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第55話

楼主が媚びるような、鼻にかかった声で、「旦那様」と声をかけると、男は静かに振り返った。 男は清蓮(せいれん)よりも一回り背が高く、翡翠色の衣を身にまとっていた。 白絹の帯は、金糸で流線状の雲水が刺繍され、差し込む光の加減で静謐さと神々しさを醸し出している。 それは、凛とした男の姿によく似合っていて、威厳を引き立てていた。 端的に言えば——、その男は美しかった。 腰まで伸ばした漆黒の髪。 涼しげな切れ長の目。 硬質の美貌は、時に美しさよりも威圧感を与えるが、それでも尚、見る者を惹きつける魅力がある。 男が女たちに微笑みの一つさえ見せれば、容易に腰砕けになるだろう。 (やはり、間違いない、あの(ひと)だ! ) 清蓮はそう確信した。 「本日はお越しいただき、誠にありがたく存じます」 楼主は恭しく男に挨拶すると、文字通り清蓮を男の前に差し出した。 楼主自らが自分を男のもとに案内するということは、男が相当な額を払って自分を買ったということだろう。 楼主の口調がことの外優しいのには、そう言った理由があった。 「さぁ、ご挨拶なさい」 そう言って楼主は促すが、清蓮は俯いたままだ。 「心配しなくても、こちらの旦那様は懐の深いお方だ。旦那様に尽くして、可愛がってもらいなさい」 清蓮はまだ俯いたままであったが、小さく頷くと、男に挨拶した。 楼主は世辞もそこそこに男に鍵を渡し、「御用の際はいつでもお申し出くださいませ。では、ごゆっくり」と言い残し、その場を去った。 楼主が男に渡したのは内鍵だった。 中から鍵をかけたら、外からはどうやっても開けることができない。 客が店の者を呼ばない限り、店の者は来ないし、客が開けない限り、女は部屋から出られない。 楼主は合鍵を持ってはいるが余程のことがない限り、使うこともない。 合鍵を使ったのは、後にも先にも、立派な一物を持った「女」が起こした騒動の時だけだ。 大抵の客は、女を酷い目に遭わせることはあっても、酷い目に遭うことはない。 それ故、客は安心して、どんな痴態も思いのまま、存分に楽しむことができるのだ。 清蓮を買った男も多分に漏れず鍵をかけた。

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