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               僕のこの醜い容姿は呪われているのかもしれない。と、僕はずいぶん前から自分の容姿についてずっとそう考えてきた。      しかし実は、僕は小学一年生になるまでは自信家だった。  今でこそ自分の容姿の醜さとその恥を知ったが、それこそ六歳ごろまでは――今では信じられないが――容姿にも絶対的な自信があったのである。    それは、小さいころから母と祖父に「お花ちゃん」と呼ばれ、僕が男ながらに蝶よ花よと育てられたためだった。…ちなみに僕の血の繋がった家族は母と祖父のみである――ただし家族と呼びたい関係性の人は他にもいる。たとえばじいやだとか、母と祖父の親しい友人たちだとか――。    僕は昔から周りの大人によく褒められ、よく抱きしめられ、よく頭を撫でられ、よくキスをされるような非常に恵まれた子どもだった(なお、我が家はやたらアメリカンなほどスキンシップが多い家庭であるため、実はいまだにそうではあるのだが…)。  ……ましてや僕は幼少期、幼稚園や保育園には通っていなかった。つまり家族や家族の友人たち以外の誰か、とは、せいぜい街中ですれ違うくらいしか接点がなかったのである。    とはいえ――僕の祖父と母は実業家である。  もともと我が天春(アマカス)家は二百年以上の歴史をもつ、由緒正しき呉服(ごふく)屋『呉服 あまがさ』だった。――ちなみに今の呉服屋とは着物や着物の生地はもちろん、帯やバッグ、下駄(げた)などの履き物や襦袢(じゅばん)など、和装に関するものは何でも売っている店のことだ。  しかし時代とともに和服を着る日本人は減ってゆき、当然呉服屋というのも工夫なしには食べてゆけない時代になった。――そこで僕の祖父と母は時代にあわせた営業戦略でお家の事業を建てなおし、そうして今や母は和柄高級ファッションブランド『AMAgasa Japan』の専属ファッションデザイナー兼代表取締役社長、そして祖父はその子会社『AMAgasa Japan』と、海外にも実店舗をかまえる国内外最大手呉服チェーン店『きもの 天駆紗(あまがさ)』、その二社を包括した上場企業『Amagasa Company』を経営する代表取締役会長となった。  今や二人は父娘(おやこ)にして最強のビジネスパートナーなのである。  すると未だにそうだが、我が家にやってくるその家族の友人たち、というのは年齢、性別はもとより人種もさまざまな、本当に多種多様な人々だった。  ところがその人たちのほとんどが、小さい僕のことを可愛い可愛い、えらいえらい、と可愛がってくれたのだ。――そうして接するのは自分と親しい大人たちばかり、それも溺愛(できあい)というほど僕を愛してくれる大人たちに囲まれて育った僕は、しかしその割にわがままだとか、同年代の子たちとのコミュニケーションが不得意だとか、そういったいわば「甘やかされて育った子ども」というようではなかった。    たしかに目に入れても痛くないというほど溺愛されてはいたとは我ながらに思うが、しかしそれほどまでに愛されていたぶん、小さいころの僕はもらえる愛情において大変満足していた。――すると、かえって大好きな大人たちに褒められる自分でいたい、という気持ちになっていた。  たとえば美味(おい)しいお菓子をもらったなら、大好きな人たちと分け合いたい。たまに連れられてくる同年代の子にももちろん優しくするし、先を譲るし、わけっ子もする。――そうしたら「えらいね」とか褒めてもらえるばかりか、みんながニコニコととろけそうな顔で笑ってくれるから。    僕はそうした優等生らしい子どもだったらしい。  いや、よく言えば聞き分けも良く、手がかからない上に愛嬌まである「良い子」なのだが――ちょっと意地の悪い言い方をすれば――そうして聞き分けがよいのも手がかからないのも、また愛嬌を振りまいていたのも、それこそ「可愛い、えらい、良い子」といって褒めてもらうため、すなわち自分が愛されるためだったのである。つまり我ながら「あざとい」子どもだったのである。また事実僕はそのあざとさで、「報酬」たるものを余りあるほど大人たちからもらっていた。    そうして僕は誰かに愛され好かれはしても嫌われた経験はなく、たっぷりと愛情を注がれて育った。我ながらかなり恵まれた子どもだった。  だから小学校に入学するという折、僕は何の疑いもなく『たくさんのお友だちを作るんだ』とワクワクしながら意気込んでいた。  もちろん友だちができないなんて、そんな悲観的な未来は少しも想像しなかった。    輝くような僕の黒いランドセルはもちろん傷一つない、特別にあつらえてもらった最高級品だった。  僕は自分の部屋の学習机に置かれたそれを毎日ながめ、毎日ニコニコわくわくしながら過ごした。そのつやつやのランドセルを背負う日が待ちきれないというほど、まだ見ぬ学校という場所に通うのが楽しみでたまらなかった。    そしてやっと迎えた入学式――初めて背負ったお気に入りの黒いランドセルは、しかし中に何も入っていなかったせいか、とても軽かった。  ……ちなみに、僕が肌身離さず身につけておかねばならないあのペンダントや耳飾りは、紫のお守り袋にまとめて入れ、一つのペンダントとして着けてゆくことになった。学校には許可をもらっていたそうだが、念のためお守り袋は服の下に隠して。    またその日の夜、僕はお祝いの席にそろった大勢の大好きな大人たちに、おめでとうおめでとうと口々に入学を祝ってもらった。    しかし――母だけはなぜか、ずっと泣いていた。  もちろん僕を見ると無理にもにこっと笑ってくれるのだが、「ごめんねママ、せっかくのお祝いなのに泣いてばかりで…」と、お祝いの席でも彼女は沈痛(ちんつう)な面持ちでうつむいてばかりで、「嬉しいの…嬉しいだけよ…」と彼女は繰り返したが、正直あまり祝ってくれている感じはしなかった。  僕はそれにちょっと()ねたが、それは本当に子の成長を(よろこ)ぶ嬉し涙だったのか、または寂しさからのものだったのか――あるいは、      ……「母の勘」、だったのか――。      登校初日――担任の先生の取りしきる、各々の自己紹介も済んだのちの休み時間のことだった。  まだ遊びに行くことも許されていない小学一年生の教室内には、数人はトイレに席を立ってはいたが、しかしクラスメイトのそのほとんどが揃っていた。  早速一人の机のまわりで話しこんでいる数人の少年少女がいる。――僕は、僕なりに精一杯親しげな笑顔をうかべながら、その数人のクラスメイトたちに近づいていき、そして握手の手を彼らに差し出した。   「はじめまして! 僕、天春(アマカス) 春月(ハヅキ)です。ともだちになってくれる?」    ところが…一斉に僕を見たその男女数人の少年少女たちは、端的にいって「嫌そうな顔」をした。   「……、…」   「…………」   「……、…」    みんなが薄い眉をくもらせ、じろじろと怪訝(けげん)そうに僕の顔を見て――それからややあって、一人の少女が嫌そうな顔をしてこうつぶやいた。   「何その目…こわい」   「…え?」    僕は目を見開いておどろいた。彼女はいよいよ眉をひそめた。   「なんかこわい。おばけみたい」   「……、…」    呆然(ぼうぜん)とした僕は、まだ傷ついたとも何ともなかった。――生まれて初めて容姿をけなされた、というのさえよくわかっていなかったからである。  しかし、さすがにクラスメイトたちがニヤニヤとした顔を見合わせ、チラチラと僕を見ながらこう言いはじめたのには、   「なんかキモいよねー」   「うん…あっち行ってほしいんだけど」   「ともだちになんかなるわけないじゃん」   「……、…、…」    そう…わかった。  嫌われた。嫌なこと…悪口を言われたのだ。  傷つく、という経験を――僕は生まれて初めてすることとなった。   「ごめんね…」――僕はか細い声で謝りながら目を伏せ、震えている差し出した手を下げた。    それから彼らに背をむけ、肩を落として、とぼとぼと自分の席に帰った。「何あの子」「すごいブスじゃなかった?」「ねー」「キモかったよね」――僕の小さな背中には、そういったクラスメイトたちの陰口がいくつもの小石のようにぶつかった。   「……っ、…」    僕は泣きそうになった。目には涙がのぼり、唇はふるえ、息は詰まる。だが、ぐっと必死にこらえた。      初日は最悪だった。  が、その後もずっとそんな感じだった。  悪いことに、それからの学校生活においても、僕は都度クラスメイトたちにひそひそと悪口を言われつづけた。――そうしたいわゆる「いじめられっ子」の僕にはもちろん、友だちなんぞ一人もできることはなかった。    ちなみに、僕は家族にそのことを話さなかった。  恥ずかしかったというより、僕を愛してくれている家族にそんなことを話してしまえば、よっぽど彼らのほうが悲しんで傷ついてしまうように思えたのだ。――だから僕は平然と、…むしろあたかも学校生活を楽しんでいる子どものように家で振る舞い、彼らを安心させようと「お友だちもできたんだ」と嘘までついて、…つらくとも学校には行き続けた。    しかし、キモいとかブサイクとかムカつくとか、小学一年生のいじめなど所詮(しょせん)そうした悪口程度である。  ……もっと悪かったのは、小学四年生からのことだった。――当然子どももその頃になれば語彙(ごい)も増え、また「いじめ」における行為のバリエーションも不思議と増えてゆく。    休み時間になると特にいじめてくるグループの数人が、僕の机の周りに集まってくる。  そして僕がうつむいて何も言わない、反抗しないのをいいことに、そのクラスメイトたちは男も女も面とむかってひそひそ、ニヤニヤと悪口を言ってきた。   「キモ、早く死ねばいいのに」   「ねー、ブスすぎ。マジでキモいんだけど。」   「漫画にあったけど、〝醜い化け物〟ってお前のことじゃね?」   「あーそうだよ、天春(アマカス)にぴったりじゃん。そのキモい目で見ないでよ? キモい病気うつるから」   「……、…、…」    それでも僕は奥歯を噛みしめて耐えた。  ――僕は我慢して学校に通いつづけたのだ。    天春(アマカス)家は由緒正しい名家である。  我が家にくる家族の友人たちは「さすが天春(アマカス)家の…」だとか、「やはりお家が良いと…」だとかと言って、その「天春(アマカス)」の名前を文頭にそえて優秀な祖父や母を褒めることがよくあった。  するとこの頃の僕はまだまだ子どもながらにも、きっと自分の生まれた「天春(アマカス)家」はものすごく偉大な家系なんだ、と思っていたし――事実そうであるし――、同時にそれなら大好きな祖父や母に恥をかかせたくない、僕も天春(アマカス)の名にふさわしい立派な人にならなきゃと、ある種の誇りを胸に芽生えさせていた。    別に母や祖父に「天春(アマカス)たるもの」なんてそれを()いられていたわけではない。  ただ僕は自分で天春(アマカス)家の恥になりたくない、崇高(すうこう)天春(アマカス)の名に泥を塗りたくないと、子どもながらにそう思っていた。    しかし、だからこそ――天春(アマカス)家に生まれた一人息子の僕が「いじめられっ子」であるということは、きっと二人にとってものすごく恥ずかしいことに違いない。そう思った。    だから僕は二人にいじめられていることを隠し、またいじめてくるクラスメイトたちに反抗もしなかった。変に騒ぎを起こしたら、ママたちに迷惑がかかってしまうかもしれないから…――だから学校で定期的に行われる内情調査のアンケートで、自分が受けているいじめを告発するようなこともしなかった。  いや……そもそも言い返すだけの気力ももうなかった。抵抗するだけ時間の無駄だ、そうしたって結局は余計に酷くいじめられるだけなんだから……と。    だがそうした無抵抗のいじめられっ子は、いじめをする子どもたちにとっては非常に都合がよい存在だったのだろう。    いじめはどんどん激化した。  悪口なんかまだ生やさしいほうだった。  教科書に「ブス」や「キモい」などと悪口を書かれたり、後ろから蹴られる、階段の踊り場で突然「死ねよ」と後ろからつき飛ばされる、お気に入りの靴を雨上がりの泥水に投げ込まれたり、体操着を校内の庭の池に捨てられていたこともあったし、掃除の時間、埃まみれの床で、僕のリコーダーでサッカーをやられたこともある。    酷いときは放課後の教室の隅に追いやられ、僕はいじめてくる数人のクラスメイトに囲まれた。  ニヤニヤしている一人の少年が太い黒マーカーのふたを引っ張りあけ、   「なー天春(アマカス)、お前の名前、顔に書いてあげよっか?」    とうつむいている僕の頬に、その黒く太いペン先を突き刺した。――僕は羞恥と屈辱にぶるぶる震えながら、しかしその頬をすべる鋭利(えいり)な痛みにも耐えてじっとしていた。   「ブ…ス。…あはははっ…!」    その男子の笑い声を皮切りに、囲む数人の口からあざけりの甲高い笑い声が一斉にあがる。   「似合ってるじゃん天春(アマカス)ー。」   「それで帰れよ。お前の母親に見せてやったら? ただいまーぼくブスでーす! ブスに生まれてごめんなさーい! って」   「やばー、ウケるんだけどー!」   「勝手に消すなよー天春(アマカス)ー、それがお前の名前なんだからさー」   「……、…、…」    こうして頬にマジックペンで「ブス」とか「バカ」なんて書かれたことも何度かあった。  涙が出てきた。ぽろ、と片目からこぼれ落ちた涙に、しかし「何泣いてんだよ…」「キッショ…」とそれすらも(なん)じられ、僕は自分の涙をぐっとパーカの袖でぬぐった。   「お前なんか死ねば?」   「そうだよ。誰もお前のことなんか好きにならないんだから。みんな天春(アマカス)のこと嫌いだって言ってるよ?」   「ねー。だってキモブスだもんねー、無理ー」   「早く死んだほうがいいよ天春(アマカス)」   「お前の母親もお前なんか早く死ねと思ってんじゃね? だってお前人間じゃなくて、〝醜い化け物〟なんだからさぁ…――。」   「……っ、…、…、…」    しかし僕はうつむき、奥歯を噛みしめ、手のひらに爪が刺さるほど拳をにぎって耐えた。耐えたのだ。  ……そうしてとにかく耐え忍んでいる僕の周りを囲んでいるクラスメイトたちは、やがて「ブース、ブース、ブース」とみんな声を揃えて楽しげに、しかし残酷にはやし立てた。    ……が――やがて中年女性の、担任の先生が「何してるのー、早く帰りなー」と声をかけてきたなり、彼らは蜘蛛(くも)の子を散らすように「はーい」と去っていったのだった。    僕もうつむきながら廊下に出た。  小走りで廊下にいた担任の先生とすれ違った。彼女は僕の黒いランドセルの背中に「気を付けて帰るのよー」と声をかけた。    しかし、もちろんこんな顔で家族の元には帰れない。  僕は学校内の鏡のある水飲み場で、泣きながらその「ブス」の文字を石鹸(せっけん)と水で洗いながした。顔にも油分があるからか、幸いそれで綺麗に落ちはしたが、こすり過ぎた僕の頬は赤くなっていた。  ……僕はふと鏡に映る濡れた自分の顔を見た。恐ろしいぎょろりとした白い瞳に、青白い肌にうかぶ頬の林檎(りんご)のような濃い病的な赤らみは、まるで醜い猿のようだと思った。――あるいはおぞましい妖怪、…間違いなく自分は「醜い化け物」だと自分でも思った。   「……このブス…、っこのブス、……っ」    見ていられないと僕は泣きながらうつむいた。  みじめだとか恥ずかしいとか、もちろんそういった屈辱に泣きたい気持ちはあった。――ただ…何よりも僕は、家族に申し訳なかった。  ……いじめられっ子の上にこんな不細工な子ども、きっと二人も本当は恥ずかしく思っているに違いない。幸い成績はよかったのだ。――ただ僕は、容姿だけはひどく醜かったのだ。    醜い化け物…――その言葉は、僕の顔に刻み込まれた生まれつきの「呪い」のようなものだった。    しかし僕は何食わぬ顔をして家に帰った。  あたかも充実した学校生活を送っている子どもらしい態度で、「ただいま」と我が家に帰っていた。  ……ちなみに、母や祖父はもともとあまり僕の学校生活について聞いてくることはなかったので、そもそも彼らに学校の話をする機会もそうなかった。    そして僕は、彼らにいじめを隠している以上それを都合よく思っていた反面、…聞いてくれれば…僕は、言えるかもしれない…――助けて、実はいじめられているんだ…――そう、少し悲しくも思っていた。        ただあるとき――そうした悲惨(ひさん)な僕の学校生活にも、一筋の光明が差した。          

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