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第五章 ショコラを作る手、甘味店《ショコラトリエ・アルセリア》、開店!4

***  商人さんが店に来る時間が近づき、僕は店先を軽く片づけていた。リオンはというと、さっきまで嫉妬で樽を割りそうな勢いだったくせに、今はカウンターで王国に提出する書類を見ている。 (大丈夫かな……さっきのお怒りモードから戻ってるといいけど)  そんなことを思っていた、ちょうどその時。 「こんにちはー、失礼します!」  店のドアが開き、例の商人さんが明るい声で入ってきた。僕は笑顔で迎えようとしたら。 「ようこそ、当店へ」  低く、落ち着いた声が僕の真横から降ってきた。振り向くと、そこには――誰? ――いや、リオンなんだけど……誰!?  さっきまで、嫉妬で気難しい顔をしていた人と同じとは思えない。  リオンは背筋をすっと伸ばし、わずかに口角を上げていた。いつもの不器用な微笑みじゃない。やわらかくて上品で、どことなく“王宮の騎士様”って感じの完璧な笑顔だった。 「えっ……リオン、そんな顔ができるの?」  思わず小声で呟くと、リオンは目だけこちらに向けて小さく囁いた。 「真琴、仕事中だ」 (し、仕事中……!? いやいや、切り替えスイッチ早すぎる) 「真琴さん、いつもお世話になっております」  商人さんがにこやかに近づいてくる。 「こちらこそ。いつも素材をありがとうございます」  僕も笑顔を返す。 (普通に会話できる。よかった……)  そう思った矢先――視界の端で、リオンが静かに動く。僕と商人さんの間に、さりげなく入った。 (え? なんで今、距離を詰めてきた?) 「商人殿、貴殿の品はいつも素晴らしい」  リオンが優しく微笑む。 「いえいえ、とんでもない! 副団長殿にそう言っていただけるとは光栄で――」 「ただし」  笑顔のまま、声のトーンだけが少し落ちた。 「真琴に“親切すぎる”必要はない」  言葉は丁寧なのに、背後で風が止まったように感じた。商人さんが真顔で一瞬固まる。 「え、えぇと……もちろん仕事上の礼儀でして……」 「なら良い」  微笑んだまま言うリオン。その微笑みが怖いことに、商人さんは気づいていない。気づいていたら、きっと笑い返せなかっただろう。 (え……これが“外面”? いや、これ……営業用じゃなくて“嫉妬を隠した営業スマイル”じゃないか)  僕は商人さんに説明をしながら、横目でリオンをチラチラ見ていた。 (すごい。誰より紳士なのに、一歩も僕から離れない……これ、完全に縄張りを守ってる大型獣だ)  すると商人さんがふと、リオンに向かって言った。 「真琴さんは本当にいい人ですねぇ。こんな方が恋人なら幸せでしょうに」 (――あ、やばい。それは禁句だ……)  僕が何か言う前に、リオンの営業スマイルが一瞬だけ崩れた。 「商人殿……もしや、真琴を狙っているのではないか?」 「へっ?」 「残念だが、彼には既に決まった人がいる」 「あ、そう、でしたか……?」  商人さんがぽかんとしながら、僕の方を見る。 「リオン!?」 「事実だろう、真琴」  そう言われてしまい、僕は真っ赤になった。 「ちょっと待って、それは……あの……」 「ということだから商人殿、諦めてくれるだろうか」  “営業スマイルのまま迫ってくるリオン”という、人生で二度と見ないであろう光景が目の前にあった。  商人さんは完全に気圧されて、 「し、失礼しました! 本日はこれで!」  持ってきていたカタログを置いて、逃げるように帰っていった。ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。 (……商人さん、たぶんもう二度と爽やかに笑わない)  店が静かになり、僕はゆっくりリオンを見た。 「リオンって営業用の顔、すごいんだね」  リオンは小さく咳払いする。 「見せるつもりはなかった」 「かっこよかったけど……ちょっと怖かった……」 「真琴が変に褒めるからだ」 「僕のせい!?」 「君が“爽やかだった”などと言うからだ」 (ああもう。さっきのやり取り、まだ拗ねてるのか……)  リオンの内心がわかったからこそ、僕は一歩近づいた。 「リオン」 「なんだ」 「営業用の顔より――」  そっと、リオンの胸に手を置く。 「嫉妬してたリオンの方が、ずっと好きだよ」  その瞬間、さっきまで完璧だったリオンが一瞬で真っ赤になった。 「……真琴」  隣から手が伸び、腰を抱かれる。 「そんなことを言うな。営業用では……耐えられなくなる」 「耐えなくていいのに」  ポツリと呟いたら、胸に強く抱き寄せられた。 「真琴、あとで覚悟しろ」 「え、なんの!?」 「安心させる“責任”の続きをだ」 (またそれ……!)  でも胸の奥は甘くて、どうしようもなく幸せだった。

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