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第14話 おかえりなさい

 夜の風はまだ冷たかった。  出張の資料が詰まったバッグを肩から降ろしながら、  俺は静かに自宅のドアを開けた。  鍵を回す音と同時に、  ふわりと香る柔らかな匂い。  どこかで嗅いだ――いや、毎日のように感じていた。  彩芽の匂いだ。  けれど、いつもなら寝ているはずの時間だ。  靴を脱ぎながら声をかける。  「……彩芽?」 ⸻  その瞬間、  玄関の明かりの下に、人影が動いた。  金色の髪。  目をこすりながら、  玄関の隅で丸まるように座っている彩芽がいた。  小さな毛布を膝に掛け、  俺の靴音に反応して、  ゆっくりと顔を上げた。  「……総さん?」  「……おい、ここで何してる」  思わず笑ってしまう。  驚きと愛しさが同時に胸を満たした。  彩芽は、まぶたの端を赤くしながら、  照れたように笑った。  「……待ってたんです」  「玄関で?」  「はい……ベッドに入ったら、寝ちゃう気がして、待ってるって言ったので」 ⸻  息が詰まる。  この三日間、  自分が“会いたい”と思っていた以上に、  彼も同じ気持ちでいたんだ。  「バカだな……風邪ひくぞ」  そう言いながらも、  足元に膝をついて、  その頭を優しく撫でた。  髪が指の間をすり抜ける。  あたたかくて、  泣きそうになるくらい愛しかった。 ⸻  「……帰ってきたんですね、総さん」  「ただいま、彩芽」  その言葉を口にした瞬間、  自分でも驚くほど声が震えた。  “帰る”という言葉が、  こんなにも胸に響くなんて。  彩芽は、目を細めて笑った。  「……おかえりなさい」  その一言で、  旅の疲れが全部消えていく気がした。 ⸻  抱きしめるより早く、  自然と腕が伸びていた。  冷えた頬を両手で包み、  額を合わせる。  「待っててくれて、ありがとう」  「……俺、ちゃんといい子にしてましたよ」  「知ってる」  小さく笑う。  言葉よりも、その温もりがすべてを伝えていた。 ⸻  「次も、待てるか?」  「はい。   総さんが“帰ってくる”限り、   俺はどこにも行きません」  その返事に、  胸の奥が静かに熱くなった。  ――この人のいる場所が、俺の帰る場所だ。  玄関の灯りの下、  彩芽の笑顔がやわらかく光って見えた。

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