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第31話

「あっ! 」 清蓮(せいれん)の視線の先には、白い鹿がこちらを見つめ立っていた。 白い鹿は、孔雀が羽を広げたように、天に向かって伸びる角をもち、その角は鹿の体と大差ないほど大きい。 その立ち姿は、神々しいまでの威厳と力強さ、そして神秘的な雰囲気があった。 清蓮は、その堂々たる姿に、自分の立場も忘れて魅入ってしまう。 古来より友安国(ゆうあんこく)では、白い鹿を神の使いとして、あるいは神様そのものとして崇めてきた歴史がある。 それは、白い鹿が森の奥深くに住んでおり、めったに人前に姿を現すことがないことから、人々はその神秘性を神になぞらえたのだ。 人々は、その圧倒的な姿から、畏敬の念をもって白神様(しらかみさま)と呼んだ。 神あるところに伝説あり。 伝え聞く幾多の物語は、森で白神様に出会うと幸運が訪れるだの、祝福されその者が望む未来を手に入れることができるだの、まことしやかに伝えられていた。 さらに、その伝承のなかには、神に資質を認められ、神の使いになった者の話や、神に見初められ夫婦となり、永遠の命を得た者の話など、人間の無責任な空想がもたらす、突拍子もない話も多く含まれていた。 清蓮は、鹿の神々しいまでの美しさに目を奪われていると、鹿は清蓮に向かってくる。 大きな体にもかかわらず、足音ひとつしない。 清蓮は、鹿に触れようとそっと手を伸ばした。 あと少しで、鹿に触れるというところで、草木の葉が激しく擦れ、人の声が遠くから聞こえてきた。 清蓮と鹿は同時に音のする方を見た。 清蓮は、はたと現実にもどり、次に取るべき行動を考えた。 一方、鹿は追っ手に向かって、ひと鳴きした。 森に響き渡るそれは、鳴き声というよりは咆哮に近いもので、追っ手は一瞬で意識を失って倒れた。 鹿は、再び清蓮の方に振り返ると、すでに清蓮の姿はどこにもない。 清蓮は、鹿が追っ手の方を向いた隙に急いで身を翻し、再び森の中へと逃げていったのだ。 鹿は、人間のように首を左右に振ると、清蓮が逃げていった方向をじっと見つめた。

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