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番外編 敵国、真琴という“地雷”を知る
それは、国境付近の会談だった。形式上は停戦交渉。実態は、互いの腹を探るための睨み合い。
まとめ役のラディス団長が不在ということで、僕がリオンのお目付け役として同行した。しかもただの菓子職人。そこにいるだけの、存在のはずだった。
「真琴、無理に話さなくていい」
隣のリオンが、低く囁く。
「分かってるよ。今日は聞き役でしょ」
そう言いながら、敵国側の使節団を見た。
……正直、最初は普通だった。
鋭い目。よく訓練された態度。こちらを侮る様子もない。
「……副団長殿」
敵国の代表が、リオンに声をかけた。
「こちらの方は?」
一瞬、空気が止まる。
リオンはほんの少しだけ――誇らしげに答えた。
「私の伴侶だ」
その言葉が落ちた瞬間、敵国側の空気が目に見えて変わった。
「……伴侶?」
「正式に」
静かな肯定にざわり、と使節団の後方が揺れる。
誰かが小声で囁く。
「まさか……あの“真琴”か?」
「……噂は本当だったのか」
(え? 僕、知らないところで、そんなに有名なの?)
代表の男が、ゆっくりと僕を見る。視線は鋭いのに、どこか緊張している。
「……失礼ながら」
慎重な口調。
「あなたが、王国騎士団副団長の精神安定に関わる存在――と、聞いています」
言い方。すごく遠回しなのに、核心を突いてる。
「それと」
一瞬、言葉を選ぶように間を置いて。
「この国の王が“絶対に傷つけるな”と、各国に非公式で通達した人物」
(……ちょっと待って。王様がそんな通達を?)
横を見ると、リオンが完全に肯定の顔をしている。
「事実だ。我が伴侶に危害が及ぶ可能性があれば、交渉はすべて打ち切る」
「……」
敵国代表の喉が鳴った。
「それは……つまり」
背後で、誰かが慌てて書記官に囁く。
「“あの件”だ、去年の国境紛争……」
「副団長が単騎で、砦を落とした原因……」
「“恋人が不安そうだった”という理由だけで……」
(やめて! それ、本人の前で言わないで。心が痛い!!)
代表は深く息を吸い、姿勢を正した。
「……理解しました」
そして、信じられないことを言う。
「本交渉に入る前に、確認させてください」
「何をだ」
「――今回の件で」
一瞬、僕を見る。
「あなたが不安になる要素は……ありますか?」
……え?
会談室が、完全に静まり返った。全員が、僕の返答を待っている。
心臓が、どくんと鳴る。
「えっと……」
正直に言う。
「……今のところ、ありません」
その瞬間。敵国側が、目に見えて安堵した。
「……よかった」
「神よ……」
「これで戦争は回避だ……」
代表が、深々と頭を下げる。
「我々は、あなたを敵に回すつもりは一切ありません」
「……僕、そんなに危険?」
ぽろっと零した言葉に、代表は一瞬固まり――真顔で答えた。
「あなたが危険なのではない。あなたを悲しませた場合の、副団長殿が危険なのです」
横で、リオンが満足そうに頷いた。
……やめて。本当に。
会談後。外に出た途端、僕はリオンの袖を引いた。
「ねえ……敵国まで知ってるの、ちょっと怖いんだけど……」
リオンは、当然のように言う。
「抑止力だ」
「人一人で?」
「真琴一人で、だ」
さらっと言わないで。
「……ねえ」
「なんだ」
「もし、僕が泣いたら?」
一瞬、リオンの目が、冗談抜きで冷たく光った。
「国境線が変わる」
「やめて!!」
即座に否定したけど、彼は真剣だった。
理解してしまう――敵国が震えた理由。
僕は、ただの伴侶で。ただ、ここにいるだけなのに。この人の世界を、簡単に揺らしてしまう存在なんだ。
それが、少し怖くて。でもリオンが、ぎゅっと手を握ってくる。
「安心しろ」
「……うん」
「私は、泣かせない」
その言葉に胸の奥が、静かに温かくなった。
――敵国は知らない。この人が一番怖いのは、僕が傷つくことだけだというのを。
***
正直に言うと僕は会談が長くて、少し疲れていただけだった。
敵国との交渉二日目。張り詰めた空気。細かい条件のすり合わせ。隣ではリオンが一言も無駄にせず、淡々と、けれど容赦なく相手を追い詰めている。
……その姿を見ているだけで、胸がきゅっとする。だってリオン、僕が隣にいるから、いつもより怖い。絶対。
「……副団長殿」
敵国の将官が、額に汗を浮かべながら言った。
「一度、休憩を挟みませんか」
リオンは僕を見る。
「真琴、どうする?」
その言い方が、もう優しすぎて。
「えっと……少し、外の空気を吸えたら嬉しいかな」
その瞬間、敵国側が一斉に緊張した。
「……外?」
「この時間帯に?」
「まさか単独で……?」
いや、散歩したいだけなんだけど。
リオンが立ち上がる。
「では同行する」
「……あ、うん」
それだけのやり取りなのに、敵国将官の顔色が目に見えて悪くなった。
外に出ると、少し冷たい風が吹いていた。
「大丈夫か」
リオンが、すぐにマントを寄せてくる。
「寒くないか?」
「平気。ありがとう」
そのとき。敵国の若い補佐官が、意を決したように声をかけてきた。
「……あの」
「はい?」
僕が振り向くと、彼は一瞬、言葉に詰まった。
……あれ? なんで、そんなに怯えてるの?
「な、何か?」
「い、いえ……その……」
ちら、とリオンを見る。そして、覚悟を決めたように言った。
「あなたは……副団長殿の隣で、怖くないのですか」
……え?
「怖い?」
「副団長殿は……敵に回したら終わりだと……」
正直、その質問に驚いた。
「えっと……」
少し考えてから、素直に答える。
「怖い、とは……一度も思ったことないです」
補佐官の顔が固まる。
「……どうして」
「だって」
自然と、リオンを見る。
「すごく、優しいから」
その瞬間、後ろで何かが崩れ落ちる音がした。
「……」
補佐官の目が、完全に虚ろになる。
「……優しい」
「はい」
「……副団長殿が」
「うん」
彼は、震える声で呟いた。
「……我が国の諜報が、完全に間違っていた……」
え?
「“制御不能の剣”ではなく……」
ちら、とリオンを見る。
「……“鞘”が、あなたなのですね……」
ちょっと待って。なんか、とんでもない理解のされ方してない?
僕は慌てて言う。
「え、あの……そんな大それた存在じゃ……」
でも補佐官は、深く、深く頭を下げた。
「……失礼しました」
「?」
「あなたを傷つける可能性がある限り……この交渉で勝とうなどと、考えるべきではありませんでした」
……心、折れてない?
戻った会談室。空気が、完全に変わっていた。
「我が国は、最大限の譲歩を」
「いや、そこまで言ってない……」
「いえ、我々の良心の問題です」
代表が、妙に晴れやかな顔で言う。
「真琴殿」
「は、はい」
「どうか、我々の国を……」
一瞬、言葉を選び。
「……副団長殿の“怒りの対象”に含めないでください」
……え。
横を見ると、リオンが静かに微笑んでいた。完全に満足している。
会談終了後。宿舎に戻る途中、僕は小さく呟いた。
「……なんか、みんな優しくなったよね」
リオンは、当たり前のように答える。
「真琴が、優しかったからだ」
「え?」
「それだけだ」
歩きながら、手を握られる。
「……無自覚なのが、一番恐ろしい」
「それ、褒めてる?」
「最大級に」
僕は、少し困って笑った。
――敵国は知らない。彼らの心を折ったのは、剣でも力でもなく。
ただリオンを見つめて「優しい」と言った、その一言だったということを。
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