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番外編 副団長、患者より重症

 医務室の前は、異様な緊張感に包まれていた。 「……まだ出てこないな」 「副団長、8時間も動いてないぞ」 「交代、必要じゃ……」  ――必要なわけがなかった。  扉の向こう。リオンは椅子に座り、真琴のベッドの横から一歩も離れていない。指と指が絡んだまま。真琴の呼吸の音すら、数えるように。  見るからに過保護、限界突破! 「水だ」  真琴が少し動いただけで、即反応。 「……ありがとう」 「冷たすぎないか?」 「大丈夫だよ」 「真琴、“大丈夫”は禁止だ」  真琴は苦笑した。 「さっき言われたばっかりだね」  リオンは、少しだけ眉を下げる。 「学習が早くて助かる」  助かっているのは誰だ。 「団長……」 「言うな」  団長は頭を抱えている。 「副団長が“看病モード”に入ると、騎士団の指揮系統が半壊する」 「でも、引き離すと暴れますよね」 「暴れるどころか、“世界を敵に回す目”をする」  誰も止められない。 「あのね……リオン」 「どうした」 「仕事……団員たち困ってないかな?」  その瞬間、リオンの眉間にしわが寄った。 「困っているのは私だ。君が動くたびに、心拍数が上がる」 「それは……ごめ……」 「謝るな」  低く、しかし優しい声が室内に響いた。 「心配する権利は、私にある」  真琴は何も言えなくなった。リオンは毛布を整え、真琴の髪を撫でる。 「何も考えずに眠れ」 「……そばにいる?」 「当然だ。君が目を覚ましたとき、私がいない状況など許容できない」  真琴は、リオンの言葉を聞き安心して目を閉じた。  外で、団長が深くため息をつく。 「……もういい」 「団長?」 「副団長はな、“看病”じゃなくて“付き添い型封印術式”を展開してる」 「解除は?」 「真琴殿が完全回復するまで不可」  誰も異論を唱えなかった。  そして夜、真琴が眠る中、リオンはその手を離さず、静かに誓う。 「……次は、倒れる前に私を呼べ」  囁き。それはまるで、真琴に念押しするかのように――。 「私は、君の“最後の盾”だ」  外では、騎士団が交代で警戒に入った。  理由? 「副団長が本気で不安定だから」 ***  異変に気づいたのは、呼吸の音が一拍ずれた瞬間だった。 (……静かすぎる。いや、違う。静かにしようとしている音だ)  眠い目をこすりながら、私は顔を上げた。 「……真琴?」  ベッド。毛布――中身が、ない。一秒。二秒。理解した瞬間、血の気が引いた。 「……逃げたな?」  医務室の窓が、わずかに開いている。風が室内の空気を動かした。耳を澄ますと、廊下の向こうから微かに聞こえる――忍び足の気配。  私は立ち上がり扉を開けて、周囲に視線を注ぐ。確実に、真琴を確保するために。 「……真琴。今なら戻れば、説教で済む」  返事はない。だが、柱の影で何かがこそっと動いた。  ――いた、真琴を視認する。 「……っ」  白い上着を羽織り、スリッパのまま、完全に見つかった子猫の顔で固まっている。 「……リ、リオン……?」  声が弱い。  私は深く息を吸った。 「ベッドから抜けた説明を」 「えっと……その……」  困ったように視線が泳ぐ。 「騎士団に……迷惑、かけすぎてる気がして……」  ――ああ。  私は、静かに歩み寄る。 「それは、私が決める」 「え」 「君が“迷惑かどうか”を判断する権利はない」  真琴は一歩後ずさった。 「ち、ちょっとだけだから……! 厨房に戻って、仕事の準備を」 「禁止。療養中の真琴は、国家重要人物かつ私の配偶者だ」 「それ、毎回言わなくてよくない?」 「言う」  近づくだけで、真琴は完全に逃走態勢に入る。 「ま、待って……! 走ったら怒るでしょ!」 「走らなくても怒る」 「ひどい!」  真琴が方向転換した瞬間、私は迷わず腕を伸ばして引っ張った。 (軽い、あまりにも軽い――) 「……捕まえた」 「ひゃっ!」  抱き上げただけで、反射的にしがみつく真琴。 「ちょ、ちょっと!! リオン降ろして!!」 「降ろさない」 「廊下だよ、人が来るって!」 「来ればいい」  真琴の額に、自分の額を軽く当てる。 「君は今、回復途中の要人が無断外出を図った罪で確保された」 「そんな罪ないよ!」 「今作った」  角を曲がった瞬間、団員たちが目を見張る。 「副団長? なぜ真琴殿をお姫様抱っこで?」 「返還する」 「どこへ?」 「医務室」  団員たちが一斉に察した顔をする。 「あ……」 「逃げたんですね」 「副団長、目が本気だ……」  医務室に戻ると、私は真琴をそっとベッドに戻した。毛布をかけ、逃げ道を完全に塞ぐ位置に椅子を置く。 「……これで、終わりだ」  真琴は、小さく息を吐いた。 「……ごめん」  私は一瞬、言葉を失う。そして、静かに言った。 「謝るな」  意図的に声を落とす。 「君が倒れた時、私は何もできなかった」  真琴が、驚いたように私を見る。 「だから今は、何もさせない」  指を絡める。真琴がもう逃げないように。 「これは看病じゃない。私の安心のためだ」  扉の向こうから、団長の声がした。 「……副団長」 「何だ」 「逃走対策が完全すぎて、もはや軟禁になってる」 「必要措置だ」 「……真琴殿、すまんな」  真琴は顔を真っ赤に染める。 「だ、大丈夫です……」  私が即座に訂正する。 「大丈夫ではない。今日はもう一度診察だ」 「えぇ!」 「逃げた罰だ」  真琴は毛布に顔を埋めた。  ――かわいい。だが、油断はしない。 「……次に逃げたら」  真琴の耳元で囁く。 「今度は、一日中抱いて離さない」 「それ、罰じゃないよ……!」  私は微かに笑った。逃がす気は、最初からない。

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