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番外編 任務中の手紙
野営地は、夜になると妙に音が減る。焚き火の爆ぜる音、見張りの足音、遠くの虫の声。それらすべてが「考える時間」を与えてくる。
私は地図を広げたまま、文字を追っていなかった。頭の中にあるのは――一人だけだ。
「……副団長殿」
伝令の声に、反射的に顔を上げる。
「王都より、私信です」
その一言で、心拍が跳ね上がる。
「……誰からだ」
分かっているくせに聞く。
「清水真琴殿より」
受け取る指がわずかに震えたのを、部下は見なかったふりをした。
封を切る前に、一度深呼吸をする。戦場で刃を抜く前より慎重な自分に、内心で呆れる。
――真琴。 名前を見るだけで、全身が緩む。
手紙は短かった。彼らしい丁寧で、少し照れた字。
『リオンへ
お仕事お疲れさまです。
ちゃんとご飯は食べていますか?
僕は、言われた通り外出を控えています。
でも、お店の前を通る人が
「副団長さん、すごく心配してたよ」って言ってくれて。
ちょっとだけ、嬉しかったです。
無理しすぎないでね。
帰りを待っています。
真琴』
……危険だ。あまりにも。
「……外出を控えている、は信用できる」
ぽつりと呟く。
「だが、“店の前を通る人”とは誰だ」
勝手に補足する脳内。そいつは男か? 年齢は? 声の調子は? 距離はどれくらいだった?
「“副団長さん”と呼んだ……?」
私の名前を、軽々しく口にしたのか。
地図の端が、指の力でくしゃりと歪む。
「……心配していたのは、私だ」
他人に代弁される筋合いはない。胸の奥が、じわじわと重くなる。それでも、最後の一文がすべてを上書きする。
『帰りを待っています』
……待っている。その事実だけで、呼吸が整う。だが――。
「副団長殿。異常ありませんか?」
部下の問いに、私は顔を上げた。
「……影が動いた」
「え?」
「真琴の……いや」
言い直す。
「敵の斥候だ」
反射的に剣を取って立ち上がる。敵に察知されないように薄く張り巡らせている、魔力探知能力が感知した。夜の帳の向こう、木々の間に揺れる細い影。
瞬間、心臓が嫌な音を立てた――誰かの後ろに立っている真琴の姿が、脳裏をよぎる。
「全員、警戒態勢」
「副団長殿? まだ確認が――」
「最悪を想定しろ!」
声が荒くなる。
木の葉が風に揺れただけだと分かるまで、数秒。だがその数秒が、耐え難く長い。
剣を収めたあとも、手が離れない。
「……くそ」
自覚している、これは過剰だ。戦場で、“守るべきもの”を思いすぎている。しかしながら、抑えられない。
私は再び、手紙を握りしめた。
「……待っていろ」
小さく、念を込めるように確かに。
「誰にも触れさせない。私が戻るまで」
部下が小声で囁く。
「副団長殿……本当に、大切な方なのですね」
私は即答した。
「命より」
間違いはない。だからこそ、生きて帰る。
――真琴の影に、私が反応しなくて済む距離まで。
任務中の手紙・返書
焚き火のそばで、私は紙を前に固まっていた。
剣なら迷わず振れる。作戦なら即座に判断できる。だが真琴への返事だけは、別だった。何を書いても足りない。削っても重い。隠そうとすると、余計に滲む。
「……冷静に」
自分に言い聞かせ、改めて筆を取る――冷静である必要はない。真琴に送る言葉だ、私は正直でいい。そう思って書いた。
『真琴へ
手紙を受け取った。
無事でいると知れて、安心した。
外出を控えているのは、よく守ってくれている。
だが、“店の前を通った人間”については、次から詳しく書け。
誰だ。男か。年齢はいくつだ。距離は。声の高さは。……冗談だ。
いや、半分は本気だ。
私は、真琴が笑顔で話しかけられる状況すべてが、少し怖い。
それでも君が優しいままでいることは、止めたくない。
帰りを待っていると言ってくれて、ありがとう。
その一文だけで、剣を振る理由が明確になった。
私は必ず戻る。約束だ。戻ったら離れていた分、抱きしめる。
逃げるな、待っていろ。
リオン』
……重い。だが、これでも抑えた方だ。
封を閉じながら、胸の奥が少しだけ軽くなる。真琴に届くまで、何事も起きないように――いや、起こさせない。
そう心の中で誓った、直後だった。
「副団長殿。この先の村で聞き込みを――」
部下の報告を聞きながら、森を進んでいたそのとき。
「――あ、すみません」
背後から、柔らかい声。低くもなく高すぎもしない。少し息が混じる話し方に体が竦む。
似ている。脳が、瞬時に“真琴”を認識した次の瞬間。
「誰だ」
振り向く前に、剣が半分抜けていた。
「ひっ……!」
声の主は若い男だった。村の案内役らしい。
「ち、違います。僕は――」
「その声で、軽々しく話しかけるな」
自分の声が低く、冷たく響く。部下たちが一斉に固まった。
「副団長殿?」
「……失礼しました」
若い男は怯え、後ずさる。だが止まらない。
「今の声色を、二度と使うな」
「え、えっ……?」
「似ている。私の大切な人の声に」
場の空気が凍る。若い男は何度も頭を下げ、逃げるように去っていった。
部下が、恐そるおそる言う。
「……副団長殿、少々過剰では……」
私は即答した。
「過剰でいい」
「……」
「“似ている”だけで、心臓が止まりかけた」
正直な言葉だった。深く息を吐き、こめかみを押さえる。
「……真琴」
名前を呼ぶだけで、少し落ち着く。
(――きっと、離れているからだ。そばにいれば、こんなことにはならない。毎日、声を聞いて、姿を見て触れていれば――)
「……早く帰ろう」
独り言のように呟く。
部下たちは何も言わなかった。言えなかったのだろう。だが、私は知っている。これは悪化している。自覚した上で止める気がない。
――真琴の声に似たものが、世界から消えるまで。
いや、私が真琴のそばに戻るまで。
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