15 / 26
第15話 ただいまの続き
玄関の灯りを消すと、
彩芽の手が、そっと総の袖をつかんだ。
「……もう少しだけ、このままでいいですか」
その声が震えていて、
俺は答えもせずに彩芽の手を握り返した。
廊下を歩き、
リビングの灯をつける。
温かい色の明かりが部屋に満ちると、
“あぁ、帰ってきたんだ”と
ようやく実感が湧いた。
⸻
彩芽はテーブルの上に置いてあったマグカップを見て、
少し照れたように笑った。
「総さんのコーヒー、作っておいたんですけど……冷めちゃいましたね」
「冷めてても、嬉しいよ」
「……飲みます?」
「もちろん」
カップを受け取ると、
ほんのり甘い香りがした。
きっと砂糖を少し多めに入れてくれたんだろう。
口に含むと、苦味の奥に優しさが広がった。
「優しい味だな」
「俺の味覚に合わせました」
「·····味覚似てるんだな」
悪戯っぽく笑う総。
その表情に、彩芽は心臓が静かに跳ねた。
⸻
「三日って、長いですね」
「そうか?」
「俺には、一ヶ月くらいに感じました」
その言葉に、
総の胸の奥が少し痛んだ。
「……寂しかったか」
「はい。でも、我慢できました」
「えらいな」
「“ちゃんと待ってろ”って言われたので」
そう言って、
嬉しそうに笑うその顔が愛しくて、
たまらなく抱きしめたくなった。
⸻
けれど、総は腕を伸ばすのを少しだけためらった。
この関係を壊したくなかった。
焦らず、
ゆっくりと信頼を積み上げていきたかった。
だから代わりに、
彼の髪に手を伸ばし、
指先でそっと撫でた。
「……よく頑張ったな、彩芽」
その一言で、
彩芽の瞳がほんの少し潤んだ。
「総さん、そんな優しい声で言うから……」
「泣くな」
「泣いてません」
「じゃあ、笑ってろ」
「はい」
彩芽は素直に微笑んだ。
その笑顔が、
この部屋の灯よりも明るかった。
⸻
「今日は、もう寝ろ」
「総さんは?」
「シャワー浴びて、すぐ行く」
「……ベッド、入ってもいいですか」
唐突な言葉に、
思わず息を呑んだ。
「寂しかったので……抱きしめてもいいですか」
その声が、
あまりにもまっすぐで、
断る理由なんてどこにもなかった。
⸻
夜の静寂の中、
灯を落としたベッドに並んで横たわる。
彩芽の髪が肩に触れる。
少しだけ距離を空けようとした俺の腕を、
彩芽がそっと掴んだ。
「……これくらい、いいですよね」
「……ああ」
彩芽が総を抱き寄せると、
彩芽の体温が胸に当たった。
ゆっくりと呼吸が重なっていく。
“帰る場所”という言葉が、
ようやく意味を持った気がした。
⸻
「おかえりなさい、総さん」
「ただいま」
そのやりとりのあと、
もう何も言葉はいらなかった。
静かに眠りへと落ちていく彼の髪を撫でながら、
俺は思った。
――この子が待ってくれている限り、
どんな遠くへ行っても、
必ずここに帰ろう。
ともだちにシェアしよう!

