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番外編 重い想い

 真琴が、私の腕の中で静かに呼吸している。それだけで、胸の奥がじわじわと熱くなる。研修の喧騒も、団長の顔も、騎士たちの視線も、もうどうでもいい。ここにいるのは、私と真琴だけ。  ……それでいい。  私はもともと、独占欲の強い人間ではなかった。護衛は冷静であるべきだし、感情に振り回されるのは未熟の証だと思っていた。  ――少なくとも、君に出会うまでは。  真琴は無自覚だ。自分がどれほど周囲を狂わせる存在かを、何ひとつ理解していない。笑うだけで人の足を止める。名前を呼ぶだけで思考を奪う。触れられれば、こちらの理性が先に崩れる……危険すぎる。  私は、腕に少し力を込めた。 「……リオン?」  不安そうな声を聞いて、すぐに腕の力を緩める。 「すまない。驚かせたか」 「ううん……」  そう言って、真琴は額を私の胸に押しつける。  無防備――信頼しきっている。それが、何よりも恐ろしい。  誰にも渡せない。誰にも見せたくない。今日の研修で、はっきり分かった。真琴は「守るべき存在」などという生易しいものではない。  守らなければ、簡単に奪われる。  国や人に。善意という名の無数の手に。  私は真琴の顎に手を添えて、そっと顔を上げさせた。 「……真琴」 「な、なに……?」  互いの視線がかち合う。 「今日、誰かに触れられるのを見て……思ったことがある」 「……うん」  覚悟を決めた目だ……かわいい。 「耐えられなかった」 「……そんなに?」  私は小さく笑う。 「君は、私の理性を過信しすぎている」  額を合わせる距離で顔を寄せたら、吐息が触れる。 「護衛としては失格かもしれない。だが……恋人としては譲れない」  真琴の喉が、こくりと鳴る。 「……誰にも、触れさせたくない」 「……」 「君が驚く顔も、照れる顔も――」  声がさらに低くなる。 「安心して身を委ねるのも……私だけでいい」  逃げ道を塞ぐように、腕を回す。それでも力は入れない。拒まれたら、終わりだから。 「……リオン」  真琴が私の名前を呼ぶ。それだけで胸が締め付けられる。 「そんなふうに思ってくれてるなら」 「……なら?」  真琴は少し迷ってから、私の首に腕を絡める。 「僕も、リオン以外に触れられるの……あんまり……」  その先は、言葉にならない。  ――ああ。私は、完全に理性を失った。だからこそ、丁寧に真琴の身体を抱きしめる。 「……それ以上言うな」  額に口づける。 「君は私のものだ。そして私は君の盾であり、剣であり――」  耳元で甘く囁く。 「帰る場所だ」  真琴の指が私の髪の毛に触れて、ぎゅっと鷲掴みする。 「……うん」  小さな返事。それで、すべてが決まった。  世界がどう騒ごうと構わない。団長が何を企もうと止める。真琴を泣かせる者は許さない。触れる者も許さない――ただし、私が触れるのはいい。  それは護衛ではなく、恋人の特権だ。今日の研修で学んだことは一つだけ。  真琴は、国家の宝などではない。私の宝だ……それだけでいい。 ***  目が覚めたとき、最初に思った。 (……あ、重い)  背中に回された、がっしりした腕。絡みつく足。全部リオンの仕業で、僕は逃げ場ゼロ状態だった。 「……リオン?」  小さく呼んでみる。返事はないけど、腕の力がほんの少しだけ強くなった。 (きっと起きてるな……)  顔を上げようとすると、すぐ低い声が落ちてきた。 「……動くな」 「えっ、起きてたの?」 「最初から」 (じゃあ、なんで寝たふりしてたの……)  そう思った瞬間、首元に顔を埋められる。  近くて温かい。そして、吐き出されるため息がかなり重い。 「……昨日の研修、思い出すだけで腹が立つ」  開口一番、その話題。 「え、えっと……ごめんね?」 「謝るな」  即否定するリオン。だけど、明らかに声が怒っている。 「真琴は何も悪くない」 「悪いのは?」 「団長」 「即答するんだね……」  リオンの声、低いけど少し掠れている。 (……眠れなかったんだな、これ)  リオンは、僕を抱いたまま離れない。本当に、微動だにしない。 「ねえ、リオン」 「何だ」 「そろそろ起きないと……仕事……」  やんわりと、仕事に行くように促してみたのに。 「……今日は休む」 「えっ、副団長が?」 「昨日の精神的損耗は、かなり深刻だ」 「それ、自分で言うんだ」  でも、ちょっとだけ嬉しそうなのがずるい。  笑いながら顔を上げると、リオンと目が合った……近い。すっごく近すぎる。じっと僕を見つめる視線が重い。 「……真琴」 「な、なに?」 「昨日」 「うん」 「皆の前で触れられて」 「うっ……」  思い出して、顔が熱くなる。 「……嫌じゃなかったか?」  珍しく、不安そうな声が僕の耳に響いた。 (……あ。これ、リオンが一番気にしてたやつだ) 「嫌じゃないよ」 「……本当に?」 「リオンがいたから」  そう言った瞬間、リオンの蒼い目がわかりやすく潤んだ。 「……ずるい」 「え? 僕が?」 「そんなことを言われたら」  リオンは、額を僕の額に軽く当てて――。 「……一生、離す気がなくなる」 (既に、十分離してくれてないよ……)  僕が動こうとすると、また腕に力が入る。 「……どこへ行く」 「いや、朝ごはん……」 「ここで食べろ」 「どうやって!」 「それは考える」 (考えるんだ……)  しばらく沈黙してから、リオンがぼそっと言った。 「……皆に見せたくない」 「え?」 「真琴が照れるところも」 「っ……」 「安心して、私を見るところも」 「……」 「全部」  ぎゅ、と強く抱きしめられる。 「私だけのものだ」  ……重い、すごく重い。でも、その声が少し震えていて。抱く力がどこか必死で。 (ああ。昨日、僕が他の人に触れられたの、本当に怖かったんだな)  僕は、そっとリオンの服を掴んだ。 「……リオン」 「何だ」 「僕ね」  一瞬、迷ってから言う。 「リオンが重いの、嫌いじゃない」 「…………」  次の瞬間。 「真琴……それ以上言うな」 「えっ」 「理性が死ぬ」  耳まで真っ赤になっていて、すごく――。 (本当にもう、かわいい……)  結局、そのまましばらく動けなかった。仕事は遅刻したらしいけど、団長は何も言わなかったらしい。たぶん、全部お見通しだったんだろう。でも今はこの腕の中が、世界の全部だ。  重くて甘くて、少し不器用で――大好きな、僕の|副団長《こいびと》。

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