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六日目・アロ「登城」
軍服を身に纏い、スカーフを首に巻き、剣を帯びて馬に乗れば、自然と身が引き締まる。
背筋を正し、騎士団の中に入ることで、この数日間、癒し処でジクを相手に揺れ動いた心が、幻のように思えた。
どんな恋心を持とうが、足掻こうが、俺が遠くの国に婿に行くことは変わらない。
俺が遠国へ行けば、国交ができ、例え王族に取り入っているごく一部の商人だろうと、利益を得る者がいるのだ。その商人がもたらす品で、生活が潤う者は、もっと多くいるかもしれない。
だとしたら俺が犠牲となって、行く意味もあると言えよう。
馬の背に乗りながら見る湖は、ジクの簡素なベンチから見る姿とは、少し違って見えた。
あんなに穏やかで美しくみえた湖面が、冷たく張りつめているように感じる。
あの場所は真の意味で「癒し処」だったのだ。あの場所から眺めるから、ジクと見るから、湖は癒しをくれていたのだ。
「第三王子、この先の開けた野原で、昼食といたしましょう。第三王子のお好きなミートボールもご用意しております」
騎士団の者たちが気を使ってくれているのは良く分かったが、私は首を振る。
「私の昼食は、癒し処の者が用意してくれた。ミートボールは皆で食べてくれないか」
野原に到着し、布包みを開いた俺の昼食を覗き込んだ者がその粗末さを気の毒に思ったのか、再びミートボールを勧めてきた。
「いや、本当に結構だ」
それは意地を張ったわけではない。ジクの作ってくれた腸詰と卵が挟んであるパンは、格別に美味しかった。彼が作ったものを口にするのも、これが最後だと思えば、尚のことだ。
昼休憩を終え、騎士団は城へと向かう。湖周辺では無風だった風が、強く吹き始め、掲げられたオレンジ色の旗がパタパタとはためいている。
城が近づいてくると、先頭から二番目を進んでいた私のもとに、一頭の馬が横づけされた。
「第三王子、この騎士団がここまでの形なったのは貴方の功績です。必ずやご意志を継いで結束を深めてまいります」
わざわざ隣にきて、私へ言葉を掛けてくれたのかと思うと、胸が熱くなった。
「後は任せた。しっかりと太陽の王族を守ってほしい」
頭を下げた騎士は、後ろへと下がっていく。
するとまた違う騎士が馬とともに隣に並ぶ。
「私は、若くして立派に剣を振われる第三王子に憧れ、騎士団へ入団いたしました。この国をお出になられても、永遠に私の憧れであります」
俺のことを憧れと言ってくれる者がいるとは思いもしなかった。
「ありがとう。共に騎士団として過ごせたことをうれしく思う」
次から次へと、代わる代わる騎士は俺の隣にやってきて、餞別の言葉を掛けてくれた。
その言葉は真摯で、世辞には聞こえない。
この十年、自分がやってきたことが間違っていなかったと感じることができ、俺は旅立ちを前に心を満たすことができた。
—
城の入口で私は馬から降りた。今まで可愛がっていた栗毛の馬を撫でてやると、名残惜しそうに鼻を鳴らしてくれた。ポンポンとその鼻先を軽く叩き「ありがとう」と小さく伝えてから、手綱を他の者へ渡した。
騎士団のメンバーは俺に向かって一斉に最敬礼をする。それに俺も敬礼で返したあと、回れ右をし、振り向かずに一人、門の中へと入っていった。
城では、老いた世話役が待っていてくれる。
「お帰りなさいませ。まずはお着替えを」
「あぁ」
早々にこの軍服との別れもやってきてしまう。
自室にて着替えるとき、スカーフに掛けた手が一瞬止まった。これを結んでくれたジクのことを、思い浮かべてしまったから。
しかしその気持ちを断ち切るように、スカーフを解き、軍服を脱ぎ、煌びやかで装飾の多い王族の服装へと袖を通した。
「やはりお似合いになります」
幼い頃からの世話役は、そもそも俺が騎士団に所属することに、初めから反対していたことを思いだす。世話役もそろそろ隠居する年頃だ。私を見送ることが最後の仕事となるだろう。
「癒し処では、よく眠れましたか?」
「毎夜熟睡できた。湖の畔の癒し処は優秀だぞ」
「それはよろしゅうございました。顔色も良好ですし、眠れたとお聞きし、私も安心でございます」
立派に旅立つことが、この世話役への恩返しになるはずだ。
「ところで……」
彼は急に声を潜める。
「以前より月の王子の記憶を消した魔術師を探し出すよう申し使っておりました。手を尽くしても、消息は掴めないとずっとご報告申し上げていたのですが」
「見つかったのか!」
「それが今朝、あちらから尋ねていらっしゃいました」
「魔術師が?」
「えぇ。「第三王子が私に会いたがっているんじゃないかと思って顔を見せた」と申しておるのですが。お会いになりますか?」
「あぁ、もちろんだ」
「何かを企んでいる可能性もあります。どうぞ、お気をつけて」
心配症の世話役は、そう言いながら俺を魔術師が待つ部屋へと案内してくれた。
俺が部屋へ入ると、魔術師は立ち上がり握手を求めてきた。
若いのか老いているのか、年齢が全く分からない見た目の魔術師は、どことなく不気味だ。先々まで見通しているような鋭い目つきをしてる。
「私のことをお探しだったのでしょう?第三王子」
「あぁ。探し始めて随分と年月が経ったが、このタイミングで自ら会いに来てくれるとは思わなかった」
「いや、ピッタリのタイミングだったと思いますよ。月の王子と再会された後というのは」
「ど、どういう意味だ」
「そのままの意味です。私に隠し立ては無用ですから」
そこでノックの音があり、世話役がお茶を運んできた。彼はそのままこの部屋に留まろうとしたが、聞かせられるような話ではないだろう。
「下がっていいぞ」
「しかし」と躊躇う世話役を追い出し、俺は再び魔術師と向き合った。
「箱の中身はご覧になりましたか?」
いきなり箱のことを持ち出され言葉に詰まるが、正直に「見ていない」と答えた。
「そうですか。では箱のことは一旦置いておきます。それよりも、十年前のことをお話しましょう」
魔術師は、世話役が持ってきたお茶を一口飲んで唇を湿らせる。
「十年前。月の王子は「この国で一番力のある魔術師を早急に呼んでほしい」と、おっしゃったそうです。そして私が、この城へ呼ばれました」
そこから先、魔術師は二人の会話を再現してみせた。
—
「仲間の犠牲の元、悪人を倒しきり、平和な世となりました。しかし、どうやら私は強すぎるようです。月の王族、皆が死んだのです。それでも一人で闘い続け、敵を全て殺し、尚生き残ってしまうほどに」
「それは賞賛されるべきことです」
「そうでしょうか。強すぎて、強さの象徴となり、このままでは再び諍いを生んでしまう可能性がある。どこからか湧いて出る愚かな者が、私を倒し一旗揚げようと城に押し寄せてくるのです。飛び道具を使うような、姑息な手段に出る場合もあります。そしてまた人が死にます。そんな諍いの芽は摘まなければなりません」
「どうやって?」
「魔術師、私の今までの記憶を全て消せますか?二度と思い出せないようにしてほしいのです。闘い方も、自分が強いということも全て忘れたい。そうしたら私は身分を変え、ここではない場所で新たな仕事に就きます」
「月の王子という立場に心残りは無いのですか?」
「実は、見守り続けたかった青年がいます。けれど彼だって、城の安全があってこその存在なのです。私の行方が知れず、更に記憶は二度と戻らないと分かれば、彼も徐々に忘れてくれるでしょう」
「承知しました。ただ一つだけ、余分なことを申し上げてよろしいですか?」
「どうぞ」
「もし、その青年が十年しても貴方のことを忘れなかった場合を考え、救済の道を一つだけ残すのはどうでしょう」
「救済?」
「えぇ、こう見えて、私はロマンチストなので」
—
「というわけで、その「救済」については、月の王子と喧々諤々、話し合いました。私的にはもっと心躍るような物がよかったのですが、月の王子は否定的でね。救済と呼べるほどのアイテムは、ご用意できませんでした。そもそも王子は青年が十年覚えているということにすら懐疑的でしたから」
「それが、あの箱なのか?」
俺は身を乗り出して、魔術師に問う。
「えぇ、そういうことです。本当に大したものは入っていないのですよ。ただの捨てられなかった思い出の品です」
「月の王子自身の思い出?」
「えぇ。私はそれに魔術でもかけましょうか?とご提案したのですが、却下されました。だから、本当にただの品。しかし、それをどう使うかで未来が変わる可能性は、まだあるでしょう。私としては、使い方を考えるのは太陽の王族の第三王子、貴方の予定だったのですが、皮肉ですね。貴方がまだ箱の中身を知らないということは、月の王子自身が、試されることになった訳です」
「俺はまだ諦めなくていいのか?」
「さぁ、どうでしょう?お手並み拝見といったところかと……。では、私はそろそろ失礼いたします」
残っていたお茶を飲み干し、魔術師は席を立った。
バタンと扉が閉まり、魔術師が廊下を歩く靴音が遠ざかっていっても、俺はこの場を動けずにいた。
俺が出てこないことを心配したのか、世話役が様子を見にやってきた。
「どうかされましたか?」
「いや、別に……」
そう答えたが、彼は納得できないのか私の傍を離れようとしない。仕方なく話題を逸らそうと、宝石の話を持ち出す。
「俺の荷物の中に、蔓籠が二つあっただろ?」
「はい。拝見しました。拙い作りでしたが、あれは?」
「拙い……。中身も見たか?」
「確認させていただきました。綺麗な色の宝石でしたが、王族が持たれる程の価値は無いかと」
思わず、世話役を睨みつける。
「では、遠国への土産はあれでは役割を果たさぬか?」
「恐縮ですが、そのようにお見受けしました。よろしければプレゼントの品はこちらでご用意した貴金属にいたしますが……」
やはり世話役は、不測の事態を考え、プレゼントの品を自ら用意していたのだ。
「では、そうしてくれ」
「畏まりました」
あからさまに、ホッとしたような顔をする。
「ただ、オレンジ色の宝石は、俺自身が身に着け、遠国へ持っていく」
「あの石をですか?」
「あぁ、そうだ。至急、首飾りに仕立ててくれ。明日の式典で身に着ける」
世話役は、一瞬戸惑ったように顔を歪めたが「承知しました」と頭を下げた。
「あの宝石を俺が身に着けるのは、不服か?」
少し苛立ちを感じ、問い詰めるようにことを口にしてしまう。
「いいえ。第三王子があの石を大切に思われるならば、貴方にとって何よりものお守りになるでしょう。私としましてはもっと格の高い物をと、考えてしまいましたが、その思いを反省したところです」
「反省?」
「長い旅路、ただ高価だという理由だけの首飾りでは、第三王子のお心は慰められないでしょう。しかし、思い入れがある石でしたら、きっと貴方のことを守ってくださるはずですから」
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