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六日目・ジク「迎え」

「さぁ、起きてくださいアロ。今日はいいお天気になりそうですよ。シーツを洗いますから、ベッドから降りてください」  甘い夜を引きずらないよう心掛け、愛おしい裸の彼に声をかける。 「ほらほら、起きて起きて」  もう半日もしないで、お別れの時刻なのだ。  目が覚めてからしばらく、アロとどう接しようかと悩み天井を見ていた。  このままギリギリの時間まで、ベッドの上でむつみ合うのもいいかもしれないとも思ったが、別れの時が辛くなりそうでやめた。 「まだ外は薄暗いぞ、ジク……」 「リムに礼を言うのでしょ?」  一角獣の朝は早い、そろそろ庭に姿を現す頃だ。 「そうだった!」  アロは慌ててベッドから飛び起きたが、すぐに自分が裸であることに気づき、シーツを身体に巻き付け照れている。なんとも可愛らしい愛しい人。  こうしてわざとバタバタとした中、最後の日の朝を始めた……。 —  朝の庭は、少し空気が冷たい。  賢いリムは、アロのためにちゃんと姿を現してくれた。  ブラッシングを買って出たアロが、頭から背中、お尻まで丁寧にブラシをかけていく。 「ありがとうな、リム。命の恩人だよ」  真っ白なたてがみが美しい一角獣は、角をアロに擦り付け別れを惜しんでいる。  そんな姿を見ているだけで、寂しい気持ちが込み上げてしまった私は、今しなくてもいいのに、カモミール畑の雑草を抜く。  それでもアロがリムに話しかける声が、聴こえてきてしまう。 「リム。ジクのことを頼んだからな。ずっとずっと傍に居てやって。何かあったら俺に代わって守ってあげて。頼んだよ」  目頭が熱くなってしまった。 「無礼者の客人がきたら、その角で刺しちゃっていいからな」  いやいや、それはダメですよ、と言いたかったけれど、目が真っ赤になっている自覚があったので聴こえないフリを貫いた。  ダイニングテーブルで二人向かい合って朝食を食べ、デザートにはもぎたての葡萄も食べた。  私は仕舞ってあったアロの軍服を出してきて、いつでも着替えができるよう準備をする。  昼ご飯としてアロに持たせる腸詰と玉子を挟んだパンも、布で包んで用意した。  アロも丁寧に髭を剃ったり、髪を整えたり、休養モードから徐々に立派な騎士へと切り替わってゆく。 「全て支度をしてから、ヒクイドリの島へ行きましょう。戻り次第、帰宅されることになるでしょうから」 「着替えもしちゃうよ、今」 「そうですか。承知しました」  着替えを手伝い、深緑色のスカーフは私が結んでやった。  軍服姿になれば、アロの可愛らしい幼さは隠れてしまう。 「立派な軍服姿に惚れ惚れしますよ」  そう伝えたけれど、本当は寛いだ衣を見に纏っているアロのほうが好きだと思った。 「アロ。これも忘れずに荷造りに加えてください」  昨日編んだ小さな蔓籠を二つ渡す。 「それからこれは、私から旅立つアロへの餞別です。貴方の髪色と同じ太陽のようなオレンジ色の宝石を、あの日私は洞窟で拾いました。どうぞお守り替わりに持って行ってくれませんか?これが私の想いだと思って」  三つ目の蔓籠に入れ宝石を入れ、アロに渡した。 「ありがとう……。綺麗だ、とっても。大切にするよ。砂だらけの国に持っていくから」  彼はその石をやさしくやさしく撫でた。  アロも自分が拾った二つの宝石を、小物袋から取り出す。  そして二つの蔓籠に一つずつ石を納める。これが花嫁となる人へのプレゼントとなるのだ。  そう思って見ていると、キラキラと煌めいく紫色の丸い石が入った方の籠を、私に差し出してくれた。 「これは、ジクへ。葡萄みたいだろ、まん丸で。どうかこれをお守りにしてほしい。これを俺の想いだと思って」 「アロ……」  私はその石を籠から取り出し、ギュッと握りしめる。表面がツルツルとしていて、冷たかった。大きさも葡萄と同じくらいだ。 「大切にしますから」  声が震えそうになって、それしか言えなかったが、アロはコクリと頷いて微笑んだ。 —  納屋から、アロがボートを引っ張り出してくれた。 「軍服が汚れてしまいますよ」と忠告したけれど「いいんだ、汚れても」と彼は答える。 「この深緑色の軍服を着るのも今日が最後だからさ。明日からもっと堅苦しい王族の衣装だよ」  だから早々に着替えをしたのだと分かった。だとしたら、私もこの姿をしっかり目に焼き付けておかねばなるまい。  今回もヒクイドリへの土産するため、葡萄を二房持った。彼らも、もう一度ありつけるとは思ってないだろうから、さぞ、喜ぶだろう。 「では、よろしくお願いします」  漕ぎ手もアロに任せた。  湖は少しの風もなく、水面は鏡のように青空を映し出していた。滑るように進むボートの上は快適で、このままどこまでもどこまでも、進んで行けたらいいのに、と現実逃避したくなる。 「あのさ、ジク。昨日、寝言を言ってたよ」 「えっ。私が?何て言ってました?」 「教えない。でも何か夢を見たりしたのか?」 「夢ですか……。うーん、覚えていませんね。なにしろ昨晩は乱れるアロが可愛くて、私もつい夢中になってしまいましたから。その反動で熟睡でした」 「な、なんだよ。そんなこと、こんな真昼間から言うなよな」 「フフ。そうですね、ごめんなさい。でも、冗談ではなく昨晩のこと、私は一生忘れません」 「あぁ、俺も」  真剣な表情で返事をくれたアロが可愛くて、私は身を乗り出し、オールを持つ彼のオデコにちゅっとキスをした。  アロが動揺したせいで、ボートが大きく揺れ、危うく転覆しそうになったけれど、二人ではしゃいだ声を上げてしまった。    ボートの気配を感じ、ヒクイドリのツガイが船着き場に迎えに来てくれる。 「やぁ。また葡萄を持ってきたよ。ほら、慌てないで。ちゃんと二房あるから」  今回も雛が三匹、アロの足元に纏わりついている。この前は、葡萄の匂いがするからアロのところへ寄っていったのだと思ったけれど、違ったらしい。雛にはアロの、人としての魅力が分かるのだろう。  ヒクイドリたちに葡萄を与え、美味しく食べ始めるのを見届ける。そして私たちは島の奥へと進んでいく。 「だぶん、こっちです」  正直これを埋めたとき、掘り起こす日が来るとは思っていなかった。  この箱を私に渡してきた魔術師は少し不気味な男だった。若いのか老いているのかも分からない不思議な見た目で、先々まで見通しているような目をしていた。  そんな男に渡された箱を、手元に置いておくのが嫌だったから、言われたとおりに埋めたまでだ。  私は湖の畔の癒し処を任されたとき、併せてこの小島の管理も頼まれた。月に一度ぐらいしか上陸しないこの島に埋めたことで、箱を思い出すことは、全くと言っていいほど、無かった。 「確か、一番大きな岩の傍に埋めようって思った記憶があるんです。岩なら動かないし、場所も忘れないだろうって」 「あぁ、だとしたらこの岩か。いや、あっちにもっと大きな岩があるぞ」 「うーん、向こうの岩かもしれません。ちょうどすぐ横が土になっていますし、埋めやすそうです」 「だな。よし、掘ってみるか」  持参したスコップで、アロが土を掘り返していく。土は硬かったが、さほど深く掘らないうちに「カツン」と板のような物に当たった。  そこからは二人で、手を使って掘り返す。  大きめの薪を三つ横に並べたような大きさの箱が、腐食することなく埋まっていた。 「これ、漆と蝋でコーティングしてあるんだな。水が入らないように」 「開きそうですか?」 「いや、手では無理だな。戻ってナイフで切り込みを入れれば開くだろう」 「では、戻ってのお楽しみですね」  アロは、箱を縦に振ったり、横に振ったりしているが、音はしない。そこそこの重さはあるが、石や岩が入っているような重さではなかった。  帰りのボートを漕ぎながら、アロが言う。 「箱を開けたら白い煙が出てきて、おじいさんになっちゃうって本を読んだことがあるんだ」 「この国の物語ですか?」 「いや、遥か遠くの島国の話らしい。もしこの箱から煙が出て、それを浴びた俺がおじいさんになったら、婿入りの話はなくなるだろうな」 「そしたら私も一緒に煙を浴びます。おじいさん二人で、湖の畔で暮らすっていうのもいいですね」 「あぁ、悪くない」  私はこの箱の中身が何だったら、最もうれしいだろう。考え込んでいるとアロが言う。 「魔術師は「ただの思い出」って言ったんだろ?」 「えぇ。私の消えてしまった記憶に関係するものなのかと、そのときは思いました」 「消えてしまった記憶か……」  今は、この中身に希望を託すしかなかったが、期待すべきではない、という気持ちのほうが強かった。 「やっぱり似合います、アロには深緑色の軍服が」  私はあえて話題を変える。 「そうか?」 「えぇ、部屋着よりずっと似合います」 「まぁ、それはそうだろう。これ、月の王族が着ていた軍服と、同じデザインなんだ」 「そうだったのですね」 「月の王族が着ていたのは、臙脂色だった。それを真似て、色違いの深緑色が、今の騎士や兵士が着ている軍服だ」 「臙脂色も素敵だったでしょうね。見てみたかったです」  懐かしい姿を思い出しているのか、遠くをみるような目でアロが言う。 「今はもう、どこにも残っていないだろうな……」 —  ボートは徐々に畔へと近づいていく。  しかし、私たちがボートで出発する前にはなかった人だかりのようなものが、畔に見えた。 「アロ、あれ、なんでしょう?」  進行方向に背を向けてオールを漕いでいたアロが、手を止めて振り返る。 「私、視力はあまり良いほうではないのですが、馬のようなものも見えませんか?しかも何頭も」 「あ、あれは……」 「旗も何本も掲げられています。何の旗でしょう?こんな光景、癒し処の周辺では、今まで一度も見たことないですよ」  見慣れぬ景色に心がザワザワとする。  アロは何も言わず、再びオールを漕ぎ始めた。けれど、さっきのような力強さはなく、ゆっくりゆっくりと漕いでいる。  それでも、岸は少しずつ近づいてきて、人だかりは皆、深緑色の軍服を着た人々だと分かる。旗はオレンジ色で、太陽の王族の紋章が描かれているのが確認できた。 「ジク、お別れだ。迎えがきた」  アロの声が涙で滲んでいる。 「迎え?」 「断ったんだ。一人で帰れるからって。でも、信用ないのかな、俺。逃げ出すとでも思われてるのかも、騎士団皆で乗り込んでくるなんてさ」  私は首を振る。 「違うと思いますよ。彼らなりに、遠国へと旅立つアロへの敬意を示しているのだと思います。ここから城へ入るまでは、騎士団の一員なのでしょう?城へ入ってしまったら、アロは軍服を脱ぐことになる。だから、最後のこのタイミングで、貴方と一緒に登城したいのだと」 「嫌だよ、俺。離れたくないジクと。婿になんて行きたくない……」  アロは再び漕ぐ手を止めてしまう。  抱きしめてあげたかった。けれど、騎士団の目はこのボートに注がれている。うかつなことは、できない。  だから私は心を鬼にして、アロを叱咤する。 「太陽の王族の第三王子。騎士団の皆さんがお待ちです。畔に向かってオールを漕いでください」 「ジク……」 「第三王子。私も明日、城まで見送りに行きます。どうか、ご立派な旅立ちを」 「アロって、アロって呼んでくれよ」 「いえ。もう呼べません。さぁ、涙を拭いて、背筋を伸ばして」  私のことを、きつく睨みつけたあと、手のひらで乱暴に涙をぬぐう。そしてアロは再びオールを漕ぎ始めた。  ボートが岸にたどり着くと、騎士団は一列に並び、一斉に敬礼をした。  そして、ここへ来るときに預けていたのだろう剣を、恭しくアロに渡した。 「ただいま荷物をお持ちします」  私は戸口から館の中に入り、ダイニングテーブルに箱を置く。そして、アロの荷物を手に取り、彼の代わりにそれをギュッと抱きしめた。  大きく深呼吸し心を整えて騎士団のところへ戻れば、凛々しい表情に変わったアロが立っている。 「お待たせしました」  アロの軍服には、取り外されていた高い身分を示すバッチが、装着されていた。  私が両手で荷物を差し出すと「ご苦労」と言って、アロは受け取ってくれた。微かに指が触れ合ったから、私の震えが伝わってしまったかもしれない。  騎士団は馬に乗り、太陽の王族の旗を掲げ、湖の畔の道を帰っていった。

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