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第17話 言葉を抱く日
週末の午後。
窓から差し込む光が、柔らかく部屋の中を照らしていた。
彩芽は、いつの間にかこの部屋に“いるのが当然”のようになっていた。
気づけば、彼のマグカップも、彼用のクッションもある。
玄関には並んだ靴。
俺はそれを見るたびに、
胸の奥が少しだけ穏やかになるのを感じていた。
⸻
「総さん、コーヒー淹れました」
いつものように差し出されたマグカップ。
総の好みに合わせた苦めのブレンド。
その香りを吸い込みながら、
パソコンの画面に目をやる。
ふと視界の端で、
彩芽が何かを抱えてソファに座っているのが見えた。
小さなノート。
何度も折り目のついたそれは、
随分と使い込まれている。
「それ、なに書いてるんだ」
尋ねると、彩芽は少しだけ肩をすくめた。
「……ちょっと、真似してみたんです」
「真似?」
「総さんの小説を」
驚いて顔を上げる。
「書いてみたのか」
「はい。昔、俺……総さんの物語に救われたから。
もし自分も“誰か”を救えるような話が書けたらって……」
その言葉に、
胸の奥が少し温かくなる。
⸻
「読んでみてもいいか?」
「えっ……! いや、それは……」
頬を赤くしてノートを抱える彩芽の姿は、
まるで秘密を見られた子供のようだった。
「大丈夫だ。俺はもう書く側じゃない。
ただ、読者として読ませてくれ」
少しの沈黙のあと、
彩芽はゆっくりとうなずき、
ノートを差し出した。
⸻
ページをめくると、
丁寧な字で、
少年と青年の物語が綴られていた。
不器用で、痛みを抱えた少年が、
言葉を通して誰かと出会い、救われていく話。
途中で、筆跡が乱れている部分があった。
きっと、書きながら泣いたんだろう。
読んでいくうちに、
胸の奥に静かに熱が灯る。
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「……彩芽」
「は、はい」
顔を上げた彼に、
ゆっくりと微笑んで言った。
「面白い」
「……え?」
「ちゃんと“人の痛み”が書けてる。
それは誰にでもできることじゃない。
お前は……言葉を選ぶ時、心で感じてる。
それが伝わる。だから面白い」
彩芽の目が見開かれ、
次の瞬間、ほんの少し震えた。
「……総さんに、それ言われたら……泣きますよ」
「泣いていい」
「嬉しです……どうしようもないくらい……」
涙をこぼしそうになった彼の頭に、
そっと手を伸ばし、髪を撫でた。
⸻
「書き続けろ。
お前の言葉で、誰かがまた救われるかもしれない」
「……総さん、俺……」
「ん?」
「総さんに救われたから、今があるんです。」
その言葉に、
思わず総は微笑んでしまった。
――あぁ、この子はもう、
俺の光になっていたんだ。
⸻
「じゃあ、次の章を書いたら見せてくれ」
「また読んでくれるんですか?」
「あぁ、読むよ」
「……約束ですよ」
その瞬間、
彩芽の瞳に映った自分の顔が、
どこか昔より穏やかだった。
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