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ちなみに――結論からいって、僕は母とのあの「三つの約束」を全て守ることができた。
まず一つ目。
――〝きちんとお家でもお勉強をすること。〟
僕は小学生から中学生までは不登校のまま、(母の厳しい面接を経て、厳選も厳選しつくされた)専属の家庭教師をつけてもらい、そうしてオンラインでの自宅学習に励んだ。
……僕は恵まれたことに裕福な家庭に生まれたため、学校や自治体の支援教室には通わずとも十分な学習環境を得られた。――しかし、今は不登校児など事情があって学校に通えない子どものための教育支援センターやフリースクール、またそのフリースクールも通学式ばかりかオンライン式もあり、僕のような子どもが勉強する機会というのは、探せばわりに社会が提供してくれているので、それらのどれかを選択する手もあった。
ただ僕はあのあとすぐ心療内科に連れてゆかれたのだが、実は醜形 恐怖 症 ――自分の容姿を「醜い」と強く否定するあまり過剰に人の目が怖くなる、などの症状がみられる精神疾患 ――をわずらってしまったため、極力だれかとの接点を避けたかった。
そしてそれを理解してくれた僕の家族は、高校までは家庭教師をつけて勉強をさせてくれたのである。
次に高校は通信制課程、…通信制というのは、いわゆる学習のほとんどを家庭でやってよい――学校にそれほど通わなくてよい――ちょっと特殊なシステムの高校だ。
ただ全く登校日がないわけでもなく、僕の通っていた高校の場合は、極力少ない登校日を謳 っていた私立だったので年に四日ほどではあったが、それも公立となると週に二日ほどは登校日があるらしい(ちなみに登校日ゼロ、完全オンラインの高校は国の法律のあれこれによって存在しない)。
また通信制課程は、僕のように不登校児だった人たち、病気や何か時間の事情で通信制を選んだ人たち、それから大人になってからも改めて高校に通いたいとがんばっている人たちと、年齢性別、事情もさまざまな人々が通っている場所だった。
――年四日の登校ではそうそう話をする機会もなかったが、しかし僕はあの場所につどった人々みんなが何かしら、僕と同じように生きづらい傷を負ってしまいながらも、それでも自分の幸せな将来のために学校に通っている「仲間」という気がして、少し元気づけられたものだった。……とはいえ登校日には毎度、(それでなくとも地で青白い顔をしているというのに)顔面蒼白 となるほど毎回緊張してしまっていたし、目元もしっかり前髪で隠して警戒しまくっていたのだが。
また通信制課程は自宅学習が主である以上、普通課程(週五日学校に通う普通の高校)よりか、尋常ではないほどのレポート(宿題)が出される。――僕の高校は元不登校児のサポートも手厚い私立だったので、僕は家のPCで授業の動画を観ながら勉強したり、ライブで先生の授業を受けたりといったオンライン学習が主ではあったが、やっぱりレポートはかなり多かったのだ。
大量のそれを期限までに全てこなすのはちょっと大変だった。しかし、それにもましてほとんど学校にゆかなくていい気楽さは、僕の傷ついた心を守ってくれた。
そうして僕は無事に、通信制課程の高校を三年で卒業した。
ただ、僕は大学には行かなかった。
幸い学力は申し分なかったが、あまり学びたいと思える分野もなかったし…何より――この頃には無事、僕は叶 え た い 夢 を見つけていたからである。
次に二つ目――〝なんらかの形で社会との繋がりを保つ…決して人との繋がりを断ち切らないこと。〟
まずこれに関していえば、そもそも僕は幼少期から今にいたるまで、それを断ち切ろうにも断ち切りがたい環境に身を置いている。
元来天春 家は客の出入りが多いのである。
祖父、母ともに著名な実業家であり、会合なんかはよそでやるにしても、我が家には彼らがまねいた仕事関係、プライベート関係にかかわらない多くのお客様、あるいは友人たちがちょくちょく訪れる。
すると嫌だろうがなんだろうが、僕は最低限彼らの息子(孫)としてそのお客様にご挨拶することは避けられないのと、また昔から僕のことを可愛がってくれていた人たち相手には、まず簡単なものでも会話に発展する流れがいつものことだった。――なので(重度の)引きこもりのくせ、僕は案外コミュ障というほどの人見知りでもない。
ただなかなか同年代の人たちは我が家に訪れない。
昔は一緒に遊んだ子たちも、そこそこの年齢となれば祖父母や父母についてくるようなこともなくなり、すると我が家に来るのはいよいよ大人たちばかり――とはなったが、…しかし、僕はそれであってなお、自然に同年代との関わりも持つようになった。
……ネット上で。
僕は家族に不登校を認められ、おそらく世間ではめずらしいほど堂々とした不登校児となったあと、しかし暇を持てあますあまり――オ タ ク になった。
――もともと絵を描くのは大好きな子どもだった。
小学生になってからはそんな気力もなく絵は描かなくなったが、それこそ小さい頃はよく大人たちの似顔絵などを描いては見せ、そうしてみんなが「上手だね、ありがとう」と笑顔で自分を褒めてくれるそのある種の快感に、ひたすらクレヨンやカラーペンや色えんぴつなんかで、自由帳いっぱいにさまざまな絵を描きなぐっていたものだった。
ただ絵はともかく、僕はもとはあまりアニメやゲーム、漫画というものにはそれほど興味がない子どもだった。――母と祖父の影響で月刊誌の少女漫画、少年漫画をたまに読んだり、家族でパーティーゲームに興じるようなことはあったが、といってそれらにのめり込むというほどハマっていたわけでもない。
しかし不登校となると、暇な時間がいやに多くできた。勉強の時間も学校ほど長時間にはおよばない。
すると僕は最初こそ時間つぶしに、母の部屋から借りてくる少女漫画から始まり、アニメ、ゲームとどんどん手をひろげ――やがて順調に、みるみると世にいう「オタク」となっていった。
そしてあるとき僕は、たまたま好きだったファンタジー系アニメの、イケメン男性キャラクターの名前を検索した。――すると……出てきたのだ。
そのキャラクターの二次創作作品が――。
それはイラストだった。当然公式のタッチではない。アナログの水彩画をスキャンしたような、とても美しいイラストだった。なお、それは二次創作に強いオタクのつどうイラスト系SNSに投稿されていた。
僕は『わぁ綺麗…』と少し感動したが、しかし最初はそれよりか『でも、なんだろうこれ?』とふしぎに思う気持ちのほうが強かった。まだ二次創作の言葉の意味も知らなかったのだ。――ただそのイラストの概要欄やタグの下の「おすすめ」には、目をひくそのキャラクターのイラストのサムネイルがずらりと並んいた。僕は次々見た。
……そうして僕はいつの間にやら「二次創作」という言葉の意味を知っていた。
また例のSNSはオタクにとっての楽園だった。
やがて僕はイラストのみならず、漫画、小説にいたるまで二次創作作品を読みあさるようになった。
……で…気が付いたら第三の目 が開眼――すなわち腐男子にまでなっていた。
ちなみにもともと僕はアニメにしろ何にしろ、女性キャラクターより男性キャラクターを好きになる傾向があった。もちろん女性キャラにも好感はもつのだが、「推し」になるのはいつも男性キャラ(もっというとイケメンキャラ)ばかりだったのである。
――となれば必然的に、二次創作においても僕は男性キャラのものばかりたしなむようになり、すると男性キャラの二次創作のほとんどは「夢」か「BL」かであったのだが(たまに男女ものもあったが)、夢小説系においてはほとんどの夢主が女性であるため、なかなか男の僕には感情移入がしにくかった。
なら当然男が主人公のBLのほうがまだ感情移入しやすく、また単純にBLは僕の性 に合っていたので、そちらのほうが読んでいて楽しめたのである。
ましてや少女漫画も好きで読むような男の僕には、似て非なるものであるBLを好きになる土台は十分にあったといえる。
ただいつしか僕は、暇つぶしの域を越えてBLの世界にのめり込んでいった。どっぷりと熱中するあまり徹夜してまで読みあさるようなこともあった。
またもっともっとと貪欲になり、やがて例のSNSばかりか個人が運営するホームページにまで手をのばすようになった。そうして僕は腐女子たちが創り出すクリエイティブな世界に夢中になった。
僕は感動した――。
こんなに素敵なものを作る腐女子さんたちって本当にすごい…と――ひょっとすると中には僕のような「彼」もいたかもしれないが――彼女たちのその多岐 にわたるクリエイティブな作品たちは、僕の傷を負い滞 った胸のなかを、魂を震わせた。…その「震え」は、僕の胸のなかにまとわりついていた泥を振り落としてくれるようだった。
ぞっとするほど美しい物語、大笑いできるほど面白い物語、憧れてしまうほどキュンとくる物語、ありがとうと感謝したくなるほど励まされる物語、涙するほど悲しい物語、ほっこりと心がなごむ物語――さまざまなイラスト、小説、漫画――彼女たちが創り出してくれる個性的でさまざまな世界は、灰色の日陰にいる僕の世界をパッと照らし、さまざまな色を与えてくれた。
楽しい。――その感情を、腐女子たちは僕に思い出させてくれたのである。
僕はそのころから今もなお、感謝をもって腐女子たちを深くリスペクトしている――もちろん「腐女子」とはいえ、年齢性別問わずのお腐れファミリーたちを深くリスペクトしているが――。
僕はBLに、ひいてはそれを創り出してくれる腐女子たちに救われたからだ。――また彼女たちは傷ついていた僕を楽しませてくれたばかりか、僕にちょっとした居場所をも与えてくれた。…男性キャラを好きになってばかりの僕は、きっと昔からゲイだった。
そして彼女たちが男性同士の恋愛を好き好んでえがいてくれること、またそうしたBLというものを好きでいてくれることは、同性愛者である僕のことを肯定し、応援してくれているようにも感じられたのだ。
僕を救い、僕に居場所をくれた。――そのうえで、こんなにも面白くてたまらない作品をつくれる腐女子たちの存在が、そしてその作品をいきいきと楽しんでいる腐女子たちの存在が、僕には美しく光り輝かんばかりの「女神」とさえ思われたのである。
……何か…いつかお返しになるようなことができたらいいのにな。…僕はずっとそう考えていた。
そうして(晴れて…?)お腐れファミリーの仲間入りを果たした僕はさらに、誰かの素晴らしい二次創作作品を見ているとこう、何か衝動的な熱意のような創作意欲がむくむくと湧きあがってくるのを感じた。
なのでネット上に公開するまでは勇気がなくとも、自分でもひっそりと二次創作のイラストや漫画を描くようになっていった。
そしてあるとき僕は、よく通っていたあるBL二次創作系ホームページの「キリ番」を踏んでしまった。
自CP (僕の好きなCP)の小説やイラストをあげているサイトで、またプロフィールを見るに、恐らく僕と同年代の子が運営しているっぽいホームページではあったのだが、彼女はその年にしてかなり絵が上手かったし、小説のほうも僕は毎回更新を楽しみにしていたくらい好みだった。
……なお最近の子たちはそもそも『キリ番って何?』と思うかもしれないが、たとえば「3333」など、要するにサイトの訪問者数の「キ リ のよい番 号」のことである(多くはサイトトップに『次のキリ番は…』と書かれていた)。――そしてさらにいうと、その「3333」のタイミングでサイトに訪れた者は、大概そのサイトの掲示板にコメントやリクエスト等を書き込まねばならないというい に し え の ル ー ル があった(キリ番踏み逃げ厳禁、と書いているサイト運営者も多くいた)。
で…毎日というほど通っていたホームページのキリ番を踏んでしまった僕は、我ながら律儀なところのある性格をしているため――その折に勇気をだして、生まれてはじめてネット上にコメントを書き込んだ。
ちなみに書き込む前には、ネットルールのサイトをじっくりと読みこんだ。掲示板等で、訪問者の迷惑行為を注意している管理人たちをよく目にしていたからである。
それで、たしかその内容は――『かすみ:訪問者数〇〇人おめでとうございます! いつも楽しくイラスト見てます。〇〇のイラストの色使いが本当に素敵で 〜〜』というような褒め言葉にプラス、(キリ番を踏んださいはリクエストどうぞ、との指定があったので)『ではリクエストです、〇〇×〇〇のイラストお願いします!』という感じで、リクエストも添えていた。
するとその日のうちに返信があった。
――『翠華 :キリ番おめでとう&カキコありがとうございます!! あばばばばば! てかお褒めいただきありがとうございます>< 〜〜』というような感じで、…なかなか我々には懐かしい感じだが……。
そう…彼 女 との出会いはこれだった。
――これが今につづく僕の二十年来の親友、優木 梨々花 との出会いである。
その後何かとメッセージを交わしあうようになった僕たちは、やがてメールアドレスを交換するまでの仲となり、そうしてリリカと僕は毎日頻繁にメールを交わすようになった。
聞くに彼女は僕の一歳年上の中学生で、僕と同じ不登校、それも彼女もいじめに合って学校に通えなくなったオタク少女だ、とのことだった。――また僕もリリカも同じアニメの同じCP好き、イラストなど創作好きと、…僕たちにはそうした多くの共通点もあり、彼女と僕はみるみるうちに仲良くなっていった。
そして僕とリリカはイラストを見せあったり、お互いに切磋 琢磨 イラストの技巧 を磨きあったり、一緒にネトゲをやったり、(ビデオ)通話をして語らったり…、彼女が晴れて大学生となるころには実際に会う機会もあった。なんと彼女も僕と同じ市内に住んでいたのである。
また彼女も僕も社会人となった今では、彼女が我が家に来てくれて遊ぶこともしばしばある。
これはある種の運命の出会いであった。
さらに、リリカ経由やネトゲなどリリカとの交流を基点に、ネット上での同年代の友人たちとの出会いも多くあった。…なお今につづく関係はリリカの他にもあるが、今やお互いに「別れも多くあったよね」と遠い目をして語りあう年齢ともなってしまったのだが。
こうして学校という場所のほかにも、友人をつくれる場所は意外にも多くある。
言い換えれば――他にも居場所はある。
僕がたどり着くべきだった居場所、その場所で待っていてくれた友人たち――不登校にならなければ出会えなかった友人たちとこの住みよい居場所は、僕にとっての人生の宝物にほかならない。
さて、そして最後の三つ目――〝学校に行かない間にあなたのやりたいこと、好きなことをきちんと見つけて、それに打ち込むこと。〟
僕はリリカを始めとした腐女子たちから良い刺激をおおく受けつつ、BLイラストや漫画を描くことに熱中した。
楽しくて楽しくて、時間を忘れるほどに楽しくってたまらなかった。徹夜してそれらの制作に勤しんでいたことも少なからずある。――また僕がそれらに熱中しているとわかると、僕の祖父は十二分に画材や専門書を買い与えてくれた。
それこそ僕は通信制の高校で、いくら自宅学習が主とはいえど、大量のレポートを課されていた。すると小中学生のころほど絵を描く時間はなかった。
だが、それでも僕は日に数時間だろうと毎日絵を、漫画を描きつづけた。強いられていたのではない。描きたくてたまらなかったのである。
そして、高校生の頃にはもう夢を、大志をいだいていたからである。――ああ、僕の愛する八百万 の腐女子たちよ…――僕のことを救ってくれた腐女子たちを楽しませ、喜ばせたい。「お返し」がしたい。今度は僕が誰かを救ってあげたい――漫画家になる。
BL! ボーイズラブ!
――BL漫画!
海賊お……BL漫画家に、僕はなる!!!!
(どーーん!!)
……ということで…僕は晴れてその夢を叶え、今やその道を極めたBL漫画家となった。
ちなみにこれは間違いなく「天職」だった。
――なぜなら、
僕は今や、世界中の愛する腐女子 たちから――
――「神」、と呼ばれているからだ。
BL界が待ちに待った千年に一人の天才、神BL漫画家『つきよ春霞 』――美青年の儚さを如実に描いた繊細なタッチ、細く華奢な線で描かれた美青年たちの表情にうかぶ機微の描きわけの巧みさ、そしてそのストーリーの完成度の高さ、キュンとくる二人の関係性、エロシーンの素晴らしさ…――人は僕の漫画を読むなりその魂を震わせ、ときに涙し、ときに微笑み、ときに自分の人生においても前向きになれる。
そうして僕は今や、世界中の愛する腐女子 たちが僕という漫画家のことを「神! GOD ! Dies ! Dio ! 신 ! Dud !」と次々もてはやすほどの、超絶売れっ子「神BL漫画家」になれたのだった――。
すると僕はもはや寝ても覚めてもBLBL、(趣味と実益をかねて)ちょっと美青年同士の絡みがあっただけで、否、もはや美青年と見ただけで『うーん…これは受け(攻め)』とジャッジ し、それも『そうね…これは…誘い受け』と属性まで見抜く ある種の審美眼 がバッッキバキにかっぴらかれている根っからの腐男子となった。
しかし…そうした根っからの腐男子かつ神BL漫画家の僕であっても、唯一「そういう目」で見られない美青年がいる。
そう…僕の推しのChiHaRuさんである。
――僕は彼にも救われたのだ。
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