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三日目・ジク「宝石」
昨晩、夕食を食べ終えた頃から、アロの何かが吹っ切れたように感じる。
躊躇いなく私に頼り始め、してほしいことは、してほしいとハッキリ口にするようになった。
「この癒し処に、残り四泊させてもらうが、俺の目的は明確だ」
デザートの葡萄を口に頬張りながら、彼が言う。その顔は賢い騎士の表情で、作戦会議でもするように私に告げる。
「ここでの静養を終えれば、その翌日から旅に出るんだ。遠くにある国まで遠路はるばる出かけていかなければならない」
「ご旅行ですか?」
「少し違うがそんなところだ。それで俺の老いた世話役は、とにかく睡眠をしっかり取ってくるように、ということで俺をここへ送り込んだ。長旅に備えろ、ということだろう」
「日頃から睡眠時間が短いのですか?」
「寝てしまえば深く眠れるのだが、とにかく寝つきが悪いんだ。なかなか眠れない」
「昨晩は、蜂蜜入りホットミルクが効いたのですかね?」
これにもハッキリと首を横に振る。
「確かにホットミルクは美味かった。今夜も飲みたい。ただそれよりも、一緒に眠ってくれただろ?ジクが。ボートの上での昼寝もそうだ。誰かが一緒に居てくれるとよく眠れる」
「なるほど」
「幼い頃は、いつも月の王子が一緒に眠ってくれたんだ」
思い出話を口にできるようになったのならば、心もほぐれてきた証拠だ。
アロのことをちゃんと癒し、万全の体調で旅立たせてあげられそうで、よかった。
ベッドに入れば、アロは私に抱きついてきた。
「温かいな、ジクは」
そして私の体温を感じながら、あっという間にスースーと眠りに入った。長年、騎士として頑張ってきた疲れが溜まっているのだろう。
私は彼の寝息を聴きながら、月の王子のことを考える。
王子はきっと、アロのことを愛していたのだろう。愛していても、国を守るため記憶を消してどこかに身を隠してしまった。さぞ無念だったと思う。
私も、王子と同じで昔の記憶が全くない。もしも、以前恋人だった者が現れたとしても、思い出すことはできないはずだ。
私の中で王子への親近感が湧く。王子の代わりに、アロを愛してあげたい、とまで思ってしまう。月の王子と一緒に眠るような立場にいる、アロの出自も知らないくせに。
せめてこの数日間。アロにできるかぎりのことをしてあげたい。
そう願いアロの寝息を聴きながら、私も眠りに落ちていった。
早朝。湖畔の鳥たちの声で目が覚めたが、アロが起きる気配はないので、私も二度寝をした。
二度寝とは、なかなか贅沢な行為である。
次に目が覚めたとき、部屋には燦燦と朝日が降り注ぎ、その眩しさに目を細めるほどだったが、アロはまだ眠っている。
そこから私は、枕に頬杖をつき、彼の寝顔を眺めて過ごした。オレンジ色の髪は太陽のように美しく、少し吊り上がった眉毛は凛々しい。でも眠っている姿は、起きているときより少し幼く、可愛らしく見える。
「んー」
声を零しながら寝返りをうったアロの右手が、何かを探すように宙を彷徨った。すかさずその手を掴んで引き寄せて、そっと口づけてやる。彼は安心したようにまたスースーと眠り続けた。
しばらくして、グゥーと私の腹の虫が鳴いた。アロはいつまで眠るつもりだろう。お腹が空かないのだろうか。少し心配になる。
でも、眠れるだけ寝たらしい。お腹が空いたのなら、起きてから好きなだけ食べさせてあげるから。
今は彼の「睡眠欲」を満たすことだけを考えてあげよう。
もう一度アロを眺めれば、常に日光に当たっている顔よりも、深緑色のスカーフで隠れているのだろう白い首に目がいく。
上下に動く喉仏が、なんだかまなめかしく、性的ないやらしさを感じドキリとした。
一度そう思うとその首を直視できなくなり、私はまた目を瞑る。頭の中で想像してしまう性的なことを、必死に追い払うため、湖の美しさを思い浮かべようと努力した。
……。知らぬ間にか、三度寝をしていたようで、アロに揺すって起こされる。
「ジク、いつまで寝ているつもりだ。俺は腹が減った」
「ん。あぁ、また眠ってしまいました」
大きく大きく伸びをする。こんなに長時間眠ったのはいつ以来だろう。カーテンを開け、窓の外を見れば、太陽は真上にあって、昼ご飯の時間になっていた。
「今日は、何かやりたいことがありますか?もう昼過ぎですけど」
カモミールティーのおかわりをカップに注ぎながら、アロに尋ねる。
昨日と違い、アロは迷わず希望を伝えてくる。
「旅先に特別なプレゼントを持参しなければならないのだが、この辺りで調達できるものはないか?」
「プレゼント……。そういうことでしたら、とっておきの場所があります」
「では、そこへ連れて行ってほしい」
「承知しましたよ」
テキパキと答える様は、騎士としての有能ぶりが垣間見える。私としては、何か聞いても「別に」と答えるアロも好きだったのだが。
私たちはオヤツとなる蜂蜜を塗ったパンを持って、森の中へ入っていく。
「旅は他国への視察か何かですか?」
ちょっとした雑談のつもりでアロに話をふった。彼は静かに首を横に振り、黙ってしまう。何か言いたくない事情があるのだろう。
話題を変えて、森の樹々や生き物の案内をする。
「アロ、見てください。あの木の上、手の長い猿がいるのが分かりますか?」
「おぉ、見えた見えた。可愛いな。あっ、子どももいる」
「パンを狙ってますから、気をつけて」
彼は慌てて、取られまいと籠を抱え直す。
「アロ、その木に生っている黄色い実、火を通して食べると甘くて美味しいので持ち帰りましょう」
「よし、俺が採る」
「そんなにいくつも採ってはいけません。食べる分だけです」
目的地までの道を、散歩のように楽しみながら並んで歩く。
めずらしい草花を見かければ、二人の会話も弾んだ。
しばらく行くと、大きくそびえ立つ崖の下に出た。
「これを登るのか?こんな草履で?革靴を履いてくるべきだった」
「違いますよ。こちらです」
蔦がカーテンのように垂れ下がり、目隠しになっている洞窟を指さす。
「こんなところに」とアロも驚いた顔をしているが、私がここを見つけたのも偶然だった。
「この場所に、誰かを案内したことは今まで一度もないんです。私だけの秘密の場所。アロだから、教えてさしあげたのですよ」
つい恩を着せるようなこと言ってしまいながら、持参にしたキャンドルに火を灯す。
「暗いですから、足元に気をつけて」
岩がぽっかりと口を開けたような洞窟を、奥へ奥へと進んでいく。地面は小さな砂利から、ゴツゴツとした石だらけの道へと変わってくる。
「やっぱり革靴で来るんだった」
そうアロが愚痴ったところで、私は足を止める。
「足元の石を見てごらんなさい」
怪訝な顔をしつつしゃがんだアロが石を手にとり、キャンドルの明かりでそれを照らした。
「なんだこれ、透き通ってる!」
「美しいでしょう。私は宝石の名前は知りませんが、他にはない輝きだと思いますよ」
赤みを帯びた石、濃い緑色をした石、湖の水面のような青い石。拳を握りしめたような大きさの石も転がっている。
「いくつも採ってはいけない。必要な分だけ、だろ?ジク」
「はい。その通り」
強欲な者だったら、採り尽くそうとするだろう。アロならば分かってくれると思っていたが、私の見立ては間違っていなかった。
「二つだけ、持ち帰らせてもらう」
そう言ったアロは、あっという間に一つを選びポケットに仕舞う。その後、もう一つをあれでもないこれでもないと探し回っている。
私も夕陽のようなオレンジ色の石を一つだけ、ポケットに入れた。
洞窟から出たところでオヤツを食べ、帰路につく。
森の中を歩きながら、ポツポツとアロが語り始めた。
「俺が行く国はさ、砂だらけなんだって。木も草もほとんど生えてなくて、雨があまり降らないらしい」
「へー、そんな国があるのですね」
「昼間はすごく暑くて、夜はすごく寒いんだってさ」
「その国にも湖はあるのでしょうか?」
「無いんじゃないかな。でも代わりに海がある」
「海!一度見てみたいですね」
「大きいんだろうな」
「えぇ、湖の何倍も大きいんじゃないでしょうか」
森の木々の隙間から、子鹿が怯えた様子もなく、私たちのことを眺めていた。
「その国には馬もいないらしい」
「では、長距離の移動はどうするのでしょう?」
「馬の代わりに、背中にコブのある生き物がいると聞いた」
「コブがあったら乗れませんよ?」
「それ、俺も思った。コブは一つだったり、二つだったりするらしい」
「上手く想像できませんね」
「あぁ、全く」
口ぶりから、その旅に本当は行きたくないのだということが伝わってくる。
「どれくらい滞在するのですか?すぐ帰ってくるのでしょう?」
「行ったら二度と戻ってこれない」
「え?」
「婿に出されるんだ。俺、三男だから。向こうがどうしてもって声を掛けてきたらしいけど、貿易するための国交がほしいんだろ」
「一人で行くのですか?」
「向こうの国から迎えが来て、一人で行く。俺が所属してた騎士団もさ、結成して十年が経ってようやく統率が取れてきたところだったのに。今抜けるのは悔しいよ」
「断れないのですか?」
「ジク、断ってよ」
「私が?」
本当にそんな力があったら、良かったのに。ただの冗談のやりとりでしかないところが、悲しい。癒し処の主人ではどうにもならないと分かっているくせに、落ち込んだ私の歩くペースが少し遅くなる。
「もし、月の王子が今も城にいたら、こんなことにならなかっただろうな」
「頼もしい方だったのですね……」
「あぁ、とっても」とアロは頷いた。
「王子との思い出話を聞かせてくれませんか?」
少し前を歩いていたアロが振り向いて私を見た。彼はふわりと笑って「いいよ」と答えた。
館に帰る道中、いろんな話を聞かせてもらった。彼がいかに強かったか。彼がいかに賢かったか。彼がいかにアロに対して優しかったか。幼い頃に背負ってもらった彼の背中が、どれだけ温かかったか。
嫉妬してしまいそうなくらい、月の王子は有能だったようだ。
「王族にはさ、一人一人を示す名前が無いんだ。太陽の王族にも、月の王族にも」
「それは知りませんでした。不便ではないのですか?」
「すごく不便。でもずっと昔から名前がないから、誰も疑問には思ってない」
「そういうものですか」
「うん、そういうもの。だけど俺は月の王子のことを名前で呼びたかった。だって親しみを感じるだろ?そのほうが」
「そうですね」
「俺は王子のことを、ウーって呼ぶようになった。そしたら王子も俺のことをルーって呼んでくれるようになって。もちろん他に人がいるところでは、そんなふうに呼ばなかったぞ。二人きりのときだけ呼ぶ、特別な愛称だったんだ」
彼は照れたように笑う。
つまり、アロも王族なのだ。おそらく太陽の王族。三番目の王子。
薄々気がついてはいたので驚かなかったが、彼を少しだけ遠い存在に感じてしまった。
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