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第4話
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フレデリックのリュシアンへの溺愛ぶりは、生活の世話だけではなかった。
それだけなら単に過保護とも言えるだろうが、身体が空くときは常に膝に乗せている。歩く時は手をつなぎ、抱っこしていることも多い。馬に乗る時はいうまでもなく自分の前に乗せる。
そうして触れ合っている時の二人は、さながら小さな恋人たちのようで――二人とも王子ではあるのだが――涼星は、正直(そこまでする?)と感じていた。二人きり(イズメイは常にいるけれど)の時は多幸感でいっぱいで、リュシアンの心にシンクロするのだが、人前でこういうのは……と、涼星の意識が出てきてしまうのだった。
だが、当のリュシアンは幸せいっぱいな顔で、フレデリックは弟を見つめる瞳に愛しかない。二人とも王子だから、成人していなくとも公式な行事に出席する時がある。そういう場合に、リュシアンを護るはずの護衛騎士団は、フレデリックが弟に張りついているために所在がなく、ただ、彼らの後方に立っているだけなのだった。
護衛騎士団というのは、その名の通り、王子ひとりずつに配置され、王子に仕え、王子を護る騎士団のことだ(護衛騎士団については、フレデリックとイズメイの会話でうかがい知った。学んでいた英国史の中にもその言葉はあった)。
そして、なぜかフレデリックには護衛騎士団がない。フレデリックは十二歳で「大事なお務め」を果たし、学問が優秀なだけでなく、剣や弓の腕前も見事で、大人顔負けだという。だから必要ないということはないだろうに……。涼星は不思議に思っていた。
御前試合などで剣技や弓を披露する時のフレデリックは、その美貌が研ぎ澄まされて鬼神のようなオーラに包まれる。
「にいさまがんばって!」
リュシアンとしてイズメイの隣で無邪気に応援しながら、流星はフレデリックのことがいろいろと不思議でならなかった。美も才もすべてを与えられた少年の内面は、謎に包まれている。弟を溺愛しすぎると、宮廷の人々に変人扱いされているような気がしないでもないが、彼のことをもっと知りたいと思ってしまう。
(これって僕の心? それともリュシアンの?)
いや、これは自分の心に違いない。涼星としての心だ。リュシアンはただ愛する兄を慕っているだけなのだから。
誰かをこれほど知りたいと思ったことはない。この異世界に来てから、涼星は他にも初めて経験することが多かった。初めて感じる多幸感、初めて感じる安心感、初めて感じる、この人をもっと知りたいという思い。それはすべて、フレデリックから与えられるものだ。
(僕は前の世界で、どれほど冷たい環境の中で生きていたんだろう)
フレデリックが気になって仕方ない。彼の情報を聞き出せるのは、主にイズメイとフレデリックとの会話だ。尤も、それはイズメイの小言が多いのだが、この頃は彼らの絆の強さのようなものを感じるようになってきた。
宮廷にいる貴族を見ていてもわかる。十二歳の少年にして誰もが畏れ敬い、ひれ伏すフレデリックに真っ正面から意見や小言を言えるのはイズメイだけだった。フレデリックも、たとえ辛辣に皮肉を言われようと彼を罰したりしない。むしろ笑い飛ばしたり、「わかった、わかった」と面倒そうに答えたり……。
その大方は、彼が弟に夢中なことに関係あるのだが、イズメイからも嫌な感じは受けない。ああ、またかという感じ? 何よりも、フレデリックが大切なリュシアンを託すのはイズメイだけだ。フレデリックのイズメイへの信頼は厚く、良き同志という雰囲気もある。
(なんだか、いいなあ)
彼らの関係も、涼星は羨ましかった。涼星は十九歳まで、友だちと呼べる者はいなかったからだ。常にボディガードが張りつき、友人が入る隙間もなかったのだ。
転生なんて信じられないことを経験した今は、あの頃もその気になれば人生をひっくり返すことができたんじゃないかと思ったりする……。もう遅いけれど。
くるくる黒髪巻き毛の五歳児姿の涼星の傍らで、今日もイズメイはフレデリックに何やら訴えている。だがフレデリックは弟のボードゲームの相手をしていて、話半分にしか聞いていないのだった。
「リュシアンさまの護衛騎士団が苦言を申し入れてきています」
イズメイはいつものように眉も動かさず訴える。彼の表情筋はどうなっているのだろうか。そして、フレデリックの表情もいつも通り、青い目は優しくリュシアンに注がれている。
「リュシアンさまはもうすぐ六歳。自立に向け、おひとりで行動なさる場合も増えてくるというのに、今のように兄君が片時もお側を離れないようでは、我らの任務は遂行できないと」
リュシアンの護衛騎士団は、毒を盛られた件で予定より早く編成されたらしい。だが、今のところ出番がない状態だというのだ。
「またウェリントンか? 捨て置け」
フレデリックは意に介せずという感じだった。
「ですが、フレデリックさま……」
「わあ、にいさま、ぼくのかち!」
「リュシーは強いな。さすが我が弟だ。次は負けぬぞ」
ボードゲームというのは、日本でのすごろくと同じような遊びだ。ルーレットのようなものを回し、コマを進めていくだけなので、強いというのは関係ないと思うのだが、リュシアンが勝つたびにフレデリックは激褒めするのだった。リュシアンとして褒められて「にいさま! だいすき」と兄に抱きついて喜んでいるのだが、こればかりは(それはたまたま……なんじゃないかな)という考えが、中の涼星の頭を過るのだった。
一方、耳を貸そうとしない主に、イズメイも負けてはいない。
「ウェリントン卿は、エヴァンス王国の建国以来、王家に忠誠を誓ってきた家柄の出身でございます。それこそ今回のように、何かあった時に助けを得られないようなことになれば……」
「イズメイ」
フレデリックはルーレットを回しながら言った。それこそ氷のような口調で、さすがのイズメイも口を閉ざさずにはいられなかった。リュシアンもまた、何かを感じたようで黙り込む。
「ウェリントンは、その昔、エヴァンス建国時に統合されたデルフォランド王家の末裔だ」
イズメイは、はっとしたように黙り込んだ。
「その後、エヴァンスに忠誠を誓い、取り立てられた一族であろうがなんであろうが、私はこの国の誰をも信じていない。そのことを、おまえはよもや忘れたわけではあるまい? 私が信じるのは、己自身と、イズメイ、おまえだけだ」
「は……」
イズメイの顔からは血の気が引き、彼は唇を噛みしめていた。
少年同士のやり取りとは思えない、重く、苦しい場面だった。フレデリックの氷のような冷たい威厳、血の気が引いたイズメイの顔。彼の表情が崩れるのを初めて見た。そしてそれは、リュシアンも同じだったのかもしれない。
「ふたりとも、けんかしちゃ、いや!」
リュシアンがテーブルから身を乗り出していた。その拍子にボードゲームのコマがころころと落ちたが、そんなことは気にしていなかった。
「なかよくして、ねえ」
リュシアンは目に涙を溜め、フレデリックとイズメイを交互に見た。フレデリックは一瞬、目を瞠り、そしてリュシアンを抱き上げた。
「けんかをしていたのではない。だが、おまえを不安にさせてしまってすまぬ……私が悪かった」
「もう、けんかしない?」
「ああ、もちろんだ……。イズメイも同じ気持ちだ、なあ?」
フレデリックが促すと、イズメイは抱き上げられているリュシアンの側にひざまずき、頭を垂れた。
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