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第24話 もう逃がさない
編集長が言う。
「打ち合わせは三日後だ。本人が来る。……全員気を引き締めて準備するように!」
会議室が一気にざわついた。
その喧騒の中、
彩芽は気づけば廊下を走っていた。
胸に手を当てる。
心臓が痛いほど速く打つ。
「……総さん……」
十年前に人生を救われ、
七年前に心を奪われ、
三年前に離された男。
そして今、
自分の目標となり、
自分の愛となり、
自分の未来そのものになった人。
その彼が、
ついに戻ってくる。
「もう……逃がさない」
静かに微笑む彩芽の瞳は、
獣のように強く、
恋人のように優しく、
そして──
再会を待ちきれないほどに熱かった。
──
三日という時間は、
彩芽にとって地獄のように長かった。
待つ時間ほど残酷なものはない。
胸の奥で何度も名前を呼び、
そのたびに傷と期待が入り混じる。
――会える。
――でも、本当に会えるのか。
――総はどんな表情で来るのか。
――自分を覚えているのか。
そんな不安を押し込めながら、
当日、会議室の前に立つ彩芽の手は汗ばんでいた。
心臓が跳ねる。
扉の向こうに、あの人がいる。
それだけで、息が震える。
「……はぁ……よし」
深呼吸しても落ち着くわけがない。
むしろ呼吸が浅くなる。
編集長の声が響く。
「そろそろ来るぞ。皆、席についてくれ」
会議室は緊張した空気で満たされ、
色んな資料が机に並べられていた。
――コン、コン。
控えめだが、はっきりしたノック。
全員の背筋が伸びる。
扉がゆっくり開いた。
光が差し込み、
その影の中に、ひとりの男が立っていた。
紺色の髪。
落ち着いた紫の瞳。
スーツ姿は柔らかさと知性を纏い。
昔より少し痩せた肩。
そして、変わらない静かな気配。
――秋田 総。
空気が止まった。
時間がゆっくりと流れ始める。
彼が部屋に一歩踏み入れるたび、
彩芽の胸がぎゅうっと締めつけられる。
総はゆっくりと視線を巡らせ、
挨拶の言葉を探すように口を開きかけて――
その瞬間。
その瞳が、彩芽を捉えた。
「…………っ」
彩芽の呼吸が止まる。
三年ぶりの視線。
名前も呼んでいないのに、
身体の奥が震えるほどに懐かしい。
総の紫の瞳が揺れる。
まるで、信じられないものを見た人のように。
声を出そうとしたその唇が、
微かに震えた。
「……あ……や……め……?」
初めて聞いたような、
でも何度も夢で聞いた名前の呼び方。
空気が弾けた。
しかし総はすぐに視線を逸らし、
表情を整えて、
編集者たちへ向き直る。
「久しぶりです。よろしくお願い致します」
静かで落ち着いた声。
けれど彩芽にはわかる。
――総は動揺している。
――自分を、覚えていた。
彩芽は胸が痛いほど喜び、
同時に張り裂けそうな思いで総を見つめた。
(……総さん……)
言いたい言葉は山ほどある。
聞きたいことも山ほどある。
なのに、
ただ名前を呼ばれただけで、
熱が込み上げて涙が滲みそうになる。
その瞬間。
総はほんの一瞬だけ、
誰にも気づかれない角度で
彩芽に視線を投げた。
――どうして、ここに?
そう言いたげな、苦しい、戸惑った瞳。
そして、
その奥にほんのわずかに滲む、懐かしさ。
彩芽は、
胸元を握りしめながら
たまらず微笑んだ。
逃がさない。
もう二度と。
再会の扉は、
静かに、確かに開いたのだった
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