれ」 「ど、どうやって?」 「……こう」  そっと触れた唇。それは軽いのに、僕の呼吸を全部さらっていく。 「他の男には見せるな。こんな顔も、こんな声も」 「リオン……っ」 「真琴は……私の弱点なんだ」  胸がじわりと甘く満たされる。その全部が愛おしい。 「ねぇ、リオン」 「なんだ」 「このあと、商人さんが来るけど……」  リオンの腕に力が入る。 「……来るのか」 「うん。でも――」  にっこり笑って、リオンを見上げる。 「僕が一番笑いたいのは、リオンだけだよ」  嬉しそうにリオンの瞳が大きく揺れたのが分かって、胸を高鳴らせた刹那、ぎゅうっと抱きしめられた。 「そんなことを言われたら、嫉妬どころか……攫って帰りたくなる」 「えぇ?」 「責任を取れ、真琴」 「なんの!?」 「私を安心させた責任だ」  頬が熱くなる。でも嫌じゃない。嫉妬してしまうほど、僕のことが好きで。僕を“自分のもの”だと思ってくれているなんてそんなの、最高に甘いに決まってる。  リオンの腕の力がゆっくり緩み、けれど僕を手放す気配はなかった。広い胸に頬を押しあてると、聞こえてくる鼓動の音がやけに速い。 「……真琴」 「なに?」 「君が笑うなら……私の前で笑ってほしい」  低く落ちる声が、耳に触れただけで震えた。 「君の笑顔は私の弱さであり、強さでもある」  そんな言い方、反則だ。胸が甘く痺れる。 「リオン……でも僕、仕事だからさ。次に来る商人さんには、普通に対応しないと」 「構わん。仕事は仕事だ」  言葉だけなら冷静なのに、手だけは僕の腰を離さない。 「けれど」 「けれど?」 「……私の前では、もっと甘くしてほしい」 「え、いまより甘く?」 「そうだ。君はまだ、私を安心させていない」 「え、えぇ?」 「責任だと言っただろう」  言いながら、リオンは僕の額に唇を落とした。さっきより深く、確かに触れる温度。額から伝わってくるリオンの熱で、息が止まる。 「商人が来る前に、これくらいはしないと落ち着かない」 「リオン、落ち着いて?」 「落ち着いていない」  顔が熱いのは僕だけだと思っていたのに、リオンもわずかに目の下が赤い。嫉妬して、焦って、拗ねて――その全部が、僕にだけ向けられている。 「真琴」  名前を呼ばれるだけで胸が跳ねる。 「君は……私が思っているより、ずっと危ない人だ」 「え、どこが?」 「そんなふうに言われたら……本当に攫って帰る」 「それは困ります」 「困るか?」 「ちょ、ちょっとだけ困る!」 「なら、困らないくらい私を安心させてくれ」  小さく笑って、僕の手を包むように握る。その優しさと熱に、逃げ場なんてもう残っていなかった。 「……リオン」 「なんだ」 「今日、一番笑いたいのは……やっぱりリオンの前だよ」  そう言うと、リオンの蒼い瞳が深く揺れた。甘く、ほどけるように。 「……真琴」  次の瞬間、強く――でも優しく抱き寄せられる。 「リオン……」 「私は、君が好きだ」  その告白は嫉妬の残り火を包むように静かで、まっすぐで甘かった。

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