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番外編 自覚して、さらに重くなる朝
私は、真琴が距離を取っていることに気づいていた。気づかないはずがない。
呼吸の間・ 歩幅・視線の向き――ほんの一歩、ほんの一拍。それだけで、私には分かる。
(……ああ)
胸の奥で、静かに何かが沈んだ――やはり、そう来たか。
私は昨夜、確かに言った。
「私は重い、それでもやめるつもりはない」
あれで、終わったと思っていた。いや、思いたかった。だが、真琴は優しすぎる。優しすぎて――自分を削る方向にしか進まない。
「リオン」
店の奥から、真琴が声をかけてくる。少し、遠慮がちな声が耳に落ちた。
「……朝食、もうすぐできるよ」
「分かった」
私は立ち上がり、自然に隣へ行こうとして――ほんの一瞬、真琴が身を引いた。ほんの、指一本分。私は、その距離を見逃さなかった。
「……真琴」
「な、なに?」
少し強張った声。それだけで胸が軋む。
「寒いのか?」
「え? ううん、大丈夫」
嘘だ。今の季節で、あの反応はしない。私はそれ以上、詰めなかった。
(……今ここで触れれば、真琴は笑う。そして、後で一人で自分を責める)
それが分かっているから、私は敢えて一歩引いた――この選択が、どれほど危険か分かっていながら。
朝食の席。真琴は、いつもより静かだった。
笑って頷く。そして話題を振る。でも、私を見ない。
(……やはりだ)
私は、箸を置いた。
「真琴」
「……なに?」
「何か、私に言いたいことはあるか」
一瞬、真琴の指が止まる。
「……ないよ?」
嘘。分かりやすいほどの嘘。
「そうか」
私は、それ以上追及しなかった。代わりに、静かに告げる。
「私は、君が離れるのは許容しない」
真琴の目が、驚きに見開かれる。
「え……?」
「だが」
声を落とす。
「君が“自分が悪い”と思っているなら……その考えを、私は全力で否定する」
「リオン……」
戸惑いと罪悪感。そして――少しの安心。全部、見える。
(……私は重い)
それは事実だ。真琴が息をするたび、私の世界は輪郭を持つ。真琴が不安になれば、私は国を敵に回す覚悟ができる。
――それでも。
(君が自分を責めるくらいなら、私はもっと重くなる――)
真琴が「迷惑だ」と思う前に。「負担だ」と決めつける前に。離れる選択肢そのものを消す。
それが、私の結論だ。
「……リオン」
真琴が、恐るおそる言う。
「その……重い、って……」
「理解している」
「じゃあ……」
「理解した上で、選んでいる」
はっきり言った。
「私は、君を手放さない」
真琴は言葉を失い、それでも少し困ったように笑った。
「……ほんとに……ずるいよ」
「知っている」
私は、静かに微笑む。
「だから君は、私から逃げる方法を考えるな」
「……」
「考えるのは、どう一緒に生きるかだけでいい」
真琴は、しばらく黙っていたが――やがて、小さく頷いた。
「……うん」
その一言で、私は確信した。
(――足りない。まだ足りない)
この程度では、真琴の「自分が悪い」を止めきれない。それならもっと、重くなるしかないだろう――。
自覚した独占欲は、もう抑制されることはなかった。
***
最初に異変に気づいたのは、第三分隊の若手だった。
「……なあ、今の見たか?」
「見た……よな?」
朝の廊下、副団長室の前。扉は半開きで、声が漏れていた――静かで穏やかで、それでいて逃げ場がない声。
「私は、君を手放さない」
低く断定した口調。その一言を聞いた瞬間。
「……」
「……」
団員たちは、一斉に固まった。誰も、息をしない。
「な、なあ……」
震えた小声で問いかける。
「今の、命令じゃないよな?」
「違う……と思う……たぶん……夫婦の会話……だよな?」
「でも……」
扉の隙間から見えた光景。副団長――リオンは、穏やかに微笑んでいた。真琴殿は、困ったように笑って頷いていた。
――一見、微笑ましい。でも……。
「……目」
「え?」
「副団長の……目……」
団員の一人が、かすれ声で言う。
「あれ……敵国交渉のときと同じだ……」
その場の空気が、一瞬で凍った。副団長があの目をするのは、退路を完全に潰すとき。敵国の使者が言質を取られ、逃げ道を失い、気づけば国ごと譲歩している――あの時と同じ。
「……真琴殿、逃げ道……」
「いや、逃げ道じゃない」
「え?」
「守られてる」
別の団員が、青ざめた顔で呟く。
「完全に……囲われてる」
「副団長が自分から距離を詰めてないのが、逆に怖い」
「わかる……触れてないのに縛ってる……」
「言葉だけで……」
全員、同じ結論に至った。
(これは……止められない)
そこへ。
「おはようございます~!」
何も知らない新人が、元気よく廊下に現れた。
「副団長! 今日の――」
団員全員が、全力で止めた。
「シッ!!!!」
「止まれ!!」
「見なかったことにしろ!!」
「え? な、なに?」
新人は混乱し、その視線の先で――ちょうど扉が閉まった。静寂が副団長室に流れる。
「……」
「……」
数秒後――。
「……報告……する?」
「……団長、倒れない?」
「いや、もう倒れてるかもしれん」
「“丸くなった”とか言ってた、昨日の自分を殴りたい……」
全員、深刻な顔で頷いた。
その頃、副団長室の中。
「……?」
真琴が首を傾げる。
「外、騒がしかった?」
「気のせいだ」
リオンは穏やかに答え、何事もなかったように紅茶を差し出した。
(――邪魔は入らない。当然だ)
それが、騎士団全員を青ざめさせた理由だとも知らずに。
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