71 / 83
番外編 副団長、患者より重症
医務室の前は、異様な緊張感に包まれていた。
「……まだ出てこないな」
「副団長、8時間も動いてないぞ」
「交代、必要じゃ……」
――必要なわけがなかった。
扉の向こう。リオンは椅子に座り、真琴のベッドの横から一歩も離れていない。指と指が絡んだまま。真琴の呼吸の音すら、数えるように。
見るからに過保護、限界突破!
「水だ」
真琴が少し動いただけで、即反応。
「……ありがとう」
「冷たすぎないか?」
「大丈夫だよ」
「真琴、“大丈夫”は禁止だ」
真琴は苦笑した。
「さっき言われたばっかりだね」
リオンは、少しだけ眉を下げる。
「学習が早くて助かる」
助かっているのは誰だ。
「団長……」
「言うな」
団長は頭を抱えている。
「副団長が“看病モード”に入ると、騎士団の指揮系統が半壊する」
「でも、引き離すと暴れますよね」
「暴れるどころか、“世界を敵に回す目”をする」
誰も止められない。
「あのね……リオン」
「どうした」
「仕事……団員たち困ってないかな?」
その瞬間、リオンの眉間にしわが寄った。
「困っているのは私だ。君が動くたびに、心拍数が上がる」
「それは……ごめ……」
「謝るな」
低く、しかし優しい声が室内に響いた。
「心配する権利は、私にある」
真琴は何も言えなくなった。リオンは毛布を整え、真琴の髪を撫でる。
「何も考えずに眠れ」
「……そばにいる?」
「当然だ。君が目を覚ましたとき、私がいない状況など許容できない」
真琴は、リオンの言葉を聞き安心して目を閉じた。
外で、団長が深くため息をつく。
「……もういい」
「団長?」
「副団長はな、“看病”じゃなくて“付き添い型封印術式”を展開してる」
「解除は?」
「真琴殿が完全回復するまで不可」
誰も異論を唱えなかった。
そして夜、真琴が眠る中、リオンはその手を離さず、静かに誓う。
「……次は、倒れる前に私を呼べ」
囁き。それはまるで、真琴に念押しするかのように――。
「私は、君の“最後の盾”だ」
外では、騎士団が交代で警戒に入った。
理由?
「副団長が本気で不安定だから」
***
異変に気づいたのは、呼吸の音が一拍ずれた瞬間だった。
(……静かすぎる。いや、違う。静かにしようとしている音だ)
眠い目をこすりながら、私は顔を上げた。
「……真琴?」
ベッド。毛布――中身が、ない。一秒。二秒。理解した瞬間、血の気が引いた。
「……逃げたな?」
医務室の窓が、わずかに開いている。風が室内の空気を動かした。耳を澄ますと、廊下の向こうから微かに聞こえる――忍び足の気配。
私は立ち上がり扉を開けて、周囲に視線を注ぐ。確実に、真琴を確保するために。
「……真琴。今なら戻れば、説教で済む」
返事はない。だが、柱の影で何かがこそっと動いた。
――いた、真琴を視認する。
「……っ」
白い上着を羽織り、スリッパのまま、完全に見つかった子猫の顔で固まっている。
「……リ、リオン……?」
声が弱い。
私は深く息を吸った。
「ベッドから抜けた説明を」
「えっと……その……」
困ったように視線が泳ぐ。
「騎士団に……迷惑、かけすぎてる気がして……」
――ああ。
私は、静かに歩み寄る。
「それは、私が決める」
「え」
「君が“迷惑かどうか”を判断する権利はない」
真琴は一歩後ずさった。
「ち、ちょっとだけだから……! 厨房に戻って、仕事の準備を」
「禁止。療養中の真琴は、国家重要人物かつ私の配偶者だ」
「それ、毎回言わなくてよくない?」
「言う」
近づくだけで、真琴は完全に逃走態勢に入る。
「ま、待って……! 走ったら怒るでしょ!」
「走らなくても怒る」
「ひどい!」
真琴が方向転換した瞬間、私は迷わず腕を伸ばして引っ張った。
(軽い、あまりにも軽い――)
「……捕まえた」
「ひゃっ!」
抱き上げただけで、反射的にしがみつく真琴。
「ちょ、ちょっと!! リオン降ろして!!」
「降ろさない」
「廊下だよ、人が来るって!」
「来ればいい」
真琴の額に、自分の額を軽く当てる。
「君は今、回復途中の要人が無断外出を図った罪で確保された」
「そんな罪ないよ!」
「今作った」
角を曲がった瞬間、団員たちが目を見張る。
「副団長? なぜ真琴殿をお姫様抱っこで?」
「返還する」
「どこへ?」
「医務室」
団員たちが一斉に察した顔をする。
「あ……」
「逃げたんですね」
「副団長、目が本気だ……」
医務室に戻ると、私は真琴をそっとベッドに戻した。毛布をかけ、逃げ道を完全に塞ぐ位置に椅子を置く。
「……これで、終わりだ」
真琴は、小さく息を吐いた。
「……ごめん」
私は一瞬、言葉を失う。そして、静かに言った。
「謝るな」
意図的に声を落とす。
「君が倒れた時、私は何もできなかった」
真琴が、驚いたように私を見る。
「だから今は、何もさせない」
指を絡める。真琴がもう逃げないように。
「これは看病じゃない。私の安心のためだ」
扉の向こうから、団長の声がした。
「……副団長」
「何だ」
「逃走対策が完全すぎて、もはや軟禁になってる」
「必要措置だ」
「……真琴殿、すまんな」
真琴は顔を真っ赤に染める。
「だ、大丈夫です……」
私が即座に訂正する。
「大丈夫ではない。今日はもう一度診察だ」
「えぇ!」
「逃げた罰だ」
真琴は毛布に顔を埋めた。
――かわいい。だが、油断はしない。
「……次に逃げたら」
真琴の耳元で囁く。
「今度は、一日中抱いて離さない」
「それ、罰じゃないよ……!」
私は微かに笑った。逃がす気は、最初からない。
ともだちにシェアしよう!

