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9.ふしぎな気持ち
「人格が2つ。そんなことが……」
今のは僕の声……だよね?
聞き慣れたはずの自分の声が、他人のもののように聞こえる。
「異常ですよね。……っ、救いようがない」
僕は堪らず、オリーブ色のズボンに顔を埋めた。
あれから20分。
僕らは、もとの形に戻っていた。
まだ熱の残る肌を隠すように衣服を纏い、1つの焚き火を囲んで座っている。
この火も、レイ殿が用意してくれたものだ。
お陰で暖かくて、レイ殿の姿もハッキリと見て取れる。
だけど、僕は――未だに目を合わせられずにいた。
「僕はやはり……ケジメを付けるべきなんでしょうか」
「バカ。早まるんじゃねえよ。まだ手はある」
「……そう、なんですか?」
「ああ、簡単なことだ」
レイ殿は細い枝を火に放り込んだ。
ふわりと火の粉が舞って、パチ、パチと小気味のいい音が立つ。
「もう1人のお前は、過度な抑圧によって生まれた。ようは、表のお前が適度に発散すれば、ヤツはもうお役目御免になるってわけだ」
「……発散」
「ミシェルにでも紹介してもらえよ。高級娼婦……いや、男娼か。ヤツのお墨付きなら安心だろ。払うもん払えば、他言はしねえはずだ」
『嫌です』『僕には無理です』
そんな数多 ある拒絶の言葉を、ぐっと呑み込んだ。
分かってる。僕には拒否権なんてない。
これ以上迷惑をかけないためにも、そうするべきだと思う。
分かってる。……分かってるけど、踏み切れない。
そこには――愛がないから。
処理だけを目的としたセックスなんて、そんなの…… 父 と同じじゃないか。
「嫌か? はっ、ワガママ言ってんじゃねえよ」
「……すみません」
「あの家には、ガキがいるんだぞ」
「……っ」
「アンタと同じ思いをさせる気か?」
あの日の――
幼い僕とユーリが、
父 と僕の姿が、ぐにゃりと入れ替わっていく。
『あっ……あぁ……』
ユーリが激しく動揺し出す。
堕落した僕の姿を――レイ殿を求めて嬌声 を上げる僕の姿を見て。
夢が、希望が、砕ける音がする。
それは骨を砕くような、凄く嫌な音で――。
「分かったか」
「はい」
「なら、確実に処理しろ。いいな」
「…………はい」
膝の上に、一層深く顔を埋めた。
ただ、真っ当に生きたいだけなのに。
どうしてこうも上手くいかないんだろう。
僕には無理なのかな。
死ぬ以外に、自由になる方法なんて――。
「別に恥じるこたねえよ。男ならムラムラすんのは当然だ。好色家の息子だろうが、聖職者の息子だろうが関係ねえ」
「…………」
「それにアンタは騎士なんだ。余計に、だろ」
「……どういう意味ですか?」
「アンタらは『盾』だ『名誉』だのと囃 し立てられて、常に最前線に立たされてる。生を実感しねえことには、やってらんねえんだろうよ――」
「僕は違う」
「は?」
「僕は死にたいんだ」
遠ざかっていく。
風の音も、焚き火の音も。
「………ざけんなよ、このガキ」
「あ……」
怒りの熱に触れた瞬間、我に返った。
決して口にしてはいけない言葉だった。
騎士としても、人としても。
今まで一度だって……ゼフにも、アーサーにもひた隠しにしてきたのに。
自棄になってるのかな。
「テメェの使命はなんだ?」
「……ユーリを育てて、魔王を倒すことです」
「そうだ。5年、10年で済むと思うなよ」
「……はい」
「精々、その間に見つけろ」
「……?」
言っている意味が、よく分からなかった。
レイ殿の方に目を向ける。
彼は僕とは目を合わせずに、焚き火をじっと見つめていた。
「やりてえこと、だよ」
「やりたい……こと」
「言っとくが、使命とは別のもんだぞ。もっと個人的な何かだ」
「……貴方で言うところの『猫を飼う』、みたいな?」
「ああ。そうだ」
なら、僕は――愛に生きてみたい。
彼らのように、誰かを一途に想ってみたい。
……何てね。
僕には過ぎた夢だ。
小さく首を左右に振って、自嘲気味に嗤う。
「何もねえから、ンな風に投げやりになるんだろ」
「……かもしれませんね」
「かもじゃねえ。そうなんだよ」
「っ!」
枝を投げつけてきた。
『焚 べろ』ってことかな。
絵筆のような細い枝をパキっと割って、火に放り込む。
「安心しろよ。何も見つからなかったら、そん時は――テメェをモノホンの猫好きにしてやっから」
「……えっ?」
「さっきの話、全部嘘だろ」
「っ! それは……」
「ナメんなよ。このにわかが」
「……すみません」
あの時は、落胆を隠すのに必死だった。
貴方も死に向かって生きているのだと思い込んで、期待して。
ほんと……勝手だよね。
「……申し訳ございませんでした」
「……………………今のは笑うとこだぞ」
「えっ……?」
「…………」
「…………」
焚き火がパチパチと音を立てて、夜風が髪を揺らす。
レイ殿は――顔を俯 かせて、眉間に皺を刻んでいた。
頬にも力を込めて……けど、小枝を弄る手だけはやたらと忙しなくて。
「……っ」
頬が緩む。
どうしよう、止められない。
「ふっ……ははっ……」
笑っちゃった。
一度笑い出したら、もう止められなくて。
「ふふっ……ははははっ……!」
「……バカ、笑い過ぎだ」
言葉とは裏腹に、レイ殿も笑ってた。
片側の口角だけを、くいっと持ち上げて。
――ちゃんと笑ってるとこ、初めて見たかも。
胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
それでいて擽 ったい。
何だかじっとしていられなくて。
「……っ」
小枝を拾って弄り出す。
指の腹でコロコロと転がしたり、上下に擦ったり。
これは何の木の枝だろう? ……なんて漠然と考えてみたり。
でも、やっぱり落ち着かなくて。
「さて、そろそろ戻るか」
レイ殿は立ち上がると、足先で砂を飛ばした。
炎がすっと沈んで、夜が戻ってくる。
消えた炎を見ていると、何だか……物凄く寂しい気持ちになった。
「…………」
持て余した感情を足先に乗せて、そっと砂を蹴る。
「いい加減戻らねえと、あのガキが凍死しちまう」
「……凍死?」
「家を氷のドームで覆ったんだ。俺も流石に『祈り』は使えねえから――っ! おい!」
僕は慌てて駆け出した。
あ、いや。ちょっと待って。
どうしよう、道が分からない。
右往左往していると、レイ殿が叫んだ。
「北だ! 北!!」
「あっ……すみません」
「ったく、この脳筋が」
また笑った。
呆れ半分に。片側の口角だけを持ち上げて。
その眼差しは――泣きたくなるぐらい穏やかで、心地よくて。
「……っ」
「何だ? 逆ギレか?」
「いえ、……引き続き、案内をお願い出来ますか」
「ああ、ちゃんと付いて来いよ」
レイ殿は勢いよくジャンプすると、そのまま鳥のように宙を飛び始めた。
「すごい……」
風魔法の一種かな。
いいな、僕もあんなふうに飛んでみたい。
……って、今は呑気に羨ましがってる場合じゃないよね。
ぱっと切り替えて、レイ殿の後を追う。
ユーリはまだ10歳の子供。
それも、両親と故郷を亡くしたばかりの子供だ。
寒さと孤独は、きっと今のあの子には堪える。
今、あの子がどんな気持ちでいるのか。
想像するだけで胸が痛んだ。
それに――
『『『兄さまっ!』』』
どうしても重ねてしまう。
ユーリと、守れなかった弟妹を。
僕のせいで……っ、ごめんね。
今、助けに行くからね。
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