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センセー、火がついてますよ
昼下がりの図書館は、いつも通り静まり返っていた。
ページをめくる音、ペンを走らせる音が空気を埋める。
直は三限が終わると、自主勉のため図書館へと来ていた。
けれど一向に勉強は進まない。
集中すればするほど、考えるのは翔太のことばかりだ。
(翔太、頼れる友達はいないって言ってたのにいるじゃないか⋯素直じゃないんだから。でも、あんなに楽しそうにしてたのに嫉妬を覚えるなんて俺もまだまだだな⋯
センセーとして喜ばないといけないのに)
小さくため息をつき、気持ちを振り払おうと教科書を見る。
――なにも頭に入ってこない。文字を追えば追うほど、浮かんでくるのは翔太の顔だった。
(くっ!集中集中⋯⋯ん?)
視界の端に、見慣れた後ろ姿が映った。翔太だ。
だがその隣には、見覚えのない男がいた。
肩が触れそうなほど身を寄せ、翔太になにか囁いている。
(友達⋯?でも必要以上に近いんじゃないか?)
静かな図書館に、自分の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
(⋯⋯なにを、怪しんでるんだ。さっき会った翔太の友達だってクセがあったけどいい子だったじゃないか⋯そんな邪な心を持つなんて――)
その瞬間、信じられないものを見た。
男が翔太の頭を撫でていた。
親しげに、可愛がるように優しく撫でていた。
胸がざわつき、視界が歪む。
(なっ⋯!?あいつ、なにしてるんだ⋯!!? )
脳が理解するより先に、体が動いていた。
ガバッと音を立てて、周囲の目を気にせず立ち上がっていた。
周囲の視線が一斉に集まる。けれどそんなこと気にしてる場合ではない。
(あれは⋯友達にすることじゃない⋯危険だ)
こんなことしている場合ではないと、机にあるものを片付け、カバンを手にして翔太の元へ向かう。
(これは、嫉妬なんかじゃない⋯翔太を守るためだ)
――誰に言い訳をしているのか、自分でもわからなかった。
「⋯⋯翔太」
「!?」
声に驚いたのか肩をびくっと跳ねらせ、勢いよく直の方へ振り向いた。
「なんだよ、お前かよ!こんな所まで着いてきてストーカーかよ!!」
「しっー!静かに。⋯⋯俺はここで自主勉してただけだよ。翔太の姿が見えたから声掛けちゃった」
「声かけちゃったじゃねぇよ⋯結局ストーカーには変わりねぇじゃないか」
顔を赤らめ、むすっとした顔で不貞腐れる。
「ははっ、ごめんって⋯」
「⋯⋯翔太この人は誰ですか?」
賑やかな二人とは違い、遼は冷たい真顔で詰め寄る。
「さっき言っただろ?同居人」
「へぇー⋯この人が?」
含みがある声色で直を見つめる。
「⋯⋯初めまして。鳴神 直です。翔太と一緒に暮らしています。翔太が世話を焼かせてもらってます」
「誰が焼かせてるんだよ!お前が勝手にやってるだけだろうが!」
「事実じゃないか」
「うるせぇ!こいつの前で言うんじゃねぇ!恥ずかしい!!」
相も変わらず顔を真っ赤にして、小声で怒鳴る。
「へぇー世話を?⋯⋯初めまして、中園 遼です。翔太の友達です。よろしくお願いします。」
「よろしくね⋯⋯仲良いんだね。さっきも頭撫でてたし⋯俺以外で翔太の頭撫でてるの初めてだなぁ」
「嗚呼⋯見てたんですね?ふふっ、翔太が可愛いことを言うから''つい''撫でてしまって」
「''つい''⋯ね。」
「えぇ⋯彼ったらレポート書くの苦手だから、しゅんとしちゃって⋯俺がサポートすると言ったら照れながら''ありがとう''と言ったものですから」
「へぇーーー⋯⋯そうなんだ」
「翔太から頼られるんですよね。俺って⋯自慢じゃないですけど成績いい方ですから」
「そうなんだ。でも俺も翔太から頼られるんだよ?なんてったって一緒に住んでるからね」
「⋯⋯⋯そう、なんですね」
「お前ら初対面のくせに仲良いな」
何も知らないのか、謎の鈍感さを発揮した翔太は的外れなことを言う。
「そうだね、仲良くなれそうだ」
「ふふっ、俺も仲良くやれそうですよ」
二人とも笑顔であるが、声は一切笑っていなかった。
「ふーん⋯優等生同士でなにか感じ取ったのか?⋯じゃあお前ら、せっかくだし話しとけよ。俺、資料探してくるから」
翔太は席を立つと、本棚へと消えていく。
あとには直と遼のバチバチな関係の二人が残されてしまった。
「⋯⋯お前、どういうつもりだよ」
遼がそう問いかける。
先程までの丁寧な言葉は消えていた。
「どういうって?」
「とぼけんなよ?お前も翔太のこと好きなんだろ?」
「⋯⋯そうだと言ったらなに?」
「はっ!王子様ってのはいい趣味してんなぁ!」
「君もいい趣味だろ?俺は翔太だから好きになったんだよ。友達止まりの君なんかと一緒にしないでほしい」
直はにこりと微笑む。
遼にはそれが煽っているようにしか見えなかった。
「⋯⋯チッ!」
遼は舌打ちをし、握った拳の骨が軋むほど力を込めた。
(落ち着け。相手のペースにのまれるな。冷静になれ⋯''あの頃の俺''じゃねぇだろ)
「だからぁ?どんな手使って一緒に住んでるか知らねぇけど、お前なんかに翔太の全てがわかんのかよ」
「わかるよ。それにこれから知っていけばいい」
「ははっ!方便だな!俺は知ってるよ?あいつと三年間許される限りいたからな!なにが好きでなにが嫌いか、なにが得意でなにが苦手か。
あいつ、パチンコ好きだろ?パチンコで負けて金擦って、慰めたことなんて何回やったかしらねぇ!それだけ俺はいるんだよ」
「――へぇー。それだけやってて友達のまま?君の三年間ってそんなものなの?」
にこりと煽るように笑う。
「てめぇっ⋯!」
遼は直を強く睨みつける。握った拳が白くなるほど力がこもっていた。
遼は言葉がすぐには出てこなかった。
「そうやって友達の距離感を楽しんでたの?結構。
それも恋愛の楽しみだもんね。
――でも取られたらなんの意味もないよね?」
「取られる?笑わせる。取ってすらねぇだろ?あいつ、お前のこと同居人って言ってんだからよぉ」
「恥ずかしがり屋なだけだよ。そうやって翔太って突っぱねちゃうんだから⋯」
「お前、自分に酔いすぎじゃねぇの?キッモ⋯王子様気取りやめろ」
「自分でもびっくりしてるよ。翔太のこと考えたらこんな汚い言葉がポンポンでちゃう。⋯⋯罪だな、翔太」
「はっ!罪ぃ?お前がそう言って、勝手に押し付けてるだけだろ?先生目指してるやつが押し付けるなんて向いてねぇんじゃねぇの?」
「っ⋯!?」
直の瞳が一瞬ぐらついた。
本当は思っていた。俺の翔太のためにやってることは押し付けなんじゃないかと⋯
その不安を今、思い切り正面から抉られた。
「図星か?そうやって住んでる時も押し付けてんだろうな?世話を焼いてるって言うけど、それって翔太のためか?押し付けの愛じゃねぇのかよ」
「君も性格悪いね?そんな汚い言葉を言うなんて翔太がびっくりするんじゃないのかな」
「そんなヘマ俺がするわけねぇだろ?なんのために大学デビューしたと思ってんだよ!それに話そらすんじゃねぇ!効いてんのか?効いてんだよな?言ってやるよ!それはてめぇーの自己満足だってことをよ!」
「っ、それでも、自己満足でも――俺はやる。俺の押し付けだとしても――翔太がご飯を美味しそうに食べてたことは事実だ」
声が震える――
「君には狂ってると思われるかもしれないけど――俺は翔太が幸せなら死んでも構わない。そういう気持ちで俺は彼と住んでるんだ」
けれど、決意に満ちた目で遼を睨みつけた。
「⋯⋯⋯キッモ。死んでも構わないとかそれも自己満足ってのわかってんの?王子様?」
「⋯⋯君は言えないんだ?そういうところで負けるんだよ」
「てめぇ⋯!!」
二人の間に言葉はなく、ただ睨み合う熱だけがその場を支配していた。
その空気を切るように――
「はぁーだる⋯」
いいタイミングなのか本を抱えた翔太が帰ってきた。
「⋯ん?なんかあった?」
ただならぬ雰囲気を感じとったのか二人を見比べて、尋ねる。
「⋯⋯いや?なんでもないよ?それよりお帰り翔太」
にこりといつもと変わらない笑みを直は浮かべる。
一方、遼は顔を赤くし、視線を逸らした。
「お、おう⋯?」
戻ってきた翔太は、違和感しかない二人を交互に見る。
けれど、彼は気づかない。この火種の大きさに。
「っ、翔太。いい資料は見つけられましたか?」
翔太に視線を合わせ、笑顔でそう聞く遼の声色はわざとらしいほど明るかった。
「あ、ああ⋯何冊かレポート書くのに良さげなタイトルだったから持ってきた」
「そうですか⋯じゃあ俺も見つけてきますね。何冊か見せてもらうかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
遼は席を立ち、本棚へと向かう。その後ろ姿は苛立っているように見えた。
「なんかあったのか?」
「いや、強いて言えば痛み分けってところかな?」
「はぁ?訳わかんねぇこと言ってんじゃねーよ」
「わからなくていいよ。俺と彼の問題だから」
「あーそうかよ⋯それよか、俺は課題に集中するから邪魔すんなよ!」
びしっと指差し、難しい顔をして牽制する。
「はいはい、わかったよ」
それすら、盲目な彼には可愛いと感じてしまった。
(押し付けでも、自己満足でもかまわない。俺は負けない。あんなやつなんかに奪わせない)
再び決意を固め、翔太を見る。
真剣な顔をして本を読んで、メモを取っていた。
(あー可愛いなぁ⋯)
にこにこと笑いながら、カバンから教科書とノートを取りだし、直は勉強に集中した。
(不思議だな――翔太がいるだけでこんなにも前向きになれる。だからこそ、取られてたまるものか)
そんな二人を遼は悔しそうに睨みつけていた。
「ふざけんなよ⋯⋯認めねぇ、あんなやつ」
遼の視線は鋭く、背中に突き刺さるようだった。燃えるような執念はまだ火種にすぎない。
――それが炎に変わるのは、そう遠くない。
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