24 / 26

第24話 もう逃がさない

 編集長が言う。  「打ち合わせは三日後だ。本人が来る。……全員気を引き締めて準備するように!」  会議室が一気にざわついた。  その喧騒の中、  彩芽は気づけば廊下を走っていた。  胸に手を当てる。  心臓が痛いほど速く打つ。  「……総さん……」  十年前に人生を救われ、  七年前に心を奪われ、  三年前に離された男。  そして今、  自分の目標となり、  自分の愛となり、  自分の未来そのものになった人。  その彼が、  ついに戻ってくる。  「もう……逃がさない」  静かに微笑む彩芽の瞳は、  獣のように強く、  恋人のように優しく、  そして──  再会を待ちきれないほどに熱かった。 ──  三日という時間は、  彩芽にとって地獄のように長かった。  待つ時間ほど残酷なものはない。  胸の奥で何度も名前を呼び、  そのたびに傷と期待が入り混じる。  ――会える。  ――でも、本当に会えるのか。  ――総はどんな表情で来るのか。  ――自分を覚えているのか。  そんな不安を押し込めながら、  当日、会議室の前に立つ彩芽の手は汗ばんでいた。  心臓が跳ねる。  扉の向こうに、あの人がいる。  それだけで、息が震える。  「……はぁ……よし」  深呼吸しても落ち着くわけがない。  むしろ呼吸が浅くなる。  編集長の声が響く。  「そろそろ来るぞ。皆、席についてくれ」  会議室は緊張した空気で満たされ、  色んな資料が机に並べられていた。  ――コン、コン。  控えめだが、はっきりしたノック。  全員の背筋が伸びる。  扉がゆっくり開いた。  光が差し込み、  その影の中に、ひとりの男が立っていた。  紺色の髪。  落ち着いた紫の瞳。  スーツ姿は柔らかさと知性を纏い。  昔より少し痩せた肩。  そして、変わらない静かな気配。  ――秋田 総。  空気が止まった。  時間がゆっくりと流れ始める。  彼が部屋に一歩踏み入れるたび、  彩芽の胸がぎゅうっと締めつけられる。  総はゆっくりと視線を巡らせ、  挨拶の言葉を探すように口を開きかけて――  その瞬間。  その瞳が、彩芽を捉えた。    「…………っ」  彩芽の呼吸が止まる。  三年ぶりの視線。  名前も呼んでいないのに、  身体の奥が震えるほどに懐かしい。  総の紫の瞳が揺れる。  まるで、信じられないものを見た人のように。  声を出そうとしたその唇が、  微かに震えた。  「……あ……や……め……?」  初めて聞いたような、  でも何度も夢で聞いた名前の呼び方。  空気が弾けた。  しかし総はすぐに視線を逸らし、  表情を整えて、  編集者たちへ向き直る。  「久しぶりです。よろしくお願い致します」  静かで落ち着いた声。  けれど彩芽にはわかる。  ――総は動揺している。  ――自分を、覚えていた。  彩芽は胸が痛いほど喜び、  同時に張り裂けそうな思いで総を見つめた。  (……総さん……)  言いたい言葉は山ほどある。  聞きたいことも山ほどある。  なのに、  ただ名前を呼ばれただけで、  熱が込み上げて涙が滲みそうになる。  その瞬間。  総はほんの一瞬だけ、  誰にも気づかれない角度で  彩芽に視線を投げた。  ――どうして、ここに?  そう言いたげな、苦しい、戸惑った瞳。  そして、  その奥にほんのわずかに滲む、懐かしさ。  彩芽は、  胸元を握りしめながら  たまらず微笑んだ。  逃がさない。  もう二度と。  再会の扉は、  静かに、確かに開いたのだった

ともだちにシェアしよう!