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番外編 見たら終わり案件(大騒ぎ)

 事件は、静かに起きた。場所は、騎士団詰所の裏手。書庫へ向かう細い廊下。私たちは、ただの業務中だった。 「副団長に渡す急ぎの書類、もう届けた?」 「いや、今から――」  角を曲がった、その瞬間に見た。副団長リオン様が立っていた……しかも、真琴殿を壁際に追い込んでいる状況に、私たちは息を詰まらせる。 (――――――)  私たちの時間が、そこで止まった。 「……真琴」  副団長の声は、低く柔らかい。仕事中に聞く声とは全く違う。 (――やばい) (――声が完全に“私人”) 「今、離れようとしただろう」 「え……? そ、そんなつもりじゃ……」  真琴殿の声は、困惑に満ち溢れていた。副団長の手が、そっと壁に添えられる。それゆえに逃げ道なし。現場にいた団員全員、無言で後退した。 「私は言ったはずだ」 「……?」 「無理をするな、と」 「……うん……」  真琴殿が小さく頷く。副団長は、ため息をひとつ吐いた。 「君が倒れたのを見て、私が何を考えたか……わかるか?」  真琴殿、首を横に振る。 「……正直、国ごと隔離する案まで浮かんだ」 (――隔離!) (――国ごと!) (――発想が終末!!) 「ちょっ……リオン、それはさすがに……」 「本気だ」  即答。しかも、優しい声で即答。団員の誰かが、喉を鳴らした音が聞こえた。 「私は君がいなくなる可能性に、一切耐性がない」  副団長が、真琴殿の額に額を寄せる。 「だから――」  耳元で囁く。 「逃げる選択肢は、最初から存在しない」  静かで甘い。そして――。 (――すごく重い!!)  真琴殿は、真っ赤になって俯いた。 「……ご、ごめんなさい……」 「謝る必要はない」  副団長の手が、そっと腰に回る。団員全員、反射的に目を逸らした。 (――無理!!) (――見ちゃいけない!!) (――でも、見た!!)  その瞬間、副団長がこちらを見た。正確には、こちらの“気配”を認識した。目がばっちり合う――その場にいた全員が終わった。 「……」  副団長は何も言わない。ただ、“把握した”という視線を私たちに向けた。団員たちは困惑の表情を露わにしながら、一斉に後ずさる。 「……あ、あの……」  誰かが、震える声を出す。副団長は、穏やかに言った。 「早く業務に戻れ」  逆らえる者はいなかった。  数分後、団員会議(非公式)が、即座に開かれた。 「聞いたか?」 「聞いたどころか、見た」 「腰……回ってたよな?」 「壁……ドンしてたよな?」 「しかも、声が……」 「“敵を殺す前より優しい”声だった……」  全員、頭を抱える。 「……これ……」  誰かが、震える声で言った。 「……真琴殿が理由で、世界が滅ぶやつじゃないか?」  誰も否定できなかった。  沈黙。そして満場一致。 「――見なかったことにしよう」 「いや、無理だ」 「……記憶が、どうしても消えない……」  団員たちは悟った。副団長は、もう抑える段階を終えている。残っているのは――“確定した独占”だけだと。 ***  団長室の扉が、叩き壊される勢いで開いた。 「団長!!」 「今すぐ時間をください!!」 「副団長が!!」  団長は、書類を持ったまま瞬きをした。 「……待て、順番に――」 「無理です!!」 「順番とか言ってる場合じゃありません!!」 「もう“その段階”を超えてます!!」  団長の眉が、ぴくりと動く。 「……その段階、とは?」  団員たちは、顔を見合わせ――一斉に叫んだ。 「副団長、丸くなってませんでした!!」  沈黙。団長のペンが、ぽとりと落ちた。 「……詳しく」  声が低い。 「廊下で……」 「壁に……」 「腰に……手が……」 「声が……優しすぎて……」 「逃げ道が……」  報告は断片的で、錯乱気味。だが団長の顔色が、徐々に白くなっていく。 「……確認する」  団長は、額を押さえた。 「副団長は……“私”と言っていたな?」 「はい……」 「敬語だったか?」 「はい……」 「命令形は?」 「……ありません」  団長は、深く息を吸った。 「最悪だ」 「団長?」 「それは……完全に自制を解除した状態だ」  団員たち、凍る。 「え……?」 「副団長が一番危険なのは、声を荒げたときじゃない」  団長は、机に手をついた。 「“穏やかに決めたとき”だ」 「……止められますか?」  誰かが、縋るように聞く。団長は、即答しなかった。それが、答えだった。 「……団長」  別の団員が、青ざめた顔で言う。 「副団長、真琴殿が離れようとしたこと、“把握済み”でした……」  団長は、目を閉じた。 「……ああ……」  理解してしまった。 「副団長は、“守る”と“閉じ込める”の境界が、極端に曖昧だ」 「今は……?」 「境界線を消した」  団員たち、悲鳴。 「じゃあ、どうすれば……」 「……方法は、ひとつだけある」  団長は、震える声で言った。 「真琴殿本人に、“副団長は制御できない存在だ”と理解してもらうことだ」 「それ、逆効果では?」 「そうだ」  団長、即答。 「だから……誰も言えない」  団員たちは、頭を抱えた。 「詰んでません?」 「詰んでるな……」 「世界……終わりません……?」  団長は、白目になりかけながら言った。 「……いいか」  全員、姿勢を正す。 「今後、副団長夫妻の私生活は――見ない、聞かない、近づかない」  団員全員、全力で頷いた。 「……それでも」  団長は、最後に付け加えた。 「見てしまった場合は……全力で、忘れろ」  団員たちは悟った。これは命令ではない、生存戦略だと。

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