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第五章 ショコラを作る手、甘味店《ショコラトリエ・アルセリア》、開店!9

***  ベッドで目を覚ますと、窓の外は薄い金色の光に満ちていた。  工房の片隅には、昨夜冷やし固めたふたりで作ったチョコレートが並んでいる。香りが、まだほんのりと空気に残っていた。  隣では、リオンの肩にかけた上着が少しずり落ちている。眠る横顔は穏やかで、戦場に立つときの鋭さはもうない。その表情を見ているだけで、胸の奥が静かに温かくなった。 「……リオン」  小さく呼ぶと、彼はまぶたを開けてこちらを見た。 「おはよう、真琴。夢じゃなかったんだな」  その声が少しだけ震えていた。 「夢にしたくない」  そう答えたら彼はゆっくりと起き上がり、優しく肩に触れてくる。  朝の光が、ふたりの間をやわらかく照らしていた。昨日までの不安を、そっと溶かすように。 「昨夜のチョコ、もう一度味見してみようか」 「うん。たぶん……世界一甘いと思う」  言いながら笑うと、リオンも小さく吹き出した。  木のテーブルに並べたチョコをひとつ割ると、断面から陽だまりのような香りが立ちのぼる。 「これが……君の心の味なんだな」 「ううん、きっとリオンがいたから、こんな味になったんだよ」  互いに微笑み合ったその時、フェリシュがふわりと現れた。大きなリボンを震わせ、目を細めて言う。 『おはよう、ふたりとも。なんだか甘い香りが残ってるねぇ~。ちゃんと約束した?』 「うん。これからも一緒に作る約束を」  僕が答えると、フェリシュは満足そうに頷いた。 『なら、もう心配いらないね。きっと“幸せ”は続くわよ。だって甘さって、ちゃんと分け合えるものだから』  そう言い残し、光の粒になって消える。  リオンが僕の手を取った。指先に、まだ昨夜の温もりが残っている。 「フェリシュの言うとおりだな。……これからも隣で笑ってくれ」 「はい。約束します」  窓の外では、朝の鐘が鳴っていた。新しい一日が始まる音。昨日より少しだけ、世界が優しく見えた。 ***  昼下がりの王都中央市場。新しい仕入れ先を探すため、僕はリオンと一緒に出ていた。正確に言えば僕が「ひとりで行く」と言ったら、リオンが勝手についてきた。 「真琴をひとりで歩かせるのは不安だ」 「今日は迷わない距離だよ?」 「関係ない」  歩幅を合わせ、半歩後ろで僕を守るように歩く王国騎士団の副団長。その表情はどこか硬いけれど、いつもの範囲――のはずだった。 「真琴さん、こんにちは!」  顔馴染みの店主のおじさんが、僕に向かって笑顔で手を振ってくれた。 「あっ、おじさん久しぶり! この前の果実、チョコとの相性がすごく良かったよ!」 「そりゃ嬉しいねぇ。今日は珍しい果実が――」  そのとき僕の背後から、肩をそっと抱く腕が伸びてきた。 (え……?)  リオンだった。しかも、あろうことか市場のど真ん中で堂々と密着してきた。 「り、リオン……?」 「人が多い。迷う」 「え、いや、今日は迷ってないよ?」 「迷いそうだ」  完全に理屈が破綻している。僕らを見たおじさんが目を丸くした。 「リ、リオン様⁉」 「ああ、すまない。真琴が……とても大事なので」  王国騎士団の副団長が市場の往来で、堂々と言ってしまった。  店主の後ろで荷物の整理していた若い職人さんが、音を立てて袋を落とした。しかも、周囲の人も振り返ってる。 (――えっ、ちょ……恥ずかしい!) 「り、リオン、人の前! 人の前だから!」 「……離れたくない」  無理……かわいいけど無理。「離れたくない」とか、あの王国最強と呼ばれる騎士の口から出るセリフじゃない。  そのせいで、市場の空気がざわざわし始めた。 「え……あれリオン副団長じゃ?」 「隣の子は……真琴さん?」 「めっちゃ距離近くない?」 「副団長って、あんな顔するの?」  ひそひそ声が、地面から湧いてくるみたいにどんどん増えていく。  そんな中、店主のおじさんが“察した”みたいに優しい顔をして僕に囁いた。 「真琴さん……昨日、なんかあったね?」 「な、なにも!」 「いや、あるやつだね。見ればわかるよ」  おじさん、鋭い。  問題は、そこだけで終わらなかった。歩き出した僕に、完全にスイッチの入った状態でリオンが付いてきた。  半歩後ろではなく、ほぼ横に。しかも、手がちょいちょい触れてくる。歩くたびに指先がコツ、コツ、と。 (え……これ絶対わざとだ!)  そのことに照れてしまい、挙動不審になる僕と接触しようとするリオンに、周囲の視線が痛いくらいに突き刺さってくる。  市場の女性たちがざわめき、通りすがりの騎士たちが「あれ副団長じゃね?」とざわつき、果物屋のおばちゃんが目を見開き、子どもは「騎士さまのお顔が真っ赤!」と言い出す始末。 「リオン、顔が赤くなってる……」 「見ないでくれ」  小声で返してくるけど、顔だけじゃなく耳も真っ赤になってる。しかも僕を見る目は“恋人を見つめる目”になっていて、もう誤魔化しようがない。  その上、事件は起こった。 「あっ、真琴じゃないの!」  工房横にある雑貨屋のおばさんが、通りすがりで僕に手を振る。いつもかわいがってくれる優しい人だった。 「真琴ってば、最近来ないから寂しかっ……た……」  おばさんの言葉が途中で止まった。理由は簡単、僕の横にいたリオンが、肩にそっと手を置いていたから。見るからに、“恋人の距離”になってる。 「……あらまあ」  おばさんの声が嬉しそうに弾む。 「な、なんでもないから!」  僕は慌てて両手を振ってみたものの、リオンがとどめを刺した。 「真琴を怪しい男から守るのは、私の役目だ」  周囲の視線が一気に集中した。 (いや、ちょっと待ってリオン。今“怪しい男”って言った? この市場に、怪しい男なんていないのに。僕が誰かに笑いかけるから、いちいち嫉妬してるだけでしょ……)  でもリオンは、冷静だった。見た目だけは。 「真琴は無防備だ。笑うだけで、誰かを惹きつける」 「は、はあ?」 「だからこそ……離したくない」  市場の中心で、王国騎士団の副団長が堂々とそんなことを言った結果――その場が完全に静まり返った。  そして次の瞬間。 「キャーッ!」 「副団長がデレてる!」 「これは事件だ!」 「公式の恋人、もう婚約してもいいのでは!」  もう、とめられないくらいにどんどん話が広がっていく。  リオンはというと、 「……真琴。帰るか」 「うん、帰る。いますぐに!」  最高潮に真っ赤になったリオンが僕の手を握って、市場を早歩きで去っていった。引かれるままではなく、僕はその手をぎゅっと握り返した。  店に戻って扉を閉めた瞬間、リオンは僕の肩に頭を落とした。 「……最悪だ……」 「リオン……」 「皆の前で……あんな……」 「うん……すごかった」 「忘れてくれ……頼む」 「無理だよ……」 「……やはりか」  リオンは壁に頭を軽く打ち付けた。  ごつ、ごつ、ごつ。 「恥ずかしすぎて死ぬ……」  考えるより先にその背中にそっと手を伸ばすと、リオンはびくりと肩を震わせて振り返った。 「真琴。君のせいだ」 「ぼ、僕の?」 「君が……あんなに優しい顔で笑うから!」 「え、えぇぇ……⁉」 「抑えられるはずがないだろう……っ」  最後は僕を引き寄せて、ぎゅうっと抱きしめた。 「もう隠せない。君が好きだと……どうしても隠せない」  それは涙が出そうなくらい甘くて、どうしようもなく幸せな声だった。

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