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13.湯煙大作戦
「おっせーな。まだかよ……」
「もうそろそろだと思うけど」
僕は曖昧 に返しながら、暖炉に目を向けた。
そこには2つの大鍋が。
湯気をふわふわと立ちのぼらせている。
レイ殿がこの家を出てまもなく2日。
予定では、あと数時間ほどで帰ってくることになっている。
……このまま何も起きないといいけど。
「くそっ。……オレ、がんばったのに」
ユーリがゴンっと鈍い音を立てて、テーブルに突っ伏した。
拗ねた仔犬みたいだ。ふふっ、可愛いな。
そんなユーリの目の前には、丸められた羊皮紙がある。
あれは、レイ殿から出された課題だ。
ユーリは本当によく頑張ったと思う。
ブチギレたり、半べそをかきながらも、めげずに粘って答えを出したんだから。
「ぎゃふんって……言わせてやるんだ~。へへっ、……見てろよ……あのハゲ……」
「あれは坊主頭だよ」
「…………」
「……ユーリ?」
静かになった――と思ったら、すーすーと寝息を立てていた。
「もう……こんなところで寝たら風邪を引くよ」
肩を揺すっても「ん~」とイヤイヤするばかり。
仕方がない。僕は小さく息をついて、ユーリを抱き上げる。
歩き出すと、両足をぎゅーーっと巻き付けてきた。
おまけに頬擦りもしてきて。
寝ぼけてるのかな?
僕のこと、お父さんだと思ってる?
『死んだからって無理に塗り替える必要はねえ。今のアイツには、まだ……必要なもんだ』
レイ殿の言葉を反芻しながら、ユーリをベッドに寝かせた。
心做 しか笑っているような気がする。
いい夢を見ているのかな。
小さな頭をそっと撫でて、立ち上がる。
周囲の棚は本でぎっしり。
床には、『魔術書の塔』がいくつも築かれている。
ちょっと埃 っぽいな。明日にでも掃除しよう。
「おやすみ」
書斎を出たところで、人の気配がした。
レイ殿だ。
大急ぎで玄関扉の前へ。
これじゃ、主人の帰りを待つ犬だ。
僕も人のことは言えないな。
「……起きてたのか」
扉の先に立っていたのは――オリーブ色のフードを目深に被った白人男性。
完璧な変装だ。でも、言動はレイ殿のままで。
「ふふっ」
「笑ってんじゃねえよ」
レイ殿は言いながら、マントと金髪のウィッグを脱ぎ捨てた。
1つ、2つと完璧な変装が崩されていく。
僕はその過程を密かに楽しんだ。
やっぱり、元の貴方の方が素敵だ。
「お髭 、どのくらいで元に戻るんですか?」
「2~3か月はかかるだろうな」
「へぇ~、僕も伸ばしてみようかな」
「やめとけ。ぜってー似合わねえから」
「ヤダな。子供扱いしないでくださいよ」
むくれたフリをして、緩んだ顔を隠す。
貴方に恋をして2ヶ月。
僕は自然と嘘をつけるようになっていた。
最初の頃はドキドキと罪悪感でいっぱいだったのに。
こうやって、ちょっとずつ身勝手になっていくんだろうな。
……恋って恐ろしい。
「やりゃデキるじゃねえか」
レイ殿が目を向けていたのは、ユーリが仕上げた課題だった。
どうやら、彼の努力は報われたみたいだ。
何だか自分のことのように嬉しい。
「必死に頑張ってましたよ。貴方に『ぎゃふん』と言わせるんだって」
「可愛くねえの」
なんて言いながらも、レイ殿は笑ってた。
先生の顔だ。率直にそう思った。
ユーリを育てることに、やりがいを見出しつつあるのかもしれない。
「お疲れでしょう。そろそろお風呂に入られては?」
「そうだな。あ~、もうくたくただ」
「……っ、良かったら、お背中流しますよ。その塗料、落とすの大変なんでしょう?」
「へぇ? 気が利くじゃねえか」
レイ殿には悪いけど、これは純粋な善意なんかじゃない。
深夜、密室、湯浴み。
もしかしたら、何かが変わるかも……?
なんて浅はかで、虚しい期待を膨らませてのことだ。
我ながらバカだなと思う。
「んじゃ、頼めるか」
レイ殿が手を翳 すと、暖炉の大鍋が2つ同時にふわりと浮いた。
風魔法かな。凄い。あんなことも出来るんだ。
「沸騰しているので、魔法で適宜冷ましてください」
「おう。さんきゅな。……ああ、そうだ。あとの準備は俺の方でしておくから、これ、しまっておいてもらえるか?」
レイ殿はそう言ってリュックを差し出してきた。
ずしりと重たい。中には乳製品や野菜がぎっしりと詰まっていた。
「ミシェルからだ」
「ありがたいですね。けど……重たかったでしょう?」
「ナメんなよ。これでも鍛えてるんだぜ」
「ふふっ、これは失礼を致しました」
レイ殿の後に続いて地下へ。
僕は食料庫での用を済ませて、レイ殿が待つ物置部屋に入った。
石造りで窓もないこの部屋は、寒々としていて薄暗い。
部屋の四隅に置かれた燭台の火が、木桶にお湯を注ぐレイ殿の姿をぼんやりと照らしていた。
「じゃあ、後ろ頼むぜ」
「はい――っ!」
レイ殿が木桶に片足を入れた。
直後、僕の視界に――きゅっと締まったお尻が映り込む。
裸だ。……って、当然だよね。お風呂に入るんだから。
落ち着け……落ち着け……。
何度となく自分に言い聞かせて、荒ぶる鼓動を鎮める。
「かぁ~、サイコ~」
レイ殿は体を沈めて、肩までぐーっと浸かった。
大きな洗濯桶みたいな円形の湯船は、大して深くない。
レイ殿が背筋を伸ばすと、肩から肩甲骨のあたりが枠の外に出た。
「……失礼します」
僕は平静を装いながら、タオルで背中を擦っていく。
「あぁ゛~、このっ……やるじゃねえか」
「そっ、そうですか? 良かった……」
「先輩騎士の背中でも流してやってたのか?」
「いえ。ただ弟妹のお風呂の世話は、一度だけさせてもらったことがあります」
そうたったの一度きり。
それも5人中3人だけ。
他の2人には会ったことすらない。
『あ~、お前さんはあれだな。叩き上げ。典型的な実践タイプ。戦いの中で成長していくタイプだ』
先生はそう言って、僕を碌 に指導しないまま戦場に放り込んだ。
『王国一の騎士・イゴールの愛弟子』という最高クラスの肩書きと、フォーサイスの後押しもあって、僕は出陣に出陣を重ねて……気付けば20歳に。
8年ぶりに実家に戻ると、そこにはもう――誰もいなくなっていた。
残っていたのは 父 と、 父 の血を色濃く継いだ母親違いの兄弟だけ。
『『『おかえり、ウィル』』』
――グロテスクな笑顔。
僕には彼らが魔物に見えて。
『ダメだ、ウィル!! 堪えろ!!!』
あの時、ゼフが止めてくれなかったら、僕はきっと――。
「……っ」
首を左右に振って、考えるのを止めた。
今はよそう。レイ殿の前だ。
「なるほど。昔取った杵柄 ってわけか。へっ、その調子で頼むぜ」
「お任せください」
蒸れて湿った鼻を擦りながら、根気よく背中を流していく。
すると、徐々にだけど塗料が落ち始めた。
見慣れた褐色肌が戻ってくる。
ああ、これだ。僕は思いのなすままに、その肌に触れる。
胸の奥がじんっと甘く痺れるのを感じた。
「……貴方の肌の色、凄く素敵ですよね」
「は?」
「太陽の息吹を感じます。力強くて、それでいて美し――」
「くだらねえ。無駄口叩いてる暇があったら、手ぇ動かせ」
愛の言葉のつもりだった。今の僕が贈れる精一杯の。
だけど、結果はこのざま。一蹴。明確なNOだ。
レイ殿にその気はないのだと、まざまざと痛感させられる。
ははっ……、分かり切っていたはずなのに……ほんとバカだな。
「……っ!」
突然、視界が揺れた。眩暈 ?
おまけに……凄く眠い。なに、これ……?
あれ? そういえば……前にもこんな、こと……が……。
「ウィリアム? どうした――」
ウィリアムか。
呼び捨てもいいけど、やっぱ愛称で呼んでほしいな。
『ビル』って。
貴方の温かでハスキーな声で。
「おいっ! しっかりしろ――」
レイ殿の声がどんどん遠ざかっていく。
深い水底へ沈むように、僕の意識はゆっくりと落ちていった。
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