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【5月】リビングのソファで。

 大学の入学式が終われば、すぐに忙しい日々が始まった。  父に与えられたこのマンションには、リビングの他に部屋が二つあり、僕と吉野で一部屋ずつ使っている。  吉野は基本的に自室にいて干渉はしてこないから、僕はとりあえずこの状況を受け入れていた。  朝起きてリビングにいけば、吉野はもうタキシードを着て、髪をセットし、トーストやスクランブルエッグを並べている。  そして僕と一緒に朝食を取る。  帰宅すれば、掃除も洗濯も済んでいて、吉野は自室に籠り何かをしている。  夕飯の時刻になると彼は僕の部屋をノックし、声を掛けてくる。 「夕食の支度ができていますが、ご一緒してよろしいですか?」  食事中、吉野からは会話を始めない。  黙って食事をするのも不自然だから、僕は大学で起こった出来事を少しずつ彼に話した。  幼い頃から聞き役が多かった僕は、こんな風に誰かに自分のことを話した経験はなく、とても新鮮なことだった。  吉野は相づちを打ちながら僕の話を聞いてくれたが、自分のことは少しも話そうとしないまま、一カ月が経とうとしている。  なんでタキシードを着ている?という疑問にすら、答えてもらえていない。 ---  大学のキャンパスは、マンションより都下にある。 「東京」として想像してい場所より、ずっと緑が多く、地元に似ている雰囲気もあって落ち着く。  陽気も良くなって、木々が一斉に芽吹き、新緑が眩しくなる頃。  少しずつ挨拶や言葉を交わす友達も、できてきた。  僕を八木家の三男としてではなく、ただの同級生として接してくれる関係は、気楽でいい。  寂しくもならなかったから、五月の大型連休は実家に帰らず、東京にいた。  快適に整えられたマンションの部屋で、ゆっくりと過ごし、少しだけ近所を散歩して、地理を把握する。  徐々に親元を離れて暮らすことにも、慣れてきた。  僕の大学生活も、軌道に乗り始めたようだ。  例えそれが、執事の献身のおかげだとしても。  その日。  帰りがけに、河津(かわづ)という名の同級生から、大学最寄駅にある大手コーヒーチェーン店に誘われる。  河津くんは髪が短く、眼鏡をかけていて、服装もお洒落だ。 「突然誘ってしまってごめんな。でも俺、初めての一人暮らしが始まったばっかりで友達もいないし、誰かとこうして話をすることに、飢えててさ」 「分かるよ。俺も上京組だから」 「ほんと?あぁよかった!一人暮らしって、こんな孤独だと思わなかった。まだ始まって一カ月なのに」  僕には執事がいるから厳密には一人暮らしではないが、それを他人に上手く説明するのは、無理だろう。 「八木くん、話しかけやすかったからさ。なんでも話せそうというか、俺の話を聞いてくれそうというか」  もちろん僕も、新しい友達が欲しかった。 「僕は人の話を聞くのが得意だから、なんでも話してよ」  後々どうなるか予想がついたくせに、つい、友達欲しさにいい顔をしてしまった。  コーヒーショップで、外が見えるカウンター席に並んで座る。  河津くんの話は、当たり障りないことから始まった。  自炊のメニューがワンパターンになってしまうとか、部屋をもっとお洒落にしたいとか。 「それでさ、実は俺、遠距離で付き合うつもりだった彼女がいたんだけど」  この辺りから雲行きが怪しくなる。  彼女は、卒業式直後にあっさり他の同級生に乗り換えてしまい、上京までの数日は修羅場だったという。  「うんうん、そうなんだ」  僕は相槌を打ちながら、その話を聞く。 「もう、女は信じられないって思っちゃってさ」  彼は、美味しそうにカフェオレを口に含む。  カフェから外に出ると、空は薄っすらと夕焼けしていた。 「八木くんと話せてめっちゃスッキリした!これで、新しい恋を探せそうだぜ」  河津くんは、すっかり元気になっている。  元々明るい雰囲気の人だったけど、迷いが無くなったような感じだ。 「じゃあな。今日は本当にありがとう。また明日な」  僕は手を振って、彼と駅で別れる。  一人で乗った電車では、立っているのがやっとだった。  地元の街だったら、万が一どこかで倒れても、誰かが家まで運んでくれただろう。  小さな街では「八木さんとこの三男だ」と気がついてもらえるから。  けれど、ここは東京。  とにかく必死で、マンションまでの道のりを歩く。  マンションのエントランスからエレベーターに乗った時には、安堵とともに、身体の力が抜けそうだった。  鍵を開けリビングまで行き、ソファにバタンと倒れこむ。  少し寝ればよくなるはずだ。  そう信じて目を閉じると、すぐに深い眠りへと落ちていった。  とてもとても気持ちの良い暖かな空間を、漂っていた。  ここはどこだろう。  南国の浅いプールにでも、浮かんでいるような気分だ。  揺蕩う水に身を任せられるような、安心感がある。  すぐ傍から、クチュクチュという水音が聴こえてきた。  そして「はぁはぁ」という荒くなった自分の呼吸も、耳へと届く。  下腹部の一部だけがすごく熱く、甘く、思わず腰を捩ってしまう。  何かが太腿を優しい手つきで撫でてくるから、込み上げる快楽に全てを委ねた。 「あぁ、きもち、いい……」  思わず、寝言のような声がもれてしまった。  ……少しずつ意識が浮上し、ゆっくりと目を開ければ、すぐ側に吉野の綺麗な顔が、僕を見ていた。 「夢じゃ、ない?」  タキシードのジャケットだけを脱ぎ、ベストに腕まくりをしたシャツ姿の吉野。  彼はソファの上で僕に覆いかぶさっている。 「お目覚めですか?郁三さま」  目が合えばと、口の端を上げて美しく微笑んだ。  きちんと履いていたはずのジーンズと下着が膝まで下ろされ、僕の中心は吉野の大きな手に握られている。 「あっ、え?」 「また、人の悲恋を易々と引き取ってこられたのですか?貴方はバカなのですか?自分の体調不良も顧みずに。とにかく出して差し上げますから」  吉野は、僕の硬く勃ち上がり先走りを溢し始めた先端を、ペロリと舐めた。  そして、舌先で見せつけるようにイヤらしく突く。  この前の風呂場ではパニックになり、何をされているのか上手く把握できないまま、ことが進んだ。  けれど今回は状況が理解できるだけに、恥ずかしさと、イヤらしさと、気持ち良さが混ざり合わさって僕を襲う。  裏の筋を舌が這いずり回り、長い指が根元を包む。  そして、パクリと大きな口で咥えられた。  熱く湿った口内は、僕の中心を溶かそうとする。  浅く深く口の中で擦られれば、興奮が増幅し、更に気持ちが昂っていった。 「あっ、あっ」  口に咥えられたまま、吉野の手が僕のTシャツをめくった。  腹をサワサワと触られ、その指は胸の突起にも触れた。  おかしな痺れが身体をピクンと跳ねさせる。  吉野はわざわざ僕の勃ち上がったものを口から出し、問うてきた。 「胸、お好きですか?」  どんな意図で聞かれたのかすら分からず、イヤイヤとするように首を横に振る。 「いいのですよ。まだ始めたばかりですから。これから身体が覚えていくでしょう」  再び先走りで濡れた先端を舐められ、咥えられ、根元を長い指でしごかれれば、身体が熱く熱く震えた。 「あっ、で、でる、離して、口、離して、よしの。あっ、だめっ」  彼の綺麗にセットされた髪を掴んでしまう。  あぁ、もう我慢できない……。 「あっ、んぁーーー」  結局また、吉野の口の中に放ってしまった。  吐精の気持ち良さが、全身を駆け巡る。 「はぁはぁ」と僕の息は乱れ、心臓はバクバクとしたままだった。  ティッシュを手繰り寄せ、そこに「ペッ」と僕の白濁を吐き出した吉野の顔にも、興奮が見てとれた。  僕に覆いかぶさっていた身体をゆっくり離し、彼は立ち上がる。  ティッシュをゴミ箱に捨てる彼の股間が、膨らんでいるのに気づいてしまった。 「失礼」  吉野はそう言って、トイレへ向かった。  自分で触って出すのだろうか?  膝まで下がったジーンズと下着を慌てて上げ、僕もソファから身体を起こす。  河津くんの話を聞いてからの身体の不調は、完全に治っていた。 ---  翌日から、河津くんとは頻繁に話をするようになった。  彼は社交的で、色んな人に積極的に声をかける。  そのおかげで僕にも男女問わず、多数の知り合いができた。  以前の僕なら、この状況にかまえてしまっただろう。  けれど今は、体調不良になっても、マンションにさえたどり着けば吉野がなんとかしてくれる。  だから、僕は随分と強くなれた。  あんな風に自慰を手伝ってもらう行為には、もちろん抵抗がある。  でも吉野はあれを自分の「仕事」だと言ってくれている。  吉野とは先週、この状況についてようやく話をした。 「郁三さま、まず、この部屋の家賃は貴方のお父さまが、出しています」 「はい」と頷く。  僕は親に甘えている。 「貴方は仕送りをもらっている」  再び「はい」と頷く。  とても甘えている。 「その仕送りから、毎月一定額を私にお預けください。そのお金から私が執事として、食事の準備、足りない日用品の補充を行います」 「今は?この一か月の生活費は、誰が出していたの?」 「私です。試用期間でしたから」 「試用期間?誰の?」 「私のであり、郁三さまのです」  一か月前まで実家で恵まれた生活をしていた僕は、何も考えていなかった。  今朝食べたトーストが誰のお金で購入されたものかも、知ろうとしていなかった。 「ここにある家具は誰が?ソファとか、僕の部屋の大きなベッドとか」 「それはまた追々。とにかく試用期間は問題なく終わりました。ですから、私はここに住まわせていただきます。郁三さまのお金、正確には貴方のお父さまのお金で、食品や日用品を購入します。私もそれを使用し、食します」  吉野は淀みなく話し続ける。 「そのかわり、家事を私が担当し、郁三さまの体調を管理します。どちらも貴方専属の執事として。どうです?ウィンウィンでしょ?」 「体調を管理……」 「そう、手や口を使って。仕事として。まずは一年契約でお願いします」  恭しく頭を下げてきた。  僕が知りたかったのは「吉野は何者なのか」だったから、随分とズレた話だった。  それでも、僕はその話を受け入れた。 「分かりました。どうぞよろしくお願いします」  吉野が現れなかったら、僕の体調はコントロールが出来ないままだったから……。

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