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「そんなまさか、…」
僕は即座に前のめりで否定した。
その否定の勢いは、我ながら捕らわれた猛禽 類の抵抗のように力強く、それは、僕の上半身をうしろから抱きしめていたハルヒさんの両腕から飛びだすほどのそれだった。
僕の夢の中に出てくるあの美青年が、世に稀 なほどの美貌をもったあの白皙の美青年が、――僕?
そんなはずはない、…なぜなら僕は、…
……しかし僕は、誰にこの否定の語をぶつければよいのかもわからないで、肩甲骨から背中をまるめるようにしてうなだれる。
「僕とあの美青年の顔は似ても似つかない、…僕はこんなに不細工 で、…」
「いいえ。」母が沈んだ声で、しかし確かに断ずる。
「ハヅキちゃん、あなたの顔は天上春命 …その神と全く同じ顔をしています。――当然でしょう…、あなたは、わたくしたちのウワハルなのだから……」
「……嘘、…嘘だよっだって、…」
僕は過去、事実いじめられたのだ。
――この醜い顔と、このおぞましい白い瞳のせいで、僕は「醜い化け物」だと、見るにたえない不細工だと――だから僕は小学生のころ、あれほど苛烈 なまでにいじめられたのだ。
その過去があるから今の僕がある。
この不気味な白い瞳を茶色のカラーコンタクトレンズでなんとか誤魔化 し、しかしそれでもなお飽き足らず前髪を伸ばした。その長い前髪で顔の半分以上をかくしてやっと、僕は外の世界を歩けるようになる。
そうして外ではつねに人の目に怯え、その好奇の、嫌悪の、嘲笑 の目をつねに恐れながら過ごし、それだから僕は小学生のころから今もなお、ほとんど四六時中家に引きこもっている。
――そうした今の僕があるのは、過去にこの醜い容姿を原因としたあのいじめがあったからだ。
それを言い換えれば、あのいじめなくして僕は――こんな不細工な顔と、こんなに不気味な白い瞳をもって生まれてこなければ、僕は――こうしていつも人の目に怯え、恐れ、日陰に隠れてやっと生きてゆけるような、今のこんなにも情けない僕には、決してならなかった。
すると説明がつかないじゃないか。
あの夢の美青年は誰もが驚くほどに美しい。
絶世の、という言葉さえ過言にはならない美貌をもつ彼が――仮にあの白皙の美青年と僕が「同じ顔」をもっていたなら、僕はああして「不細工」だといじめられやしなかったはずじゃないか。
「…っ僕はこんなに、!」
僕は食ってかかるような勢いで左隣、母のその沈痛げな白い横顔に詰め寄ろうとした。しかしその前に「聞いて」とコトノハさんが、やさしい声で僕に呼びかけた。僕はパッと彼を見る。
その人は悲しげな真顔で僕を見すえている。
「二つ目の、君に告げなければならない真実…――それはね……」
そう言うコトノハさんの青白い瞳は、悲しげに揺れている。
「――君は…呪 わ れ て い る 。」
「…ッは、?」
僕は思わず眉をひそめた。
コトノハさんは難しい顔をして目を伏せる。
「…これに関しても、君はきっと信じがたいと思うことだろうね…――だが、事実君は呪われて…」
「っな、何言って、…なんなんですかその〝呪い〟って、…」
と声を張り上げた僕は、我ながら興奮していた。
それを自覚した瞬間、ふと現れた羞恥心が僕を冷静にさせる。―― おおよそ唯一なにも知らない上に当事者では当然かもしれないが、僕だけがやたらと興奮していたのである。
さっとあたりを見渡すと、他の五人はみな、各々深刻そうな顔をしている。
母と祖父はうつむき、虚空を睨みつけているロクライさんはあからさまにその凛々しい黒眉を寄せ、ハルヒさんは、あぐらの脚の空白に力なくおいた自分の両手へ顔を伏せている。
そして今に目があったコトノハさんは、悲しげな目で僕をじっと見すえていた。
「……それは小学校という場所においてのみ…その場に居る人の子の目に、君の容姿が悍 ましいほど醜く映る…という〝呪い〟だ。」
「……っ、……」
その「呪い」とやらはさっきの言霊だなんだの話なのか、もしそれが本当ならばじゃあ誰がそんな、何を目的としてそんな酷いこと、…僕はまたそうカッとなりかけたが、しかし、あえて今は一旦落ちつくべきだと目を伏せる。
そして鼻から吸い込んだたくさんの空気に、ワインレッドのネクタイの胸板をふくらませ――その瞬間には、ワイシャツの下にある白い勾玉 とサンストーンのかけらが、僕の行き場のない怒りが滞った胸に硬くくい込み――、それから静かにふーー…と、薄くひらいた唇からそれを追いだした。
「でも…おかしいですよ、だって……」
多少先ほどより落ちついた声でそう言う僕は、うつむいてこうつづける。
「…その…信じられないかもしれないですけど、僕、多分夢で…――小さい頃から見ていた夢で、僕、その…多分天上春命 の姿を、それこそ何度も見てきました……」
僕は「あの美青年が本当に彼なら…」と言いながら、不安になって右隣のハルヒさんに目を向けた。いわく彼は僕とおなじ「あの夢」を見ていたという。
……ハルヒさんが伏せていたその長い銀のまつ毛をふと上げ、僕を、不安な僕がその眼差しだけで安堵 できるような、一切の迷いのない澄んだオレンジの瞳で僕をじっと見据える。――そればかりか彼は言葉もなく、ただその濃い灰色の秀眉 をわずかひょいとうなずかせるように上げ、『間違ってない。合ってる』と僕に伝えてきた。
僕はその人の眉ひとつの肯定にふしぎと確信を深め、またうつむいた。
「……そう…僕は夢で何度も彼の姿を見てきた…――でも、僕はちっとも彼の顔を〝自分の顔だ〟とは思いませんでした、…似ているとさえも思わなかった、…ママには少し似ている気がする、とは思ったけど……」
それでもしいていうなら、『何か見たことがある』という程度の認識である。
しかし、それはまさか、自分と全く同じ顔をした相手に抱くようなそれでないのは自明だった。
「それは…」コトノハさんが沈んだ声で答える。
「…ハヅキくん…君とウワハルの意識が、乖離 してしまっているせいなんだよ…」
「……、乖離?」
僕はふと目を上げてコトノハさんを見た。彼は難しい顔を伏せ、胸の前で腕を組んでいる。
「…………」
しかしそれ以上はつづけないコトノハさんに、――乖離というのも無論気になりはするが、――ひとまず僕は先ほど思いいたった疑問を尋ねてみる。
「……、だけど〝呪い〟って…じゃあ誰がそんな、どうしてそんなこと……」
もちろんそう質問はしながら、僕はそんな「呪い」だのなんだのは信じていないつもりだ。――しかしこれもまた「頭では」、僕の気持ちのほうは奇妙な確信、それが「真実」だとどこかで確信しているのである。
だが――コトノハさんは沈痛な面持ちでうつむいたまま、「言えない」と静かに断言した。
「何故ならそれは、〝君自身が思い出さなければならないこと〟であるからだ。…しかし……」
ここでコトノハさんの顔が上がり、彼のうら悲しい青白い瞳は、僕を見ながらもちいさく揺れている。
「…本当ならもう…君のその〝呪い〟は解けていていいはずなんだ…――というのも、君のそれは小 学 生 ま で と決められていたものであったはず…、ましてや…シタハルはもう……」
と彼の瞳は僕の隣、ハルヒさんを見やる。
「いや…その前に…」――しかしゆっくりとコトノハさんは目を伏せ、
「私たち家族は、あ る 役 目 を背負ってこの地上に顕現 した…――そう、君たちはね、…」
それから彼のその青白い瞳は僕を見すえ、
「実は双子の兄弟なんだ。ただし、神 と し て は …」
とそして何か、コトノハさんはやたらと含みのある言い方をするのである。
「……、…」
僕はハルヒさんになかば顔を向けた。
双子…? ――その人はうなだれ、退屈そうに自分の青いネクタイについた、サンストーンだろうオレンジの宝石がついたネクタイピンを、そのあめ色の指先でもってもてあそんでいる。
コトノハさんは落ちついた声色でつづける。
「そもそも…もしか言うまでもないことかもしれないが、ここに集っている私たちは皆 家族だ。――こうして君と同じ瞳をもつ私は君たちの実の父であるし、彼女ももちろん…」――僕はここでふとコトノハさんに目を戻した。つと彼の青白い瞳が対面の母を見る。
「君たちの実の母であるし、…彼らも」その青白い瞳は祖父とロクライさんを見やる。
「二人とも、君たちの実の祖父だ。…だが…」
そしてコトノハさんの真剣な瞳がまた僕を見る。
「君とシタハルは、この地上においても婚姻を結ばねばならない運命 …――したがってこの地上においては、君 た ち の 間 に は 血 縁 関 係 が 無 い 、ということになっている。…つまりこの日本の戸籍上では…――ハヅキとしての君の実父は私ではなく、ハルヒとしての彼の実母も彼女ではないんだよ。」
「……?」
僕の頭の中に次々と疑問が立ち現れる。
双子って僕とハルヒさんは四歳差だ。神としては? それに「戸籍上では」? なぜ双子の兄弟なのに結婚? なぜ祖父が二人いて祖母がいない? ――あと…じゃあ僕の「本当の父親」は一体誰なんだ?
……いや、そもそもこんな非現実的な話を鵜呑 みにするほうがどうかしている、との思考はうかぶのだが、例によって僕のきもちはそれを疑おうとはしない。
「俺たちのほんとの父親…?」とハルヒさんがのんびり言う。
「……あの人。」
「……、…?」
あの人って誰だよ、…と僕は彼を見た。
ハルヒさんのその曇りのないオレンジの瞳がじっと見つめている先に顔を向けたなり、そこにはコトノハさんがいる。
「……え…?」僕はまたハルヒさんに顔を向ける。
「だからぁ…――あのーハヅキ。勘違いしてるでしょ…?」
とハルヒさんがふっと鼻で笑う。
「……、…」
いや勘違いって…?
聖母マリアじゃあるまいに、まさか母一人で僕を産み落としたとでもいうつもりか?
「うーうん。だからぁ…」と彼はにへら…と目を細めて笑うが、すぐ「んー…」と虚空を見上げ、なにかを考えはじめたようだ。
「……、…、…」
……ていうか今さらながら驚きたい気持ちは山々なんだが、ほんと…だってのに――ほんとなぜなんだ…?
その、…ハルヒさんがあたかも僕の「心の声」に返事をするこの奇妙な現象、それこそテレパシストのように僕の思考を読み、しれっとそれに応じるよう会話してくる(謎に会話になる)というこの現状に、僕は何かこう『こんなあり得ないことには人としてまず驚かなきゃならない』という(常識的な)考えばかりはあるものの――しかしこれに関しても、僕の心のほうはちっとも驚かない。
いやなんでそんなテレパシスト的とんでも超能力もってらっしゃるんですか、…といぶかしくはなるのだが、なぜだか僕の気持ちのほうは『まぁそういうものだ』とおだやかに順応してしまっている。それもそのせいで、先ほどからちょくちょく自然と「テレパス会話」をくり広げてしまう始末だ。
「なんでって…?」ハルヒさんが可笑 しそうに言いながら、四つんばいで数歩、自分の席のほうに近寄る。――そして彼は自分の八寸の器をもつと、後ろに腰を引いて、また僕の右隣のざぶとんにあぐらをかいた。
「俺たちが双子だから…。」
「……??」
僕は眉を寄せる。いや説明になっていない…――。
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