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壊れた僕の代償

昨日と同じ時間、昇降口から真っ直ぐ教室に向かう。 教室を見渡すが、理央はまだいない。 煉は自分の机に座り、カバンを机の上に置いて下を向く。 (今日は、僕から話しかけるんだ。) 自分にそう言い聞かす。    (⋯おはようって、普通に話しかければいいんだよね⋯へ、変じゃないよね⋯わかんないや) 何が正解かわからない。だって、そんな会話生まれて一度もした覚えがない。友達なんて⋯いたことがない。 『そんな暇があったら勉強をしろ』っていつも言われてたから―― 誰かと会話を共有することなんて、僕には必要のないことだったから (でも、今は必要な事なんだ。だから話しかけなきゃ⋯) 震える手で腕を掴む。 次第に教室にいる人数が増え、ざわざわと騒ぎ出す。 「おはよう⋯」 小さく、誰にも聞こえないように呟く。 ――頭の中で、何度もシミュレーションする。 (おはよう、昨日借りたDVD見たよ。おはよう、面白かったよ、ブレイブマン。おはよう、おはよう⋯) 理央が来る瞬間まで、まるで呪文のように繰り返す。 ガララ―― ドアが開く音が聞こえ、バッと視線を上げる。 理央がいる。隣には黒崎悠斗の姿もあった。 (今だ⋯話しかけなきゃ) けれど体が動かない。声を出そうにも乾いた声しか出ない。 昨日もあんなに、シミュレーションしたのに、ブレイブマンを見ながら、このシーンが面白かったと理央くんと話そうってあんなに、あんなに、考えていたのに⋯ (動け、動けよ⋯!) また、あの笑顔が誰かのものになってしまう、その前に、話しかけないといけないのに――! ――頭が真っ白になっていく。 まるで世界で自分だけになってしまったかのような感覚。 (嫌だ、嫌だ――) その時―― 「おはよう、黄泉坂!」 瞬時に引き戻された。顔を上げる。 そこには自分に笑いかける、理央の姿がいた。 (四十回目⋯) 僕にだけ、笑いかけてくれた。嬉しい―― 「お、おはよう……」 必死に声を絞り出す。声はかすれて、聞くに絶えないであろうに、理央は全く気にする素振りを見せない。 「黄泉坂!見てくれた?ブレイブマン!!」 「⋯!?うん⋯うん!」 思わず前のめりになって答える。 その瞬間、理央の顔がぱあっと明るくなる。 「ほんと?どこまで見た?」 「十五話まで⋯」 「え!?貸してたの全部見てくれたの!!」 理央が目を丸くして声を上げる。その反応に煉の胸がきゅっと鳴った。 「うん、昨日帰って、全部見た⋯」 「すげぇ!結構長かったのによく見たな!」 「えっと、面白くて、気づいたらずっと、見てた⋯」 帰ってからずっと、見てた。リビングで。 大学から帰ってきた兄が信じられないものを見たかのような顔をされたがどうでもよかった。 兄と目を合わせず、ブレイブマンに集中していた。 「どの話が面白かった?」 「六話かな⋯」 「あぁー!!いいよな!ブレイブマンの優しさが詰まってる回!!」 「『見返りなんて、いらない。その笑顔が僕の勇気』⋯すごくいいセリフだった。」 「だろだろ!!見返りを求めないなんてカッコよすぎだよな、ブレイブマン!!」 「うん、とってもかっこよかった⋯」 何回も見直した。理央くんと感想を言い合いたくて、それこそ朝まで永遠と―― 「じゃあ、あれは!八話の助けを求めた怪人に手を差し伸べたところなんか⋯」 「理央!!」 瞬間、二人の世界にヒビが入る。 ――黒崎悠斗だ。 理央が悠斗の方を振り向く。 「何?悠斗」 「声がデカイ、キモイ、落ち着けよ。」 「えっ、キモイは言い過ぎ!そんな声でかかった?」 「周り見てろよ、皆お前に注目してる」 理央がきょろきょろとあたりを見渡す。 ちらちらとこちらを伺う視線が確かにある。 「うぇっ!マジか恥ず!!」 顔を赤くし、照れたように笑う理央に、悠斗は呆れたようにため息をつく。 「お前、テンション上がりすぎ。昔からブレイブマンのことになるとそんな風になりやがって」 「ごめんって!」 煉は二人のやり取りをじっと見る。 (四十一回目⋯) 理央くんの、笑顔の数。でもその数は、僕に向いていない―― 胸が苦しい。 「でもさ、悠斗!黄泉坂ったらすごいんだ!貸してたやつ一晩で見てくれたんだ!」 「はぁ?⋯一晩で?」 顔を歪ませ、訝しげな目で煉を見る悠斗。 そのまま煉の姿を見る。目の下には隈⋯ (こいつ⋯まさか朝まで見てたのか?) 悠斗はちらりと煉に視線を見たあと、改めて煉に視線を戻す。  「黄泉坂、お前寝ずに見ただろ?」 その問いに、煉はびくりと肩を揺らす。 確かにそうだ、でもそれ以上の意味をこの言葉に感じた。 ――こいつの言葉には、なにか裏がある。 全身に警戒心が駆け巡る。ナイフで脅されているかのような緊張感だ―― 「⋯⋯うん、面白くて、止まらなくて」 「マジで!そんなに気に入ってくれたのかよ黄泉坂!俺、嬉しい!!」 理央は心の底から喜んでいるようだった。その笑顔に煉の緊張は緩む。 (四十二回目⋯でも僕に向けられてない。) それでも、数えてしまう――癖のように。 けれどその隣で、悠斗は静かに煉を見ていた。 いつもの無表情で、淡々と見ている。まるで何かを吟味しているかのように。 それが怖くて煉は悠斗から視線を逸らしてしまう。 「⋯⋯なぁ、理央。お前、先生に呼ばれてたんじゃねぇーか」 「え?⋯⋯あ!そうだった!ごめん、黄泉坂ちょっと職員室行ってくる!!」 理央はあたふたとカバンを置いて、急ぎ足で教室を出ていった。その姿をぼんやりと煉は目で追っていた。 (もっと、話したかったな⋯) この場にいるのは、煉と悠斗の二人だけになった。 「お前さ、ほんとにブレイブマン好きなの?」 悠斗が淡々とそう聞いてくる。 煉の胸が、びくりと揺れる。 (――探られてる) 直感的にそう思った。 「中学のとき、理央のこと好きな女が同じことしてたんだよ。理央に近づきたいからって」 その言葉を聞いて、体が固まる。 (同じこと――) 「好きでもねぇもの、好きって言って話合わせてさ。結局理央のあのオタクぶりを見て引いてたわ」 悠斗の声は淡々としていた。 怒っている訳でもなく、呆れている訳でもない。 ただ、事実を告げているような、乾いた声色であった。 「お前もそうなんだろ?ストーカー野郎」 その言葉が鋭く貫く。 喉が詰まって、息ができない。酸素が足りない。 (バレてる?⋯いや、落ち着け。まだ逃げれる)   心臓がひときわ大きく脈打った。 視界がかすんで、足元が揺らぐ。 「⋯言っとくけど、''まだ''あいつには言ってないからな」 「まだ⋯?」 「わかんねぇ?これ以上お前が変なことしないか脅してんの」 冷たい、無機質な目で煉を見る。 「変なことって⋯そんな、」 「昨日、お前尾行してたよな?俺らのこと、いや正確には理央か⋯」 心臓がドクンと大きく跳ねる。 「バレてねぇと思ってたか?⋯見てたぞ、あいつが部屋に入るとこ、お前がじっと見てたの。あ、帰る方向同じって言っても無駄だぞ、同じ方向のやつがいちいち電信柱の陰に何回も隠れながら歩くわけねぇだろ」 声は静かだが、微かに苛立ちが見える。 「⋯っ!」 言い訳すらできない。退路を全て絶たれた。 「お前が何考えてあんなことしてたか知らねぇけど、世間的に見れば気持ち悪いからな、お前の行動。」 気持ち悪い―― その言葉に胸が疼く。 何も知らないくせに。 僕がどれだけあの人に救われたか――だから、あの人のことをもっと知りたいだけなのに⋯ なんでそんなことを言われなければならないんだ。 「⋯何も知らないくせに」 絞り出すように呟く。 「はぁ?」 「何も知らないくせに、僕がどれだけ、理央くんに救われたか⋯あの笑顔にどれだけ救われたか⋯」 声が震える。 「だから理央くんの全てを知りたかった。」 「⋯それが気持ち悪いってわかんねぇのかよ。」 頭を殴られたような衝撃が襲う。 自分の全てを否定されたような気分だ。 「お前のそれは''押し付け''って言うんだよ。ろくな対話すらせずに『知りたい』って何様なんだよお前。知りたいなら会話をしろよ⋯そんなことしたら理央が、悲しむってわかんないのかよ⋯」 眉をひそめ、吐き捨てるように悠斗は言う。 「だって、そんなの⋯」 言葉が上手く出せない。何か言わなければならないのに、なんで⋯ 「⋯⋯とにかく、あんなこともうやめろ。理央が知ったら悲しむだろ⋯」 そういった直後―― 「ごめん、ごめん!遅くなった!」 明るい声と共に理央が帰ってきた。 その瞬間、空気が一変する。 煉と悠斗どちらも気まずそうに理央から視線を逸らす。 「?⋯どうしたの二人とも。⋯さては悠斗、ブレイブマンのこと貶したんだろ?いじわるはやめろ」 「⋯してねぇよ、そんなこと。ちょっと込み入った話しただけだよ。」 「⋯⋯うん、ちょっと、ね⋯」 いじわるは本当にされた。あれをいじわると言っていいのかわからないほどの脅しだったが、 理央に醜い感情を知られたくなくて煉は悠斗の話に合わせた。 「⋯そうなんだ。なんか雰囲気変だったから心配しちゃったよ。」 理央が首を傾げたその瞬間―― ――キーンコーンカーンコーン 朝のチャイムが鳴った。 「あ、やばっ!チャイム鳴った!席戻んないと!」 バタバタと慌てながらも、理央は振り返って笑う。 「黄泉坂、またブレイブマン語り合うなー!あ、続きのDVDもあとで貸すからー!」 いつも通りの声。いつも通りの笑顔。 それが、どうしようもなく遠く感じた。 煉の隣にまだいる悠斗はため息をつき、 「黄泉坂、理央に嫌われたくなかったら、もうやるんじゃねぇぞ」 そう言い残して、煉に視線を向けることなく背を向けた。煉は呆然とその背中を見つめる。 (理央くんに、嫌われる……?) 胸がざわつく。 赤の他人に何故そんなことを言われないといけないんだ。 (そんなこと、あるわけない。僕はこんなにも、理央くんを想っているのに)   きっと、理央くんなら許してくれる⋯ ――あんなこと言うあいつにだけは、理央くんを渡さない だから、やめるもんか   また何かが、壊れる音がした。

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