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第2話 日常
それから十二年が経った、西暦二三二八年六月十五日金曜日。
僕が引き取ったカナタは、もうすぐ一八歳を迎える。
高校三年生である彼はいつからか俺より早く起き、朝食の準備をして洗濯機まで回すようになっていた。
「あ、おはよう音耶」
にこにこと笑いながらカナタは言い、テーブルにお皿を並べる。
焼き魚にご飯、お吸い物。
日本の朝食、という感じの食事を用意したカナタはとても日本人には見えない容貌をしている。
短い銀髪に、紫色の二重の瞳。先端が少し尖った耳に、青白い肌。口もとから尖った八重歯が見える彼は、今の日本ではごく一般的な人の姿だった。
三百年ほど前に突如世界を襲った大洪水は、海抜五十メートルの都市を水底に沈めた。
そこから人類は進化をとげ異形ばかりの世界となった。
異形の多くは生活のために旧人類の姿をとれるが、どこかしらに異形の痕跡が残る。
カナタは本来背中に黒い羽根があるが、普段は人に擬態してその羽根を隠している。だが旧人類の姿でも耳や肌の色、八重歯など異形の原型をとどめていた。
だけど僕は違う。
純粋な、世にも珍しい旧人類。
そんな目立つ容貌の為、俺は異形たちのかっこうの標的にされていた。
――性的な、意味を持って。
僕は、カナタに挨拶を返して食卓に腰かける。
「今日は俺、部活で遅くなるからね。帰り六時過ぎる」
「あぁ、わかってる。夕食はちゃんと作るから」
僕が答えると、カナタは頷き言った。
「昨日のひき肉残ってるから、よかったら使って。週末は買い物連れてってね」
「わかった」
家事は僕と彼で分担して行っている。
朝食はカナタが。夕食は半分半分だ。
カナタは勝手に弁当を用意するようにもなり、俺がやる家事はだいぶ減った。
「冷蔵庫にひき肉解凍してあるからそれ使ってね。明日は買い物ね」
なんて言いながら、当たり前のように俺のお茶を用意して、カナタは椅子に腰かけた。
「いただきます」
「いただきまーす」
白いシャツに紺のスラックス。それに紺のベストを着たカナタは、長い指で器用に箸を持ちご飯を食べていく。
引き取った時、僕よりもずっと小さかったのに、今では僕の身長を五センチ越えて百八十センチになってしまった。
彼がもつ茶碗も湯呑も小さく感じてしまう。
僕よりも早くささっと食事を終えたカナタは、食器を片付けてバタバタとリュックを背負い、僕に手を振った。
「じゃあ行ってきます!」
「いってらっしゃい」
カナタは元気よく挨拶をして、マンションを後にした。
残された僕は、黙々と食事をとり、食べ終えれば食器を洗う。
なんでもない、平和な時間。
十二年前、カナタの両親は闇ルートで手に入れた人魚の肉を食べて怪物となり、隣に住んでいた僕が殺した。
この国には人魚の肉を喰えば不老不死になれる、という伝説がある。
洪水により人魚が姿を現した三百年前、人々は当たり前のように人魚を乱獲し、その肉を喰らったらしい。
だけど皆、怪物となり理性を失い大量虐殺が起きたという。
それから人魚狩りは禁止されたけれど、今でも人魚の伝説を求めて闇で肉が流通する。
おかげで人魚は姿を見なくなり、絶滅した、とも人に擬態して生活している、ともいわれている。
人魚の肉を喰らった者は誰も不老不死になんてなっていない。
少なくとも、表向きは。
食器を洗い、洗濯物を干して掃除機をかけて。
俺は仕事の用意をする。
といっても私服に着替えるだけだが。
黒いシャツに、黒いパンツ。それに銀色のカラーコンタクトを装着し、帽子を被ってマンションを出た。
不老不死なんておとぎ話だ。
僕もそう信じていた。
百年前のあの日までは。
僕が生まれたのは百年以上前。
僕は、たぶん人魚を喰らい不老不死になった唯一の存在だった。
だから僕は、まともな仕事にはつけない。
洪水で政治機能が止まっても、群馬に首都機能を移して今でもまともに国家としてなりたっているこの日本、という国ではいまでも戸籍が機能している。
僕は戸籍上百歳以上だ。
しかも何年経っても見た目がまったく変わらないから普通の仕事などできるわけがない。
カナタを引き取る前は、遺跡で遺物を発掘するハンターで生きてきた。
けれどハンターは何日も家を空けるし、六歳の子供をひとりになどしておけるわけがない。
「やだ、僕、音耶兄ちゃんと一緒にいる!」
と、両親を殺した僕から離れなかったカナタを引き取る為に、色々と裏取引をしなくてはならなかった。
カナタが学校にいっている間だけ仕事をし、カナタが帰る前に家に帰る。
そんな生活を初めて十二年経った。今や僕は高級娼夫だ。主に政治家や金持ち相手に身体を売る。
純然たる旧人類の姿である僕は、この異形ばかりの世界では珍獣扱いだ。だから俺は人気があり、客が途切れることはなかった。
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