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第19話 言葉は届かないのか
昼過ぎ、書斎で資料を整理していたときだった。
携帯のバイブ音が机の上で震えた。
画面には、見慣れない番号。
総は少し迷いながら通話ボタンを押す。
「もしもし」
『あ、秋田さんでいらっしゃいますか? 私、桜木大学文学部の――』
聞き慣れない声に、胸が小さく跳ねた。
桜木大学。
彩芽の通っている大学だ。
『高崎彩芽くんの件でご連絡を……』
「彩芽?」
声が自然と強くなる。
教授の言葉が、静かな部屋に落ちた。
『最近、講義に姿を見せていないようなんです。
提出物も未提出が続いていまして。
何かご存じでしたらと思いまして』
「……いえ。初耳です」
電話を切ったあと、
静寂だけが残った。
⸻
リビングに戻ると、
彩芽のノートと、散らばった原稿用紙がテーブルに広がっていた。
書きかけのページには、
“想いが言葉に変わる時、人は壊れる”
という一文。
思わず息を呑む。
彼の書く世界は、日ごとに深くなっている。
だけど、その深さは──どこか、危うい。
⸻
夕方、ようやく部屋から出てきた彩芽に声をかけた。
「彩芽、大学は?」
「……今日は行きませんでした」
「昨日も、だろ?」
沈黙。
視線は、俺の方を見ようとしない。
「彩芽、書くことと生きることは別だ。
ちゃんと両方やらなきゃ」
「わかってます。でも、今の俺には――」
彩芽の言葉が途切れた。
拳を握り、子供みたいに唇を噛む。
「今の俺には、“これしか”ないんです。
書いてないと、息が詰まる。
総さんの言葉を、もっと感じていたいんです」
その声は、祈りのように熱を帯びていた。
⸻
「彩芽」
「……はい」
「俺はお前に、“俺みたいになれ”なんて言ってない」
「でも、総さんが救ってくれたから……
俺も、誰かを救いたくて……」
「救うために自分を壊したら、意味がない」
そう言った瞬間、彩芽の肩が震えた。
「俺は……壊れてもいい。
総さんの言葉が残るなら」
胸の奥に、痛みが走った。
彼の言葉が真っすぐであるほど、
それが“愛”の形に見えてしまう。
⸻
「……彩芽、いいか」
「……」
「俺の言葉は“お前のため”じゃない。
お前が生きるための“道具”だ。
それを壊すために使うな」
彩芽は目を伏せ、
唇を震わせながら呟いた。
「……ごめんなさい」
その声は、涙で少し掠れていた。
⸻
その夜。
彩芽は机の前に座ったまま眠っていた。
原稿の端に、涙の跡がにじんでいる。
総はそっとそのノートを閉じ、
彼の頭を撫でた。
「……お前の言葉は、きっと誰かを救う。
でも、まずは自分を守れ」
その言葉は、
自分自身に向けた祈りでもあった。
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