14 / 26
第14話 おかえりなさい
夜の風はまだ冷たかった。
出張の資料が詰まったバッグを肩から降ろしながら、
俺は静かに自宅のドアを開けた。
鍵を回す音と同時に、
ふわりと香る柔らかな匂い。
どこかで嗅いだ――いや、毎日のように感じていた。
彩芽の匂いだ。
けれど、いつもなら寝ているはずの時間だ。
靴を脱ぎながら声をかける。
「……彩芽?」
⸻
その瞬間、
玄関の明かりの下に、人影が動いた。
金色の髪。
目をこすりながら、
玄関の隅で丸まるように座っている彩芽がいた。
小さな毛布を膝に掛け、
俺の靴音に反応して、
ゆっくりと顔を上げた。
「……総さん?」
「……おい、ここで何してる」
思わず笑ってしまう。
驚きと愛しさが同時に胸を満たした。
彩芽は、まぶたの端を赤くしながら、
照れたように笑った。
「……待ってたんです」
「玄関で?」
「はい……ベッドに入ったら、寝ちゃう気がして、待ってるって言ったので」
⸻
息が詰まる。
この三日間、
自分が“会いたい”と思っていた以上に、
彼も同じ気持ちでいたんだ。
「バカだな……風邪ひくぞ」
そう言いながらも、
足元に膝をついて、
その頭を優しく撫でた。
髪が指の間をすり抜ける。
あたたかくて、
泣きそうになるくらい愛しかった。
⸻
「……帰ってきたんですね、総さん」
「ただいま、彩芽」
その言葉を口にした瞬間、
自分でも驚くほど声が震えた。
“帰る”という言葉が、
こんなにも胸に響くなんて。
彩芽は、目を細めて笑った。
「……おかえりなさい」
その一言で、
旅の疲れが全部消えていく気がした。
⸻
抱きしめるより早く、
自然と腕が伸びていた。
冷えた頬を両手で包み、
額を合わせる。
「待っててくれて、ありがとう」
「……俺、ちゃんといい子にしてましたよ」
「知ってる」
小さく笑う。
言葉よりも、その温もりがすべてを伝えていた。
⸻
「次も、待てるか?」
「はい。
総さんが“帰ってくる”限り、
俺はどこにも行きません」
その返事に、
胸の奥が静かに熱くなった。
――この人のいる場所が、俺の帰る場所だ。
玄関の灯りの下、
彩芽の笑顔がやわらかく光って見えた。
ともだちにシェアしよう!

