16 / 40
15
いやいやここで終わってたまるか雑草根性!!!
「ぅ゛ぐ、…ぅぅぅ゛……っ!」
「ほほほ…なぁにを犬っころのように唸 っておる」
とこの『藤の間』の縁側ちかくに座っている祖父が僕をやさしく笑う。…僕は前のめって彼を見る。
名は天春 香月 ――ちなみに僕の祖父もまた美貌の人である。
一言でいうときつね顔の仙人 的な風貌だ。
祖父とはいえその白い肌にはあまりシワがない。マットな肌質でハリやつやもないが。いやに若々しい六十代後半というような見た目である。特にその薄紫がかった長い銀髪と、ひょろりと長い銀の顎髭 がお爺ちゃん的な印象を感じさせる。――その面長の顔立ちは上品かつ柔和 そうなきつね顔、長めの鼻がしっかりとしておりかなり高く、また涼やかな切れ長の一重まぶたはやや細めだが目尻が垂れている。また祖父の瞳は明るい茶色である。
そして、ひょろりと細長いその体はなんと203センチとかなりの長身――腰に届くほどの銀の長髪はストレートだが、今日もその豊かな銀髪の上澄みと前髪を頭頂部でおだんごにしている。今日は藤色の着流し姿だ。
「なあウエや…」とやや顔を伏せ、眠たそうな伏し目の祖父がやさしい声で、着物の袖 のなかに腕をしまい込みながら言う。
「今に感じておる痛み、悲しみ、苦しみっちゅーもんはな…前に前にと進んでゆくうちに、気が付いたら自分の強味になっておるもんよ…」
「…つよみ…?」
この失恋の痛みが、僕の強味に……。
そもそも何の生産性もない恋、その恋が破れたこの痛みが、いつか僕の強味に変わる…――。
「…そっか…、ありが……」
強味か…――強味……。
「っンやっぱりなる気がしない゛…ッ!」と僕は、あらためて直視した胸の鈍痛のあまりジジイじみたしゃがれ声で、
「あ゛あ゛あ゛ぁどうしよう全く強味になんかなる気がしない゛…ッ! そもそもこの痛みは何の生産性もない゛ッ! が、…なったらいいなぁ゛、いつか僕の強味に゛…っ!?」
と本音をぶちまけた僕を、隣の母が「…ぷっ…」と笑うなり、僕の肩を撫でるようにぺしぃ…と叩く。
「…いやだわこの子ったら…――悪いけれど、どうせもうすぐその〝痛み〟とやらは昇華 されましてよ」
「……、…、…」
ぬらぁ…と隣の母に振り返る。
やけに幸福感たっぷりの綺麗な微笑み…――今日は藤色に鴛鴦 と檜扇 がえがかれた着物、帯はシンプルなクリームイエロー…――鴛鴦、檜扇。
幸 せ 絶 好 調 ってか? ああ゛??
僕の片方の涙袋がピクピクする…――着物の鴛鴦や檜扇の柄には、「結婚」だとか「夫婦」だとかの意味があるのである。
ちなみに僕には父親がいない。
僕の母いわく、僕の実父にあたる人とはあえて結婚しない選択をした、とのことである。
つまり彼女は僕を妊娠したときに――それこそ一般的な流れとしては妊娠を契機に結婚をしそうなところを――、僕という赤ん坊の父親と相談づくの上、あえてその人と籍を入れるという選択をしなかったそうなのだ。
それはなぜなの、ともちろん僕は母に尋ねたこともあるが、彼女は意味ありげな微笑みをうかべて「その内にわかるわ」としか答えなかった。
ちなみに祖父にも妻――僕から見れば祖母――がいない理由というのも同様だった。つまり二人は「(訳あって)お互い合意の上で結婚しなかった」というのである。
ただ、もちろん著名な実業家の上にこれだけの美貌をもった二人である。
これまであらゆる上流階級の女性、あるいは男性から魅力的なアプローチを受けてきたようだが、二人は「今は仕事に集中したいから」とそれら全てをここまで穏便に断りつづけてきた。
それはお相手がどれほど美貌かつステータスの高い人たちであろうとも、である。もったいない……。
いや、さっきはついムカッときてしまったが、といってもちろん僕としても、大好きな母の恋は応援してあげたい気持ちでいっぱいだ。
何ならだいぶ前から、もういい加減母は母で幸せになってほしいと常々思っていたし、しかしかえって母本人にその気がないのではどうしようもないんだが…――と息子の僕が諦めてきたなかでの、この鴛 鴦 と 檜 扇 である。ようやく母にも「春が来た」ようだ。
ましてや…――何というか、なんとなく母の「お相手」は僕にも予想がつく。
……僕もあ の 人 なら別にパパになってもいいよ…お幸せに……、…――。
「…はーーー…っ」
と僕はしかし、自分の心の傷をなぐさめるため息をつきながらうつむいた。
「ははは…若、いやに大層なため息ですのぉ」
「……、…」
だが僕はすぐ顔を上げ、そう笑い声をあげたじいや――僕の斜め右、この部屋の襖のそばで正座しているじいや――を睨む。
「……、…、…」
「おぉ怖や怖や…」
と笑顔で怯えたふりをするこの初老の男性は通称じいや、…本名「雄牛 牛繁 」さんだ。
よく名は体を表すというがまさにそのとおり、彼は還暦すぎとは思えないほど、雄牛のように横にも縦にも大きく太くたくましい体をもち――その黒いスーツの二の腕も、また今正座している黒スラックスの両ももも布がはち切れんばかりに、丸太のように太い――、また雄牛のような凛々しく雄々 しい顔をしている。彼は白髪と黒髪まじりの髪をオールバックにし、えり足で小さく括 っている。
顎から四角い輪郭にだけ白髪のヒゲが豊かに生えそろっている。鼻の下にヒゲはなく、もみあげとも繋がっていない。ただそのダンディかつ雄々しい顔立ちには隠しきれない内面の柔和さ、つまり優しさがあらわれている。
そしてじいやは僕専属のお世話係の男性だ。僕にとって彼はよい遊び相手でもあったし、父親、兄、もう一人の祖父、とにかく彼も僕らの家族のようなものである。――限りなく家族に近い僕専属の執事、と考えたらいいのかもしれない。
じいやは僕を見てニコッと、その緑の瞳が見えなくなるような笑顔を浮かべる。
「…ウエ様は何をそう悲観されているのやら、この爺 めにはわかりかねますぞ。しかしウエ様、そう未来を嘆かれる必要はござ……」
「な、ッ何を、…って゛…! ぐ、…」
やっぱりだめだ、説明しようとすると嗚咽 してしまう。うーー…と僕はうなりながら顔をしかめてうつむいた。――そのとき…ほどよく開かれている障子をぬけて、生あたたかい藤の香りの春風がこの座敷にやさしく来訪した。
「そろそろ来るか」と祖父がつぶやいた。
「……?」
誰が、何が、なぜわかった?
僕はいぶかしい気持ちで顔を上げ、体を前のめらせ、母の隣にすわる祖父を見た。彼の顔は見えない。
「…………」
縁側向こうの春の日本庭園をながめているらしい祖父は、着物のそでに両腕を突っ込むようにして腕を組んでいる。――彼の頭頂部のおだんごや側頭部やと、その銀髪の輪郭は射し込む陽の光に透けてかがやき、ふわ…とその人の長い後ろ髪が、銀に輝きながらやさしい春風にそよいでいる。
「ウエや」
祖父がこちらに振り返らないまま僕を呼ぶ。
「……ん…?」
「今日は…お前さんに告げなきゃならん〝五つの真実〟を、ここでみーんな明かすからね…」
「……んぁ…? 真実…それも、…五つも……」
真実…しかも五つとはまた多い――ちょっとドキッとした僕だったがしかし、…さ…と冷静になって気の抜けた遠い目をする。
「……、…」
今さらこの状況でなぁにを告げられたってなんてこともない。驚きもしないさ…――すでに僕は「世界の終わり」を迎えているからだ。
というか先ほど(大好きなChiHaRuさんに)「世界の終わり」を告げられたばかりだからである。…しかしまあ予想するに、その「真実」とやらはさほど悪いものでもないはずだ。
――僕が思うに、今日のこれはきっと両家顔合わせのような感じではないか、と思うのだ。
多分その真実のうちの一つはママが結婚する、で間違いないだろう。
で、二つ目は僕に弟か妹かができる、とかかもしれない。…三十二も年下の弟か妹か…まあ可愛いだろうな、まるで自分の子のようn、痛っ…リアルはほんとクソ…――三つ目は…なんだろう。
まあパパになる人とも仲良くできたらいいな。
――多分あ の 人 だとは思うんだが……そう、僕が小さい頃からちょくちょく我が家に来ては、それこそ僕のパパ同然に僕を可愛がってくれていたあの人、…
そう…「コトノハさん」だったらむしろ最高なんだが、――ただ案外コトノハさんじゃなくて悪い奴っぽかったらさすがに息子として大切なママは渡さn…スパーーンッ! と突然、この『藤の間』の襖が派手に開けられる。ビクッと驚いた僕はとっさにそちらへ顔を向ける。にわかに、
「ようようフツよ!! 待たせたのおー!!」
とバカデッカい声で言いながら、ドカドカと二メートル超の(ガチムチずんぐりむっくりな)初老の黒髪――僕の祖父と全く同じ、後ろ髪の長髪はそのままの頭頂部おだんごヘア――の、強面 大男――今日はまた(若干場違いでは…? というような)ど派手なフラミンゴ柄のアロハシャツに半パン、さらにはサングラス姿の――ロクライさんが無遠慮に入ってくる。
「……、…」
ハワイ帰りかよ…(まだ日本は春だぞ…)。
……いやそう、僕はこのロクライさんのこともよく知っている。昔からちょくちょく我が家にやってきては、小さい頃から僕のことを溺愛してくれていた、祖父の友人(兼ライバル)の一人だ。――それこそ僕にとってはもう一人の祖父、という感じの人である。…ちなみにロクライさんはよくアロハシャツを着ているので、多分今日もハワイ帰りではない。
てか、
「……ん゛え゛っ!? まさかママの結婚相手ロクライさんなの゛!?!?」
思わず僕はそう叫んだ。
――「ふ、何言っているのよウエちゃん…」と母が僕の隣で失笑している。
祖父の対面にどかっと座ったロクライさんも、「あん? そりゃ早合点 が過ぎるわウエ!」と迷惑ぶった感じで言っている。よかった違うらしい…。
そして続いて「失礼します」
四十代くらいの眉目秀麗 な長身の男性、黒いスーツを、その190センチはありそうな痩せ型の長身でピシッと着こなした――黒髪ポニーテールの柔和げな俳優系イケメン男性、…コトノハさん!!
僕は興奮のあまりさっと立ち上がり、思わず不躾な子どものように彼を指さした。
「あ゛ーーー!!! やっぱり!! やっぱりだ〜〜!! よかったー! ママの結婚相手やっぱりコトノハさんだーー!!!」
「……? はは…こんにちは、ウエ…」
コトノハさんは何がなにやら、と困り笑顔を浮かべている。――母が「およしなさい、人に指をささないの」と僕を叱っているので、僕はピシッと両手を腿 の側面にそえ、
「こんにちは!」
とコトノハさんに軽いお辞儀をする。
「…ふふ…随分元気がいいんだね、今日は」
とコトノハさんがやさしげに微笑みながら、母の対面にお上品な所作で座る。
「よかったーー! 僕のパパになるのはやっぱりコトノハさんしかいないと思ってました!!」
やっぱりコトノハさんやさしい!
この年になって言うことではないが、僕のパパになるんだったら絶対コトノハさんがいいと思ってたんだ! よかった!
コトノハさんがきょとんとして対面の母を見る。
「はは…、え…、もう話したのかいテル…?」
「あっ〝もう話したの〟ってことはやっぱり、!」
とハイテンションではしゃぐ僕の片手を下に引き、「いいからお座りなさい…」と呆れている母が、コトノハさんを見て苦笑する。
「この子、さっきどうもショックなことがあったらしくて、今情緒不安定なんですわ…」
しかしコトノハさんは目を見張ってそれを聞くなり、立っている僕をその黒い瞳で見あげ、
「そうだったの? 大丈夫なのかい?」
と、(じいやだママだじいじだと違って、)どシンプルに僕を心配してくれる。――パパーー!!!
僕は涙ぐみながらコトノハさんに「そうなんd…」
「…あー、こんにちはぁ」
「……、…」
その聞きなれたのんびりした声に出入り口をふと見た僕は、目を見開いて絶句し、固まった。
「……、…、…――。」
――え…え、…え、?
「っぐあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」
僕は野太い声で叫びながら腰を抜かした。
まるでゾンビを見た人かのように尻もちをつき、「あ…あ…あ…」と声にならない声をあげながら、その人を指さす…――きょとんとした笑顔で固まっている、…
「ち、ち、ちは、…ChiHaRuさん゛…っ!?」
僕の推し、…ぁいやもう卒業したんだ、…僕の元 推 し 、――ち、ChiHaRuさんが、そこに立っている……っ!!
「うん。あーでもぉ…ちはr…」
「ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
「やだうるさっ」
と母が隣で僕の大声に迷惑している。
――ぱちぱち、とその銀色のまつ毛が困ったようにまばたきをする。
「……?」
彼は一旦後ろの出入り口をふり返り見た。
「……、…」
それから僕を見下ろしなおし、…『え…俺…?』と困り笑顔で自分を指さしながら首をかしげる。
「ああ゛…ああ゛…ああぁ゛…」
僕はコクコクうなずく。しかし僕の震えてブレにブレた人差し指は彼を指し続け、そしてあまりの驚きに、僕の口からはうめき声しか出てこない。
するとChiHaRuさんはあらためてふわ…とほほえみ、
「…ハヅキさん…ですよね…。こんにち……」
「ぐがああ゛っ! があ゛、あぁ゛が、ぐあ゛あ゛あ゛ぁあ゛っ!!」
推しがこんにちはって僕の名前呼んd、…ご、が、がち、ごい、ガチ恋してる、僕の推しが、僕の、僕の目の前に、に――僕の目の前に、推し、僕がガチ恋している推しが――いや元推し、ChiHaRuさんが立ってる!!!!!
「……? え、殺されかけてる……?」
とChiHaRuさんが苦笑いで僕に言う、…僕に! 殺されかけてる? って言った!!!
僕のガチ恋している推し――ChiHaRuさんが!!!!!
ともだちにシェアしよう!

