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番外編 仲直りの夜は、とけるほど甘く
家へ戻る道すがら、リオンはずっと無言だった。握られた僕の手は温かいのに、歩幅は妙に大きくて、どこかぎこちない。
(怒ってる……よねやっぱり)
市場で、商人さんと楽しそうに話していたこと。たぶん、それが引き金になった。でも、そんなつもりなんて全然なくて。ただ珍しい香草を見せてもらって、ちょっと嬉しかっただけなのに。
(リオン、あんな顔するんだ……)
胸がきゅっとする。怖かったわけじゃない。ただ――あのときの横顔が切なくて、苦しくて。
家に着くと、リオンは無言のまま扉を閉めた。重い音が部屋に落ちて、僕は思わず肩をすくめる。
「……真琴」
「っ、はい!」
やっと聞こえた声は、低くて湿っていた。
「……さっきの商人。君は、ああいう若い男が好みなのか?」
「えっ!?」
違うって言う前に、リオンが僕の前に立った。腕の中に閉じ込めるみたいに、壁から逃げ道を塞ぐ。
こんなの、反則だ。
「私は……嫌だった。君が私以外の誰かに、あんなふうに笑うのが」
「リオン……」
「君が悪いんじゃない。私が……自分の感情を処理できなかっただけだ」
胸の奥がぎゅうっと痛い。リオンの眉は寄っていて、まるで自分を責めているみたいに見える。
僕は迷わず、その手を強く握った。
「ねぇ、リオン。僕があの人に笑ってたのは、営業トークっていうか……普通の会話で」
「知ってる」
「え……」
「君が、私以外を選ぶはずがないことも……頭では分かってる」
それなのに――。
「それでも……怖かった。君の隣に立つ資格は、本当に私だけなのかって」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじわっと熱くなった。
「……僕の隣は、リオンだけだよ」
そう言った途端リオンの蒼い瞳が大きく揺れて、強く抱きしめられる。
「……真琴」
耳元で囁く声が、いつもより熱い。
「君は……私のだ」
「うん。リオンのだよ」
甘く告げた刹那、リオンの腕の力が少しだけ強くなった。
額を合わせたら、鼻先が触れ合う。どちらから触れたか分からないほど自然に、しっとりと唇が重なる。
(……あ、甘い)
さっきまで曇っていた空気が、一気に溶けていく。ぎこちなかった空気は、もうどこにもない。リオンの指が僕の頬に触れ、背へまわった手が僕の体を引き寄せるように力を込めた。
「……真琴。今日は離したくない」
その声が、胸の真ん中に落ちる。
「僕も。ずっと、リオンが欲しかった」
抱きしめ合う体温が、すぐに甘く混ざりあっていく。嫉妬でこじれた気持ちなんて、今は跡形も残らない。ただ好きだという気持ちだけが、触れた場所からゆっくり、確実に広がっていく。
指が絡んで視線が溶ける。息を合わせるように、もう一度キスをした。さっきより深く、さっきより甘く、さっきより確かに恋の熱が重なる。
「ねぇ、リオン」
「……なんだ?」
「仲直りのキス、もう一回して?」
その瞬間、リオンがふっと笑う。
「……いくらでもしてやる」
そして僕は、胸の奥で確信する――この人が嫉妬するのは、僕を本気で大事にしてくれてる証なんだって。
甘く触れた唇が、何度も僕の名前を呼ぶ。
その夜、仲直りはゆっくり、やわらかく、そして何度も何度も重ねられた。
翌朝。カーテン越しの光がやわらかく揺れて、部屋の空気がじんわりと温まっていく。
(……なんだろう。この胸の中に広がる、くすぐったいような幸福感)
隣を見るとリオンがいつもの騎士の顔じゃなく、少し幼い寝顔で眠っていた。肩にかかった髪が揺れて、穏やかに呼吸をしている。
(……かわいいな)
昨日の仲直りのキスを思い出しただけで、顔が熱くなる。僕のことを「私のだ」とか言ったくせに、今はこんな顔で眠ってるなんて、ずるい。
そっと手を伸ばして、前髪に触れた。
「……真琴」
「え、起きてたの?」
「今のは……その……気持ちよかった」
ああもう。朝からこんなふうに言われたら、照れるに決まってる。
そのときだった。
――がらっ。
「おはよ~~真琴~~! あれ……?」
フェリシュが開けた窓から、勢いよく飛び込んできた。僕は反射的に布団を引き寄せ、リオンは眉をひそめる。
「ちょ、ちょっとフェリシュ!? ノックって知ってる?」
「えっへへ~? 昨日の夜の光、全部見えてましたよぉ~!」
「みっ……見てたの!?」
僕が叫ぶと、リオンが一瞬にして“騎士の殺気”をまとった。
「フェリシュ……どこまで見た」
「どこまでって……全部? だって~! お部屋から甘い香りがぶわ~って出てきて! これは絶対“仲直りの儀式”だと思って~!」
「儀式じゃないからっ!」
「じゃあ、“愛情の確認作業”?」
「そうじゃなくて!?」
顔から火が出そうだ。というか、僕死にたい。なんで精霊にプライバシーがない世界なんだ!
フェリシュはくるくる回って、僕たちの頭上に金の粉を降らせる。
「ふたりとも~、仲直り大成功だったのだわ~! 真琴がリオン様に抱きしめられてるときの光、すっごく綺麗だったんですよ~!」
「フェリシュ」
リオンの声がさらに低くなる。
「……昨日のことは、誰にも言うな」
「は~~い! リオン様ってば、やっと“独占欲の開花”ですかぁ?」
「フェリシュ?」
「ひっ、はいっ! 内緒にしておきますっ!」
フェリシュが慌てて飛び上がり、窓を閉めて逃げていく。僕は力が抜けて、リオンの方へ倒れ込んだ。
「……もう無理。恥ずかしすぎて死ぬ」
「大丈夫、私も同じだ」
「え?」
「フェリシュに見られた時点で……名誉が死んだ」
「名誉……」
いや、そこは笑うとこじゃないのに、沸々と笑いがこみ上げてくる。
リオンが僕の頬に触れる。
「だが……真琴。昨日のことを後悔はしていない」
「……僕も」
その言葉に、リオンはゆっくり微笑んだ。夜と違う朝の光みたいな柔らかな笑顔に、胸が疼いてしまった。
「真琴……続きは、また夜にでもしようか」
「っ……リオン!」
「冗談だ」
(――本当に? 絶対半分本気だったでしょ)
でもそんな甘い冗談が言えるくらい、ふたりの関係がちゃんと深まったんだと実感して、胸があたたかくなった。
窓の外では、フェリシュがひとりで大騒ぎしている声が聞こえる。
「真琴とリオン、しあわせの香りがすごいのだわ~~!!」
……もうこの精霊をどうにかしてって思う一方で、昨日の仲直りも今朝の照れくさい時間も、フェリシュの茶化でさえも。全部ぜんぶ、好きだと思えた。
(ああ……こういうの、なんだかいいな)
そう思いながら、僕は静かに目を閉じてリオンの肩に頭を預けた。
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