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第5話 手を伸ばせば、届くのに
帰宅の電車の窓に、疲れ切った自分の顔がいつも以上に醜く写って見えた、眠れない夜が続いているせいだろう。
この数日、同じ夢をみる。
——金の光
——黒い瞳
——「俺を見てください」
その言葉にを最後に目を覚ます。
起きるたびに、心臓が早く脈打ち胸の奥に留めた熱が溢れそうになる度、理性で押し留めるように、深く息を吐いた。
いつもの時間に仕事場を出ると、雨で街の明かりが眩しいそんな日に、ふと視線を感じ、足を止める
通路の反対側、街灯の下に綺麗な金色が見えた。
傘もささず、ただ静かに立っている、そしてスマートフォンも持たずこちらを真っ直ぐ見つめていた。
——まただ。
この数日、何度か同じような気配を感じていた。
だが、その視線が〝彼〟の物だとわかってしまう。自分が総は怖かった。
心臓が、音をたてる
「彩芽くん……」
総が声をかけると、彩芽は嬉しそうにゆっくりと頬笑んだ。
「どうして、ここが——」
「たまたまですよ」
吐く嘘があまりにも自然だった
彩芽が近づく。距離は、わずか数センチ。
体温の境界が曖昧になる。
「別に、俺はストーカーとかでは無いです……そんな顔しないでください……ただ心配なだけです」
「心配?」
その言葉が怖いのに、彩芽の言葉が優しすぎて、総は何も言い返せなかった。
金色の髪の毛が雨に濡れて頬に張り付く。
彩芽の黒い瞳が、濡れた暗闇の中で光っていた。
——この子は、俺の事を愛してるんじゃ無い。
もっと別の何か、黒くやがんだ感情で縛ろうとしているんだ。
そう思っても、彩芽の視線から目を逸らせなかった。
不意に、彩芽がハンカチを差し出した。
「濡れてしまいました……返すつもりで持ってたんですけどもう一度洗うので、持って帰ってもいいですか?」
あの夜の記憶が鮮明に蘇る。
冷たい布の感触、手の温もり。
総は、小さく頷いた。
ハンカチで頬を拭う手が、わずかに震えていた。
その震えを、彩芽は見逃さなかった。
「総さん」
「……ん?」
「俺、本当に貴方を壊しそうで怖いです」
その声は、甘く、震えていた。
その〝怖い〟の意味をお互いもう分かっていた。
——翌朝
職場のデスクで、春宮玲奈がふと問いかけた。
「秋田課長、最近……誰かと会ってますか?」
手が止まる。
心臓が一拍遅れて動く。
玲奈は笑っているが、その目は静かに探っている目だった。
「顔、少し変わりました」
冗談めかした口調の裏に、
確かな観察眼が光っていた。
総は笑ってごまかすしかなかった。
——確かに、俺は……。
————
夜が、やけに静かだった。
総の背中を見送ってから、
彩芽はその場にしばらく立ち尽くしていた。
雨が髪に落ちるたび、
皮膚の下で心臓が熱を持って跳ねた。
——手を伸ばせば、届くのに。
——なのに、触れられない。
総の手の温度がまだ掌に残っている。
あの瞬間、確かに拒まれた。
でも、完全に離されたわけじゃなかった。
“拒絶”じゃなく、“迷い”だった。
その微かな隙間を、
彩芽は決して見逃さなかった。
部屋に戻ると、
濡れたシャツを脱ぎながら、
鏡の前に立った。
水滴が頬を伝って落ちる。
そのたびに、胸の奥がざらつくように疼いた。
「……あの人が、俺のことを見てる」
呟いた声が、湿った空気に溶ける。
鏡の中の黒い瞳は、どこか狂気めいて光っていた。
今までは、ただ“好き”だった。
でも、もう違う。
今は“欲しい”になっていた。
——総さんが欲しい……
どんな形でも、どんな方法でも、
自分のものにしたい。
ベッドに腰を下ろし、
スマホを取り出す。
画面の中のトーク履歴。
既読のついていないメッセージ。
見つめるだけで、喉が渇いた。
「総さん」
名前を口にすると、
胸が震える。
「……俺は、もう、待てない」
息を吐くように呟いたその瞬間、
何かが切れた。
次の日、
彩芽はいつもより早く大学を出た。
向かう先は決まっている。
——あの人の職場。
ネクタイを締めた男たちが行き交う街の中で、
彩芽の金髪はひときわ目立つ。
すれ違う視線も気にならない。
頭の中には、総の顔しかなかった。
オフィスの入口前。
総が出てくるのを、
彩芽はただ待ち続けた。
時間が止まったように感じる。
空の色がゆっくりと群青に沈む。
——出てきた。
スーツの袖を直しながら歩く、紺髪の男。
その姿を見ただけで、世界が輝いて見える。
総が彩芽に気づく。
驚き、言葉を失い、
それでも目を逸らせなかった。
「……彩芽くん、どうして——」
「偶然です」
その嘘を、もう隠す気もなかった。
彩芽は一歩、近づいた。
目と目の距離が縮まる。
息が触れるほど近くで、
囁くように言った。
「あなたが逃げても。俺、追いかけますよ」
総の瞳がかすかに揺れる。
それを見て、
彩芽の唇がゆっくりと笑みの形を取った。
「だって、俺は、総さんの人生の一部になりたい」
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