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第23話 3年の空白

 三年。  数字にすれば、たったそれだけ。  けれど、彩芽にとっては“生きるための三年”だった。  大学を卒業した翌春、  彼は迷わず出版社の採用試験を受けた。  秋田総がかつて所属していた――  あの文学誌を抱える老舗の出版社、白葉文芸社。  死ぬ気で勉強し、面接では震える声で言った。  > 「俺は、秋田総の言葉で生き返った人間です。  >  今度は、その言葉を“届ける側”になりたいんです」  それが採用理由になったのかどうかは分からない。  けれど、彩芽は受かった。 ⸻  仕事は想像以上に厳しかった。  締切に追われ、会議に追われ、時に上司に叱られた。  だけど、そのどれもが“生きている証”だった。  忙しさの中で、少しずつ  “恋しさ”が“誇り”に変わっていった。  総さんのいない日々が、  ようやく痛みではなく支えになってきた――  そんなある日のことだった。 ⸻  編集部に一通の小包が届いた。  宛名は編集長宛。  白い封筒に、黒い万年筆の字でこう書かれていた。  > 『秋田 総』  その名前を見た瞬間、  彩芽の呼吸が止まった。  まさか、と思った。  でも封を開けると、確かにそこには彼の筆跡があった。  懐かしくて、  胸が張り裂けそうで、  震える手で紙を撫でた。  そこに書かれていたタイトルは――  『約束の光』。 ⸻  編集部は一気にざわめいた。  「嘘だろ、秋田総が戻ってきたのか!?」  「引退したはずじゃ……」  「十四年ぶりの新作!? 特集組むぞ!」  周囲が盛り上がる中、  彩芽だけは静かにその原稿を見つめていた。  文字の並び方、余白の取り方、  すべてが懐かしい。  すべてが、総そのものだった。  でも、それ以上に――  その物語の一文が、心をえぐった。  > 『三年越しに、やっと君に“言葉”を返せる気がした。』  それを読んだ瞬間、  涙が勝手に落ちた。  “君”――  それが自分かどうかなんて、確かめるまでもない。 ⸻  数日後。  編集部のスケジュールボードに一枚の紙が貼られた。  > 【秋田総先生 打ち合わせ予定:金曜 14:00】  その文字を見た瞬間、  世界の音がすべて消えた気がした。  手が震える。  心臓が暴れて、息が苦しい。  ──会える。  ──三年ぶりに、総さんに。 ⸻  金曜日。  時刻は13時58分。  編集部のドアの前で、彩芽はスーツの裾を握りしめていた。  緊張で喉が乾いて、言葉が出ない。  ドアの向こうから、  低く落ち着いた声が聞こえた。  「お久しぶりです。秋田です」  その声を聞いた瞬間、  全身の血が逆流するような感覚に襲われた。  懐かしくて、  苦しくて、  今にも泣き出しそうだった。 ⸻  編集長が笑いながら中へ通す声が聞こえる。  ドアが開く。  そこにいたのは、  あの日のままの――いや、少しだけ落ち着いた顔の総だった。  紺の髪に、紫の瞳。  静かな笑み。  少し年を重ねた、けれど変わらない温度。  その視線が、  まっすぐこちらに向けられた。  「……久しぶりだな、彩芽」  その一言で、  世界が音を取り戻した。  泣きそうになりながら、  それでも笑って返した。  「……おかえりなさい、総さん」

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