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第15話 ただいまの続き

 玄関の灯りを消すと、  彩芽の手が、そっと総の袖をつかんだ。  「……もう少しだけ、このままでいいですか」  その声が震えていて、  俺は答えもせずに彩芽の手を握り返した。  廊下を歩き、  リビングの灯をつける。  温かい色の明かりが部屋に満ちると、  “あぁ、帰ってきたんだ”と  ようやく実感が湧いた。 ⸻  彩芽はテーブルの上に置いてあったマグカップを見て、  少し照れたように笑った。  「総さんのコーヒー、作っておいたんですけど……冷めちゃいましたね」  「冷めてても、嬉しいよ」  「……飲みます?」  「もちろん」  カップを受け取ると、  ほんのり甘い香りがした。  きっと砂糖を少し多めに入れてくれたんだろう。  口に含むと、苦味の奥に優しさが広がった。  「優しい味だな」  「俺の味覚に合わせました」  「·····味覚似てるんだな」    悪戯っぽく笑う総。  その表情に、彩芽は心臓が静かに跳ねた。 ⸻  「三日って、長いですね」  「そうか?」  「俺には、一ヶ月くらいに感じました」  その言葉に、  総の胸の奥が少し痛んだ。  「……寂しかったか」  「はい。でも、我慢できました」  「えらいな」  「“ちゃんと待ってろ”って言われたので」  そう言って、  嬉しそうに笑うその顔が愛しくて、  たまらなく抱きしめたくなった。 ⸻  けれど、総は腕を伸ばすのを少しだけためらった。  この関係を壊したくなかった。  焦らず、  ゆっくりと信頼を積み上げていきたかった。  だから代わりに、  彼の髪に手を伸ばし、  指先でそっと撫でた。  「……よく頑張ったな、彩芽」  その一言で、  彩芽の瞳がほんの少し潤んだ。  「総さん、そんな優しい声で言うから……」  「泣くな」  「泣いてません」  「じゃあ、笑ってろ」  「はい」  彩芽は素直に微笑んだ。  その笑顔が、  この部屋の灯よりも明るかった。 ⸻  「今日は、もう寝ろ」  「総さんは?」  「シャワー浴びて、すぐ行く」  「……ベッド、入ってもいいですか」  唐突な言葉に、  思わず息を呑んだ。  「寂しかったので……抱きしめてもいいですか」  その声が、  あまりにもまっすぐで、  断る理由なんてどこにもなかった。 ⸻  夜の静寂の中、  灯を落としたベッドに並んで横たわる。  彩芽の髪が肩に触れる。  少しだけ距離を空けようとした俺の腕を、  彩芽がそっと掴んだ。  「……これくらい、いいですよね」  「……ああ」  彩芽が総を抱き寄せると、  彩芽の体温が胸に当たった。  ゆっくりと呼吸が重なっていく。  “帰る場所”という言葉が、  ようやく意味を持った気がした。 ⸻  「おかえりなさい、総さん」  「ただいま」  そのやりとりのあと、  もう何も言葉はいらなかった。  静かに眠りへと落ちていく彼の髪を撫でながら、  俺は思った。  ――この子が待ってくれている限り、  どんな遠くへ行っても、  必ずここに帰ろう。

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