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第5話
「その通りでございます。リュシアンさまを不安にさせてしまい……」
「そんな長ったらしい謝罪はいらぬ。リュシアンにキスをすればよいのだ」
フレデリックは愉快そうに爆弾を落とす。口づけとは言わなかった。あえてキス、というのが忠誠の口づけよりも、近しいものを感じさせる。
「うん、キスがいい! イズメイ」
リュシアンもにこにことして同意するので、この時のイズメイは、その表情筋の許す限りに慌てていた……。そして、石でできたような頬を心なしか赤らめているのだ。
「で、では、怖れ多いことでございますが、お手を……」
だが、フレデリックの抱っこから下りたリュシアンは、イズメイの首にぎゅっと抱きついたのだ。
「……!」
可哀想に(と言っていいのだろうか)イズメイはさらに石のように固まっていて、頬の赤みは増すばかり。
「我が可愛い弟のこの所作が、何を望んでいるのかわからぬほどに、おまえは無粋ではあるまい?」
フレデリックはにこやかな顔で側近に訊ねる。彼が笑ったり穏やかな雰囲気でいるのは、リュシアンといる時なんだろうな、と今さらながらに涼星は思った。
二人はイズメイの反応を見て楽しんでいるのではない。リュシアンは心からイズメイにキスしてほしくて、フレデリックは心から弟のその願いを叶えたいと思っているのだ。
「お、怖れながら」
このひとことは、どうしても言わずにいられないのだろう。イズメイはリュシアンの頬を両手で支え、彼の額にちゅっとぎこちないキスをした。
「わーい、イズメイだいすきだよ!」
リュシアンはもう一度イズメイをぎゅっと抱き寄せた。イズメイは動揺を隠そうと一生懸命に顔を作っている。幼いリュシアンにはわからないだろうけど、臣下の彼にとって、それは本当に怖れ多いことだったのだろう。
「それくらいにしておいてやれ。これ以上抱きつくと、イズメイが壊れるぞ」
フレデリックが冗談を言っている……。
(自分もきっと、弟の願いを叶えられて嬉しいんだろうな……)
「そんなのやだー!」
兄の忠告? を聞いたリュシアンは、ぱっとイズメイから手を離したが、それはそれは愛らしい顔でイズメイに話しかけた。
「イズメイ、ありがとね、リュシーは、イズメイに、ずっとキスしてほしかったの」
「おっ、怖れ多いことでございます……」
イズメイはひざまずき、深く頭を垂れた。
「イズメイ、これからも私と一緒にリュシアンを護ってくれ。私たちが信じられるのはおまえだけだ」
フレデリックの言葉は厳かで、イズメイははっきりと答えた。
「この命に替えましても!」
さっきまでリュシアンの中でイズメイにぎゅっと抱きついていた涼星だが、自分としては違和感を覚えていた。
怖れながら、とか命に替えても、とか仰々しい言葉でやり取りしているが、彼らはまだ、少年と幼児なのだ。もっと自由にキスしたりふざけたりしていい年頃だ。英国史を学んではいたが、これがこの時代の正しい主従のあり方なのだろうか。
(それに、リュシアンは何者かに狙われていることは確かだ……)
幼くても、王位剥奪のためには殺された時代だ。あり得ないことではないが、涼星はそれが自分なのだと思うと、身体がひゅっと冷える思いだった。自分が転生したことで、最初の毒殺は免れたのだろう。それからはこの二人が、特に兄のフレデリックが護っているからリュシアンは生きながらえているのではないかと。しかも、フレデリックとイズメイは、互いしか信じていないというのだ――。
それに、他にも王子はいるが、フレデリックはなぜリュシアンをこれほどまでに愛して護るのだろう。護衛騎士団を簡単に無視するし、それが火種になりかねないことを、彼ほどの王子ならわかっているはずだ。
(フレデリックとリュシアンの関係がこのまま大人になれば、今までのようにはいかないだろうな……。フレデリックがただ変人呼ばわりされるだけで済めばいいのだけど……)
今でもその優秀さ、麗しさでありながら、「第二王子は第八王子につきっきりだが、少しおかしいのでは?」と言われているフレデリックのことを涼星は思った。
2
「ねえイズメイ、きょうもにいさまは『おつとめ』なんだね」
八歳になったリュシアンは、兄の不在を残念そうにこぼした。あれから三年、五歳の頃にはなんのことだかよくわからなかった『おつとめ』だが、八歳になった今は、兄には大事な務めがあり、それがとても重要なものだということがわかりかけていた。
フレデリックはこの国を司る秘宝、水晶のガーディアン、つまり守護者であるらしい。リュシアンの中の涼星は(ますますラノベみたいだなあ)と思っていた。
「そうです。水晶に異変がありましたので、緊急にまつりごとの場にお出になられました」
「いへんってなに?」
「大きな動きということです」
十五歳になったイズメイは、背が伸びたというだけで、あまり変わっていない。淡々とリュシアンに答える。
「にいさまがいないなんて、つまんない」
リュシアンは不服そうに答える。イズメイは少し「やれやれ」という色を口調に含ませた。
「今日も学院でご一緒だったでしょう?」
「でも、にいさまはへやのうしろでまってただけだよ。だっことかキスとかしてもらえないもん」
そうなのだ。リュシアンは六歳で王立初等学院に入学した。だが、フレデリックはリュシアンの入学に大反対だったのだ。
『勉学など私が教える。学校などいらぬ。リュシーは私といればいいのだ』
イズメイは『そう仰ると思いました』とため息をついただけだったが、さすがに涼星もひいた。
だが、はつらつと好奇心いっぱいに成長したリュシアンは学院に行きたいと言い、それならば私も共に通う。私がついていられない時はイズメイが、ということで妥協案を出したのだった。リュシアンはそれで問題なかったが、面食らったのは学院側だ。護衛騎士団がありながら、兄王子が付き添うなど前代未聞。しかもフレデリックはさらりと宣言したのだった。
『もちろん、授業中も私はリュシーについている』
なんと同じ部屋で見守るというのだ。
水晶のガーディアンであり、麗しくも優秀な第二王子にそう言われ、学院側は言うことを聞かないわけにはいかなかった。護衛騎士団の長、ウェリントン卿が国王に申し入れたものの、『私は第八王子には興味がない』とのたまうだけ。何が気に入らないのか、国王は第八王字であるリュシアンのことをまったく顧みないのだった。だから第二王子が見るに見かねて世話をしているのだろうと言われている。だが、世話を通り超して溺愛。それは、ついにここまで来てしまった。
(先生たちはやりにくいだろうな……)
子どもたちもそうだが……。第二王子、フレデリックの監視つきなのだから。
『私のことは柱の一部だとでも思って勉学に励め』
フレデリックはそう言って、確かに柱のように身動きせず、口も出さなかった。だが、皆が緊張している中で、リュシアンは不謹慎にも兄に手を振ったりするのだった。
(だめだよリュシー、今は授業中なんだ。我慢しなきゃ……!)
中の涼星は懸命に止めるが、リュシアンは我関せずだ。にこにこと兄に笑いかける。そんな時フレデリックは、一瞬、目を細めてリュシアンの視線を受け止めるが、そのあと、厳しい視線で諫めるのだった。教授陣は注意をすることもはばかられ……。
もちろん授業のあとにフレデリックはそんなリュシアンを叱る。それなのに天真爛漫に育ったリュシアンは兄へ愛想を振りまくことをやめない。
「だって、にいさまがみててくれてるとおもうと、うれしくてたまんないんだもん」
「だが、規則は守らねばならぬ」
(そうだよ、こんなにリュシーを甘やかしたのはあなたのせいなんだから!)
中の涼星は憤慨するが、結局フレデリックはリュシアンを抱き上げて、「仕方のないやつだ」と額にキスをするのだった。
(ああもう!)
フレデリックがいない時は、イズメイが同行する。イズメイは見事に柱に同化するので、教室も穏やかさを取り戻し、リュシアンも愛想を振りまいたりしない。涼星も、教授も、学友たちもほっとするのだった。
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